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第39話「同盟」

 長篠での大敗により、武田家は衰退の道を突き進む。

 織田信忠率いる織田軍によって東美濃の岩村城が陥落。遠江国でも、家康によって依田信蕃(よだのぶしげ)が降伏、二俣城が奪還された。

 このままでは滅亡も時間の問題。そう考えた勝頼はある案を打ち出した。


「我々武田は、越後の上杉と同盟を結ぼうと思う」


 これに対し、家臣たちの反応は微妙であった。

 たしかに現在、織田と対抗できるであろう近隣勢力は上杉くらいだ。だが、上杉と武田は昔から犬猿の仲であった。

 かつて、武田信玄と上杉謙信は川中島で5度に渡り戦った。なかでも4度目の戦いは、両軍共に多くの死傷者を出す大戦となった。

 そして、それからはこれといった大きな軍事的衝突こそないものの、武田と上杉の間では相変わらず緊張関係が続いている。

 当然、両者には遺恨がいまだに残っているのだ。

 だが、上杉と盟を結ぶほかに武田が生き残る道がないのも確かであり、家臣たちは渋々案を承諾した。






 天正5年、勝頼はさらに相模の北条とも外交を強化すべく、北条氏政の妹を後室に迎えた。

 ちなみに前妻は永禄10年に嫡男・信勝(のぶかつ)を生んだ際に亡くなっている。

 こうして、上杉・北条との外交政策は順調に進み、武田復活の道が徐々に見えてきていたのだが、天正6年に突如事件は起きた。

 越後の龍・上杉謙信が病死したのである。

 これにより、その後越後では上杉景勝(うえすぎかげかつ)上杉景虎(うえすぎかげとら)による後継者争いが勃発した。最終的にこの争いは景勝の勝利に終わり、勝頼が景勝方を支援していたために見事上杉との同盟が成立したのだが、一方で北条家との関係を悪化させてしまう結果となってしまった。






 そんな中、武田家内では跡部勝資(あとべかつすけ)長坂光堅(ながさかみつかた)らと小宮山友晴が対立、また友晴は武田信廉ら老臣とも仲が悪かったこともあり、家臣団の中でも孤立し始めていた。

 その結果、近頃は勝頼とも馬が合わなかったこともあり、友晴は蟄居を命じられた。

 その後、勝頼は友晴の代わりに真田昌幸(さなだまさゆき)を重用し始める。昌幸は父・幸隆に負けず劣らずの知将であった。


「昌幸、先ほど放った乱破から連絡があった。織田軍およそ3万がここ甲斐を目指し、進軍しているらしい」


「ほう……、ということは徳川や北条と合流することを考えれば、敵は6万ぐらいですな」


 勝頼はアスカたちを織田領内に放ち、偵察させていたのだが、彼女らはそこで3万もの大軍を目撃した。

 総大将は信長ではなく、その息子・信忠であったが、軍には森長可(もりながよし)毛利秀頼(もうりひでより)ら猛将たちの姿もあったという。


「昌幸、此度の戦、いささか厳しいが……いけるか」


「ハッ!この昌幸めにおまかせあれ!」


 天正10年、織田・徳川・北条連合軍は武田領内に侵攻、途中多くの武田方の山城を陥しつつ、勝頼の居城・新府城へと迫る。その数は昌幸の読みどおり6万であった。

 これに対し、武田軍は勝頼自ら総大将として1万の兵を率いて出陣、直江兼続(なおえかねつぐ)を総大将とする上杉軍2000と合流し、これを迎え撃つ。

 いま、武田家の行く末を決める大決戦が行われようとしていた。

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