第11話「義元の死」
桶狭間の地で今川軍と織田軍が激突していたそのころ、駿河国の今川館では、義元の嫡男・今川氏真が留守を預かっていた。
「はぁ、暇じゃのぉ・・・。」
氏真はため息をついた。氏真は2年前の永禄元年に家督を継いでおり、現在の今川家の当主である。しかし、武芸や政治に一切興味を持たず、和歌や蹴鞠にうつつを抜かしていた。この日も朝から外で蹴鞠をして遊んでいたのだが、突然雨が降ってきた。そのため暇をもてあまし困っていたのだ。
「誰かおらぬか?余の話し相手になってくれぬかのぉ・・・。」
「私で良ければ。」
氏真の問いに答えたのは、忍び装束を身に纏った一人の美しい少女だった。彼女は今川家に仕えるくノ一である。複数の名を持っているが、今は望月千代女と名乗っている。
「おお、お主か。相変わらず美しいのぉ。特にその胸は最高じゃ。」
氏真は千代女の豊満な胸に視線をむけると、ニヤニヤと気持ち悪い笑みを浮かべた。
「ありがたいお言葉・・・。」
千代女は背筋に冷たいものが走るのを感じたが、そこは忍び。いつもと変わらぬ態度で表情一つ変えずに答えた。
その時、一人の兵士が大声をあげて駆けてきた。彼は体中傷だらけであった。
「殿!我が軍、桶狭間の地で織田軍の奇襲を受け壊走!そして・・・、義元様お討ち死に!」
兵士の口から出たのはとても信じられない言葉であった。
「な、な、なんだってぇぇぇぇ!」
驚いた氏真はひっくり返った。
「まことですか、義元様が討ち死にされたというのは。詳しくお聞かせ下さい。」
腰を抜かしている氏真の代わりに千代女が尋ねる。
「は、はい。桶狭間の地で休息をとっていたところを織田軍の奇襲に遭いました。油断していた我らはあっけなく崩れ、敵は本陣まで・・・。そして・・・、毛利新助と名乗る者によって義元様は討たれました・・・。この目で見ました。間違いないです。」
兵士は桶狭間で何があったのか答えた。その声は震えており、目からは大粒の涙がこぼれ落ちている。目の前で主が討たれたのだ。仕方ない。
その時、いままで腰を抜かしていた氏真が突然立ち上がった。
「貴様の話、信じられぬ!毛利新助などという者、聞いたことがない。そのような無名の者に父上が討たれるはずなかろうが!」
氏真はもの凄い剣幕で兵士を怒鳴りつけると刀を抜いた。
「父上が死んだなどとふざけたことを言う者は生かしておけぬ!死ねぇ!」
「そ、そんな・・・!ぐはぁ・・・!」
斬られた兵士は鮮血を噴き上げて力なく倒れた。
「父上が死んだ・・・?そんな馬鹿な!父上は最強なのだァ!刀も!槍も!弓も!父上に勝てる者などこの世にいるはずがない!ハハ・・・ハハハハ!アハハハハ!父上は生きている!死んだなんて嘘だ!嘘に決まっている・・・。嘘に・・・。」
氏真は自分に言い聞かせるように叫ぶとその場に座り込んでしまった。その姿は醜く、とても名門家の当主には見えなかった。
(今川ももう終わりかな・・・。)
そんな情けない主の姿を見て、千代女は心の中でそう呟いたのだった。