2.O・Type‐M
「…………」
塔ヶ島家は古い団地にあった。そこは渓流と谷にそって縦長に伸びる、せせらぎと人々の生活が融和した土地だ。
住民の都合で伸びる無計画な坂道は、まるで迷路のように部外者を阻み、道路案内も無く不親切なものだ。
「……」
そんな抜け道にも近道もならない団地世界は、住民以外の往来がほぼ無いも同然。都市部でありながら閉鎖的で、どこか奇妙な土地だ。この団地は幻影で、本当は地図に存在しないのだと誰かが言い出せば、人は心のどこかで信じ込んでしまうだろう。
おまけに春休みの午前なんてこの時刻にいたっては、水鳥や野鳥がさえずったりと、本当にうららかなものだった。
「……。なんじゃそれ……?」
逆さまになった視界には、半壊した塔ヶ島家が粉じんを立てていた。典型的な二階建て建て売り住宅は、今はうっすらと一人娘の部屋を露出させて――これでもかと人の目を疑わせる。
「うおおおぉぉっっ?!! なんじゃこりゃぁぁぁっ?!!」
冬一少年は裏山の樹木に引っかかったまま、そりゃもうエキサイティングに叫ぶ。
(れ、冷静に……冷静に考えろっ、状況を再検証するんだっっ!! え、えーと……確か、俺がすみれを……押し倒して……それから……)
すみれの姿は見えなかった。爆発に巻き込まれていないだろうかと、彼はふと心配になる。何とか幹へとしがみつき、傾いた山肌へと思い切って飛び降りた。
「は、ははは……ははははは……」
少年の乾いた笑い声が響く。樹木へと手をかけて、とにかく呆然とまた塔ヶ島家を見下ろしている。
「なんっっでっ、そっからロケット出るんだよっっ?!! 超展開過ぎるわボケっっ、アホかっっ!!!」
むなしい彼のツッコミはのどかな団地世界にスルーされ、とにかくその自宅へと戻ることに決めた。
「痛っ、ぅ……」
両頬が少しだけズキズキと痛み、首が軽いむち打ちになりかけている。
吹き飛ばされたその距離が、実に20mをあっさり越えていることに、徒歩の少年は遅れて気づくことになった。
「あっ、冬一……!」
家の裏庭へと下りてくると、ちょうどそこにすみれの姿があった。
「だいじょうぶ……?」
心配のあまりか、彼女はガラにもなく素直で慎ましげだった。
「大丈夫。むしろ俺の心配より、自分の部屋の心配しとけよ」
「う、うん……」
「って、何よっ! せっかく人が心配してあげてるのに、そんな言い方ってないでしょっ、バカっ!!」
かと思えば、彼の無事にホッと安心したらしく、長いもみあげを揺らしながら、けして素直じゃない態度をあらわにした。
「あらあら……いきなりすごい音がしたかと思ったら……。あらあらあらあら……あらすごいわねぇ~これはー」
「あ、おばさん」
「ま、ママ……っっ?!」
血圧や心臓の持病持ちなら、そのままバッタリとショック死すること間違い無しのその惨状。だがそこへと現れた奥様は、おっとりとほがらかな声を上げた。
「こ、これは……えっと、これはね……っ、う、うう……」
惨たらしいマイホームの姿を、彼女にどう説明すればいいのか? 冷静になればなるほど、あまりに状況はショッキング過ぎる。すみれは言葉を見失った。
「ふふふっ……大きな花火があがったこと……♪」
それだけおかしそうにつぶやくと、母・塔ヶ島霧子は娘たちへと柔和な笑顔を向けた。その光景は、感動するほどに度量と包容力を秘めている。
「霧子おばさん、これはこれはアレだ。順を追って説明するとだな……?」
「ふ、冬……っ」
一方の娘のすみれは、加害者、破壊者、ある意味で被害者でもある複雑な境遇に、あまり精神的な余裕が残っていない。
「あら冬くん、今日もお父さんに似てイイ男♪ 未来の義母さんにやさしくソフトタッチで教えてちょうだい……♪」
「ま、ママぁっ! 冬を誘惑しないでって、いっつも言ってるでしょっ!」
「あら嫉妬~? 若いわぁ~」
「違うわよぉっっ!!」
仲の良い親子はほぼいつもどおりにじゃれ合う。といっても、すみれは状況も我も忘れて、両手を握り締めて子供っぽいじだんだを踏んでいたのだが。
「あーー、それでだな、霧子おばさん」
「うふふ……?」
母はこれで、娘をからかうのが大好きな、意地悪で困った大人だった。
「…………」
一方彼は言葉を迷い、しかしどうにもならないので決心する。
「これは事故だ」
そうとしか言えない状況だ。ロケットの直撃を想定した民家なんて、この日本にあってたまるかと心で叫ぶ。
「あらそうなの?」
「ああ。まず……俺たちはすみれの部屋で、春休みの宿題をしていた。ガスの匂いもなかったし、火元ももちろんなかった。しいていえば……」
そもそもガス爆発なら、彼女の部屋だけが吹き飛ぶはずがない。消防に見地してもらっても、奇跡的なこの状況に首を傾げさせるだけだろう。
「もう、早く言って……義母さんジレちゃうわぁ~」
「ママっ!」
困った母親に、怒り混じりの声が警告する。
「……うっかりコードに足引っかけて、すみれを押し倒してしまったことだ」
「っっ~~?!! ちょ、ちょっと冬っっ、そのことは事故っっ、っ、っっぅ~~!!」
そこへ、彼のバカ正直な自白が少女の心を揺さぶった。実の母親の前で、たとえ事実だったとはいえそんなことを話されたら、純情な彼女が落ち着いていられるはずがない。
だからどうしたらいいのか判らず、ブラジャーの吹き飛んでいた彼女は庭へとしゃがみ込んで、真っ赤なゆでダコになってしまった。
「あらあらあらあら! 人の良さそうな顔して、冬くんったら野獣……」
「事故です」
霧子さんにとってはやはり面白おかしい情報だったらしく、それはもうニヤニヤと若い二人を見ている。
冬一はきっぱりとその誤解を否定した。時として毅然とした態度を示さなくては、その先、一生笑い話のネタにされてしまう。霧子氏はそういうことをする女性だ。
「……そしたらほどなく、すみれの胸部からロケットが発射されました」
その事実の申告に、すみれはビクリと現実を思い出した。そっと胸へと触れると……金属質な感触。さらに胸元をこっそり開いてのぞいてみると……。
(うっ……!! えっ、えっ、なによこれっっ?!!)
ロケットの次弾がなぜか装填されていた。彼女のおっぱいは、不幸にも[おっぱいロケット]に変化していたのだ!
「そのロケットは壁ごと俺を吹き飛ばし、建物を粉砕しました。正直何が起きたのか、わけわからねーっていうか……。超展開ふざけんな、現実死ね、何でそっからロケット出んだよ、コイツのあだ名、明日から人間種子島宇宙センターな。ってレベルです」
「誰が種子島宇宙センターよっ!!」
しゃがみ込んでいた彼女は、激しい感情のままに立ち上がり、たっぷりと少年の顔へとツバを飛ばした。
「あらあらあら……なるほどねぇ……うふふ……」
「いや、こんなこと言っても信じてもらえないっスよね……」
ニコニコと、霧子さんはいつもと変わらない笑顔を浮かべる。
「う、うう……証拠なら現在進行形でここにあるけどね……うーー……」
すみれは硬質な両胸を抱えて、がっくりとそのまま深くうつむいた。女性からすれば、当然ショッキング過ぎる。Oがロケットになったのだから。
「あら、何で疑う必要があるの?」
「え?」
しかし予想もしない反応が返ってきた。
「すみれももう思春期ですものね、ウフフ……♪」
「ま、ママ……?」
「大きくなりましたね、これでもう一人前かしら……♪ はぁ……時が流れるのは早いものねぇ、困っちゃう……」
その彼女の母親は、彼ら二人以上にこのぶっ飛んだ説明に納得してしまっていたのだ。
感慨深くウンウンとうなづいて、ウェーブ気味のセミロングと、娘よりさらに大きな胸元をギュっと抱き締める。
「ママ……? なんでそんなに物分かりがいいの……?」
一人で盛り上がる彼女に、少年少女は疑問の視線を向けた。どう考えても母の反応はおかしい。どう考えても、ありえへんことこの上ねーこの状況なのに、彼女だけが全てを納得してしまっている。
「何か知っているのか、おばさん!!?」
「ええもちろん」
冬一はお美しい奥様へと詰め寄る。
「それはね……」
「そ、それは……?!」
「ちょ、ちょっと二人近い! 近過ぎだよぉっ!」
奥様は間男へと向けるかのように、娘の想い人へと色っぽい視線を向けて、それをさらに近づけて……。
「 実はママもおっぱいがロケットだったのーーーっっっ!!! 」
薄着のセーターとシャツを丸ごとたくし上げた!!
(えっっ、ええええええええーーっっ?!!?!)
そこには銀白に輝く硬質の鉄塊。分類上おっぱいに該当する部位がまるまる、ロケット型に変形していた!!
真下へと見開かれた少年の瞳には、さらに圧倒的なインパクトOがそそり立ち……。
『ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ……』
明らかにヤバい発射音を立てていたのだ!!
「ま、ママっっ?!」
「えっちょっぎゃーーーっっ?! おっぱい怖いおっぱい怖いおっぱい怖いおっぱい怖いってかソレコッチに向けな――」
『ゴッッッ!!!』
マザーインパクトOは、すみれのモノとは性質が異なっていた。ゆるやかな初速で超重量のロケット……いや、ミサイルを空中へと浮遊させ、不気味なスローテンポで加速してゆく。
彼へとめがけて。
「だあああああああーーーっっ!!! 追尾機能付きぃぃっっ?!!!」
全力疾走で、冬一は庭から裏山へと逃げ出した。途中で蛇行軌道を選んでも、ミサイルは彼へとホーミングを続けて、やがて超高速に達する。
「冬一危ない!!」
きゅぃぃぃーーん、としたミサイルの追尾音。甲高いすみれの絶叫。彼がそれに振り返ると……。
「あ…………」
彼は自分の運命を悟った……。
(アポロ……今から俺もそっちに逝くぜ……。はは、ははは……。誰なんだろうな……アポロって……)
「さらば文明っっ!!! どかーーーんっっ!!!」
さらに強烈なインパクト・O・Mタイプが、彼を裏山の向こう側へと吹き飛ばしていたという……。