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船に乗って四日が経った。僕は耳栓を持って来なかったことを後悔していた。多少は慣れたつもりだったが、いい加減、辟易している。この、船底から響いてくる蒸気船ならではの振動音に……。
病欠の彼は未だに体調が戻らない。マルセイユ港までは三日……。あともう少しの辛抱だ。
僕は寝椅子から空を見上げた。乾いた空気に混じる潮風が心地いい。これで兄さん以外の人間が誰もいなかったら完璧なのだが……。僕はデッキを行き交う人々を見て思った。
「いい天気だね。ジョシュア君」
「エドワードさん」
僕は寝椅子から起き上がって言った。
「ジョージ君は?」
「兄さんは部屋にいます。今さっきまで居たんですが、今日は日射しが強いと言って帰ってしまって」
「そうなのか。横、いいかな?」
「どうぞ」
僕は言った。
「確かにちょっと強いかな。日射し」
彼は頭をずらすようにしてパラソルの端から空を見上げた。
「……」
「ところで、君たちはどこで下りるの?」
「マルセイユ港です」
「……そうか。もうすぐだね」
「ええ」
「そう言えば、みんな君のこと褒めていたよ」
「そうですか」
「ああ。君はヴァイオリンが好きかい?」
「はい。弾いている時は心が落ち着きます」
「それは僕もわかるよ。でもこうして仕事にしてしまうと、昔のようにはいかなくなってしまうことがあって……」
自分の足先を見て、エドワードさんは言った。
「そういうこともあると思います」
「ああ……そうだね」
「後悔していらっしゃるのですか?」
「……そうじゃない、と言えば嘘になる。そう、だとも言えばまた嘘になる。まあ、世の中はそんなものだよ」
彼はそう、自分に言い聞かせるように言った。
「……ええ」
「すまないね。こんな話しを年下の君にして。お詫びと言ってはなんだけれど、何か冷たい物でもご馳走するよ」
彼は笑顔を浮かべて言った。