偽笑み
1993年10月13日。
午後18時15分。
元気な、大きな声と共に、私はこの世に産まれ落ちた。
予定より一週間早く産まれた私は、普通より小さく、すぐに保育器に入れられた。
母親は心配して、医者にすぐ会わせろと言ったらしい。
だけど、標準体重の半分位だった私は、男とも女とも見分けられる前に、保育器に入れられてしまった。
全てに置いて小さくて、少し危険な状況だったにも関わらず。
私はお医者様達のお陰で、救われた。
一日遅れで両親と初めて対面し、私は名を付けられ。
その後から、小鳥遊小夜と名乗ることとなった。
それから私はすくすくと成長し、三才になった。
まだあまり多くの言葉を知らないにも関わらず、私はいろんな人に愛想を振り撒いていた。
もちろん、本人にその自覚はない。
家の近くの保育園に入って、友達が出来た。
いつも、4~5人の友達と、ママゴトやかくれんぼなど、幼稚園生なりに楽しんでいた。
そして、母方の父…要するに、私の叔父に当たる。
おじいちゃんが、空手の道場を開いていて、私はその風景をまるでテレビに出てくる戦隊ヒーローを見るような眼差しで、その練習風景を見ていた。
それがしばらく続くと、おじいちゃんは私を道場の中に招いた。
近くで、空手なるものを見せてくれると言う。
私は嬉しくて、何度も頷いたのを覚えている。
その日から、私はおじいちゃんの道場に通い、空手を習っていった。
…幼稚園を卒園して、小学校に入ったらすぐ、おじいちゃんに呼ばれた。
私は、小学校の入学式が終わってすぐに走ってきた。
なんの事だか解らずに、道場に入り、脇の廊下からおじいちゃんの部屋の前に正座し、声をかける。
すると、小さく「入れ」と聞こえたので、私は襖を開けて部屋に入った。
「…えっと、なにか?」
「小夜、お前…本当に空手がしたいか?」
唐突なおじいちゃんの言葉に、私は素直に頷いた。
空手はやっていて楽しいし、何よりストレス発散には最適だった。
幼稚園では、いつも小さい背のせいで、友達にはからかわれていた。
腹が立つのではなく、言い返せない自分の弱さに悔しかった。
空手でなら、友達に勝てるとは思ったけれど、そうまでして相手を痛め付けたいような、心はあいにく持ち合わせていなかった。
なにしろまだやっと小学生なのだ。
そこまでの事を考える頭も、知識も無かった。
「…なら、知り合いの道場を教えてやる。
そこで、本物の師範に会って、ちゃんとした体の動かし方を学んで来い。」
おじいちゃんのごつごつした手が、私の頭を撫でる。
師範だとか、柔術だとか。
私にはよく解らない単語だったが、おじいちゃんが喜んでくれるなら、私はそこで、師範にいっぱい教わって来よう。
そう思い、私はその日から、おじいちゃんの道場には行かなくなり。
変わりに、おじいちゃんの知り合いの、新しい道場にやって来た。
お母さんは、「危ないから」と言っていたが、父は「将来の為になら、いいんじゃないか」と行ってくれた。
友達は、そろばんや塾。
ピアノやバレエなど、をやっていたが、私は空手!と答えるのが好きだった。
いろんな人に、「すごいねえ!」、「そんな昔からやってるの?強いんだねえ」とか、そう言う言葉をくれるから。
私は、可愛い、よりも。
格好いい、強い!と言われるのが好きだった。
だが、そうは言っても、体はまだ幼稚園から小学生に上がっただけの、只の子ども。
おじいちゃんに紹介してもらった師範は、驚くほどに厳しい人だった。
「始めまして、小鳥遊です。
齊杞先生はいらっしゃいますか?」
母に手を引かれ、私は道場に来た。
そこには、私の他に五人の生徒がいた。
「…あぁ、齋藤さんの娘さんとお孫さん、ですか?」
にこっと笑って出て来たのは、おじいちゃんのように威厳のある、強面の顔ではなく。
虫も殺せなさそうな、優しい顔をした男の人だった。
「始めまして、宮本齊杞です。
この子が、小夜ちゃん、ですか?」
「始めまして!小鳥遊小夜です!」
私は笑って、師範に挨拶をした。
「始めまして、小夜ちゃん。
今日はまだ初日だし…見学から入ってもらおうかな。
お母さん、じゃあ五時…くらいに迎えに来て頂けますか?」
「はい、解りました。
…小夜、じゃあね、頑張ってね」
お母さんは、笑って手を降ってくれていた。
私も笑顔で返す。
もう見えなくなった辺りで、師範は私の手を引いて、脇にあるパイプ椅子に座らせた。
「今日から、新しくここで鍛錬をする事になった、小鳥遊小夜ちゃんだ。
みんな、仲良くね。」
師範は私を紹介してくれた。
私の他の五人、五人は全員男の子。
ちょっと緊張したけど、私はいつもの通り挨拶できた。
「…僕、帝!
小夜ちゃん、よろしく~!」
一人の男の子に、手を握られてブンブン振り回された。
私は友達が出来たと思って、嬉しくなった。
他の男の子達も、少し遅れて自己紹介した。
私から見て、一番右端の男の子。
色素の薄い、ミルクティーみたいな髪をしたのが、群青相楽くん。
私とは同じくらいの身長の男の子。
その相楽くんの隣にいるのが、始めに声をかけてくれた、帝くん。
髪は真っ黒で、やんちゃって感じだ。
なんだか、柴犬に似ている気がする。
ちなみに私よりも背は大きい。
次に、帝くんの隣、ちょうど真ん中にいるのが。
いかにもボス!って感じの、…ちょっと怖い人。
多分、私よりも年は上。
挨拶の時も、「…よろしく」だけだった。
腕を組んでいて、ちょっと偉そう。
汰杞、と言うらしい。
彼はそれだけ言うと、私達から離れていった。
そして、その隣が海藤凪沙くんと、左端が海藤誉くん。
苗字は同じだけど、兄弟では無いらしい。
凪沙くんは、焦げ茶色の髪の毛をしていて、ふわふわで、誉くんは私の2つくらい上で、帝くんと同い年らしい。
…ちなみに、凪沙くんは相楽くんと同じく、私と同じくらいの背。
帝くんと誉くんでは、帝くんがちょっとだけ勝ってるって感じだ。
お互いに自己紹介をして、少し落ち着いた頃に、師範が手を鳴らす。
私達六人は、その音のした方を自然に見る。
「はい、じゃあ自己紹介はこれでお仕舞い。
稽古に移ろうか、みんな準備体操しっかりね。」
師範の言葉に、大きな声で答える。
私は、パイプ椅子に座り直し、その練習風景を見守る。
…でも、おじいちゃんの所と違って、なんだか型…って言うのが無い気がする。
まぁ、私もそこまでは知らないけど。
「はい、じゃあこれ避ける」
「あぐっ!」
「これも」
「がっ!」
「はい」
「ぶっ!」
「…はっ、」
「があっ!」
「…………わー。」
私は目を白黒させて、その練習を見ていた。
見ていた、けど…あの、あまりにも酷い(ひどい)いや、酷い(むごい)。
…あまりにも、酷い。
「…次、汰杞。」
「!!」
私は、師範の目を見てびっくりした。
…すごく、笑ってるんだけど、怖い。
にっこりと、笑ってるんだけど、やっぱり目が怖い。
そして、汰杞くんは師範によって吹っ飛ばされた。
大人と子ども…力は違えど、ああも吹っ飛ばされる物なのだろうか。
…そして、いつの間にかもう五時…。
「…では、今日はこれまで。
また明日、えー頑張りましょう。」
「「「「「はいっ!」」」」」
…なんで、こんなに元気なの?
私は、やっぱり口をあんぐりとしたまま、五人と先生を交互に見た。
「じゃあみんな、着替えておいで。」
五人はまた、元気よく返事をした。
すると、師範はパイプ椅子に座ったままの私に近付いて来た。
「どうかな、ちょっと怖かった?」
にっこりと笑いながら、そう言った。
…あ、もう元の顔に戻ってる。
「師範が怖かったです」
「あはは、なんでかな、昔から稽古してるときはああなるんだ。」
笑いながらそう言う。
よっぽど、空手が好きなんだなと思った。
「…師範、ちょっと聞きたいんだけど。」
「はい、なんですか?」
「この空手、なにか形があるんじゃないの?
うちのおじいちゃんの所では、まだ私は習わなかったけど、型って言うのがあったと思うんだけど…。」
「はい、この空手にも型はあります。
ですが、型にあって型にあらず。
うちの道場は、ちゃんとした体の動かし方を学ぶためにあります。
小夜ちゃんのおじいちゃんの道場と、うちの道場とは少し違うんですよ。」
「ふーん。」
私は師範の言っている事がよく解らなかった。
いや、全く解っていなかった。
型があるのかと聞いたのに、無いと言った。
じゃあ空手じゃないじゃないかと、私は思った。
おじいちゃんのところの空手もよく解らなかったけど、ここはもっとよく解らない。
「とにかく明日から、始めましょう。
言っておきますが、この道場は、あなたのおじいちゃんのところの道場とは大きく違います。
厳しく、生きるための柔術を体に叩き込みます。」
その時の師範は、最初の、真っ白な笑顔だった。
…次の日、私は三ヶ月の大怪我を負わされた、師範に。
次の日からの稽古で、私は師範と稽古に入った。
初めは準備体操、次に軽くミット撃ち。
で、次には師範と直接対決…みたいな。
じゃあ、と。
私が師範に殴りかかったら、投げ飛ばされて、打ち所悪くて、全治三ヶ月…。
うん、おかしいよね。
私は痛くてわんわん泣いた。
そりゃ小学一年だもの。
痛かったら素直に泣きます。
それと、師範もおかしい。
大人じゃない、それに普通は本気で始めたりしない。
全治三ヶ月の怪我で、私は一時期だけ、道場に行きたくなくなった。
空手はしたい、けど行くのは怖い。
あの怖い師範がいると思うと、道場に近づきたくなくなった。
しばらくそんな状態が続くと、相楽くんが家まで来てくれた。
「…こんにちは。」
「ねえ、なんで道場来ないの?」
「し、師範が怖いから。」
私がそう言うと、相楽くんは「ああ…」と言いながら苦笑した。
「師範、怖いけどいい人だよ?
しっかり教えてくれるし…それにみんな心配してる。
小夜ちゃんが来なくなってから、みんな楽しくないって。」
私はそれを聞いて、嬉しかったけど。
でもやっぱり怖かった。
「…頑張ってみる、けど…もうちょっと待って。」
そう言い終わる前に、私は扉を閉めてしまった。
それから一週間は立ったと思う。
私は、空手を止めたくないと言う理由だけで、ここに戻ってきた。
「…こんにちは。」
恐る恐る…、道場の扉を開く。
すると、すぐに相楽くんと凪沙くんが駆け寄ってくれた。
「小夜ちゃん、遅いよー!」
「早く行こう?師範もみんなも待ってるよ!」
二人は、私の手を引きながら道場の中へと私をひきずりこんだ。
中に入ると、帝くんが来て
「心配した!」
って、涙目で叫んだ。
私は申し訳なく思って、同時に悔しくなって、私はその場で「ごめんなさい」と言いながら泣きわめいた。
あの日から二ヶ月くらい立って、私の怪我は治った。
その次の日から、私はもう一度師範の道場に通うようになった。
それがちょうど…小学一年の夏…、だったと思う。
夏休みに入って、7月はほとんど師範の道場にお邪魔していた。
ちょっとは体がついていくようになって、師範のかなり手加減をした突きならかろうじて避けるくらいの事は出来るようになっていた。
「…うん、小夜ちゃんは覚書早いね。
この調子じゃ、凪くらい簡単に倒せちゃうよ。」
「ほんと!?」
「えーっ!」
凪と私は、同時に声を上げた。
「師範、それほんとっ!?」
「うん。」
師範はにこりと笑いながらそう言う。
「小夜ちゃんは、いいところ容赦が無いからね。
相手が僕だからいいものを…本気で殴りかかってくる様には、かなり迫力を感じると共に、怖いよ。」
「師範、それっていいことなの?」
「とてもいいことだよ。
そこで手加減をしてしまうと、反対に小夜ちゃんが攻撃を受けてしまうからね、結果としては全力で。」
「ふぅん」三割方理解した。
取り敢えず、おじいちゃんの所とはやっぱり違う。
「さて、じゃあ試合をしてみようか。
凪、小夜ちゃんとやってみよう。
ちなみに二人とも、手加減はしちゃ駄目だよ。」
「「はいっ!」」
師範の声に答え、私達は正面を向いた。
…ちなみに、うちの道場の試合システムはかなり変わっている。
頭を殴れば三点、お腹…脇腹含むを殴れば二点、ダウン一点、クリーンヒットが二点の、合計20点先取で勝ち。
ね、かなり変わってるでしょ?
「開始!」
師範が声を発した瞬間に、凪は動いた。
私は、まだ動かない。
「はっ!」
凪の放った拳が、私の右頬をかする。
私はその場で屈み、凪の足を払う。
バランスを崩した凪は、器用に右手を床に着けて、逆立ちの状態で私に蹴りを入れてきた。
私は一旦引いて、凪の体勢が整うのを待つ。
「…行くよ!」
凪は、走って屈んでまた蹴りを入れてきた。
私は凪の足を掴んで、動きを止め、左脇腹に蹴りを一発。
「小夜、二点先取。」
「…っは!」
「わ!」
凪は持たれた足を払い、後ろに回り込んで背中に一発拳を放った。
「凪、二点。」
師範の声を聞き、私達は微笑みながら次の手を繰り出した。
…結果、凪20点・小夜18点。
私は負けてしまった。
「勝者、凪!」
「あー、負けちゃった。」
私はこてんとその場に腰を下ろす。
「小夜ちゃん強いー」
「凪こそ、すごかったよ!
なんであんなこと出来るの?
手痛くなかったの?」
私は凪の手に視線を合わせる。
「うん!僕逆立ちとか得意だから!」
「ふーん、いいなあ!」
「…小夜ちゃん!足、血出てる!」
帝くんの言葉に、私は自分の足に視線を落とす。
「あ、ほんとだ!」
「師範!小夜ちゃん怪我ー!」
相楽くんが師範に駆け寄ると、師範は私の横に腰を下ろす。
そして、右手にバンソコエードを持って私の足に貼った。
「お疲れ様でした、中々よい勝負でしたね。」
「ありがとうございました!」
「さて、じゃあ次は汰紀と相楽です。」
ただの夢です (笑)