5話 団長の食事を落としました
お手伝いさんの朝は早い。
陽が昇るのと同時に起きて、まずは団員さんたちの服の洗濯をする。洗濯をした服は、広い中庭の隅にある長い物干し竿にかけて干す。少し高い位置にあるので、背の低い私は背伸びをしないと届かない。だからちょっと大変だったりする。
それが終わるとすぐに朝食の支度にとりかかる。全部で50人分の朝食をたった一人で作らなければならない。お手伝いさんマニュアルには歴代のお手伝いさんが書き残してくれた短時間でたくさん作れる料理のレシピがあるのでそれを見ながら料理をする。とはいっても私はあまり料理をしたことがなかったので、最初はとても時間がかかり、見兼ねた団員さんたちが手伝ってくれた。申し訳ない。
団員さん全員の食事が終わると、私もようやく朝食をとることができる。
そのあとにお皿を洗って片付けをする。その頃には団員さんたちの仕事がすでに始まっていて、街へ見廻りへ行ったり、遠征に出かけたり、中庭のスペースを使って剣の訓練をしたり、馬小屋で馬の世話をしたり、詰所内で事務仕事をしたり、とそれぞれの業務をこなしている。
団員さんたちがお仕事中の昼間の間のお手伝いさんの仕事は部屋の掃除や食材の買い出し、昼食の準備などがある。手が空いた時間ができればそれを休憩時間として自由に使っていい。部屋でくつろいだり、街へ出かけたりできる。そして、夕方ごろから洗濯を取り込み、夕食の支度を始める。
ざっと1日の流れはこんな感じだ。
料理を除いて特に難しい仕事はない。けれど、実際にやってみるとけっこうハードだ。とにかく忙しく詰所内を駆け回っている。
お手伝いさんなら私にもできると軽い気持ちでいたけれど、これは想像以上にきつい。それでもなんとか毎日の業務をこなして、気づけばこの詰所に来てから1週間が経っていた。
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「アリスちゃん。団長の部屋に夕食を届けてもらえるかな?」
調理場で洗い物をしていたらテオさんに声を掛けられた。そういえば団長さんがまだ夕食を食べに来ていなかったことを思い出す。
「明日中に本部へ提出する書類があって、それを急いで片付けていると思うんだ。悪いけど夕食届けてあげて」
「分かりました」
少し冷めてしまった食事を温めなおしてトレイに乗せる。それを持って団長室へと急いだ。
「失礼します。アリスです。食事を持ってきました。入ってもいいですか?」
団長室に入るときは扉の前で必ず声を掛けて確認をとること。と、お手伝いさんマニュアルに大きく書かれていた。
「ああ」と団長さんのぶっきらぼうな声が聞こえたので入室する。
食事を乗せたトレイを片手で持ち、もう片方の手で扉を引く。団長室の扉は少しだけ重たいので、片手で開けるのは少し大変だ。腕がプルプルと震えてしまって、同時にトレイを持つ手に変に力が入ってしまう。と、バランスを崩してしまった。
「……おわっ」
ガシャーン、と音がしたときにはもう遅い。トレイに乗った食事がお皿ごと見事に床に落下してしまった。
「わわ、失礼しました」
落としてしまった食事を慌ててかきあつめて、トレイの上にのせる。けれど、当然これはもう食べられない。
やってしまった……。
執務机にいる団長さんに視線を移すと、なんとも冷ややかな目で私を見ている。それから、小さくため息をこぼし、何も言わずに書類へと視線を戻した。
「すみません、団長さん。すぐに新しい食事をお持ちします」
急いで食堂へと戻り調理場で料理を盛り直した。団長さんを待たせてしまって申し訳ない。本当なら走って届けに行きたい気分だけれど、またトレイを落としたら大変なのでさっきよりも慎重に歩きながら団長室へと向かう。
「失礼します」
声をかけてからいったんトレイを床に置いた。
さっきは片手にトレイを持ち、もう片方の手で扉を引くなんてことをしてしまったから、バランスが取れずに食事を落としてしまった。今度はそれを同時にやるのはやめよう。
重たい扉を両手で引いて、閉まらないようにストッパーで扉を固定する。床に置いたトレイを持ち上げて、しっかりと両手で持った。そのまま団長室へと足を踏み入れる。
「ふぅ~」
今度は大丈夫だった、と思わず安堵の声が漏れる。
「団長さんの夕食を届けに参りました」
執務机は書類でいっぱいだったので応接用の机に食事がのったトレイを置いた。
「冷めちゃうので早く食べてくださいね」
「…………」
返事はない。いつものことだ。
この詰所で働き始めて1週間。他の団員さんたちとは話をしながら少しずつだけと打ち解けてきていると思う。でも、団長さんとは初めて会った日から今日まで一度も会話らしい会話をしたことがない。それどころか顔すら合わせていない。
廊下ですれ違ったときに「おはようございます」と声をかけても「ああ」としか返事をしてくれない。「今日はいいお天気ですね」と声をかけても「ああ」として返事をしてくれない。もしかして人とは距離を置くタイプの人なのかなぁと思ってここ一週間よく観察してみたけれど、どうやら違うようだ。団員さんたちとは普通に話をしている。
もしかして私だけ避けられているのではないかと不安になって一度だけテオさんに相談をしてみた。そしたら「放っておけばいいよ」と言われてしまった。けれど、放っておくことなんてできない。これからここで働く身としては上司との仲が微妙だなんてよくないことだ。なんとかして距離を縮めたい。
「団長さんはいつも忙しそうですね。ちゃんと休めていますか?」
とにかく話しかけてみよう。
「…………」
返事はない。けれど諦めてはいけない。
「私、ここに来て今日でちょうど一週間になるんですけど、お手伝いさんの仕事って大変ですね。やることが多過ぎて毎日バタバタ動き回ってます」
「……」
「特に料理がダメですね。苦手です。いままであまりしたことがなかったので苦戦してます」
「……」
無反応。団長さんはひたすら書類を書いているようだ。これ以上ここにいて仕事のジャマをしてはいけないと思い退散することにした。
「食べ終わった頃にまた来てお皿を回収しますね」
それだけ告げて、私は団長室を後にした。




