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老戦士ジェバ

 老人はしばらく動かなかった。だが、やっとのことで頭を整理すると、皆を呼ぼうと息を吸い込んだ。

「待ってください!」

 老人は口を閉じて、代わりにぶしつけな口調で問いかけた。

「そなたは何者だ? マダーナンを穢したな!」

 老人は短剣を抜き、ゆっくりと近づいてきた。エリュは立ち上がり、両手を前にかざした。

「待ってください! わたしは昨日、このウーロ山を登ってきて、そこで吹雪に遭ったので、目の前に見えたこの建物の中に入ったんです。神殿だっていうことは入ってから気がついたのですが、外は吹雪だし、やむを得ずここで夜を明かしたのです。もしそれが神さまを怒らせることなら謝ります」

 老人はいくらか落ち着きを取り戻したようだった。だが短剣の輝きが和らぐことはなかった。

「名前は何という?」

 エリュは唾を飲んだ。短剣の冷たい刃が、五年前の人質にされたときの記憶を引き起こしていたのだ。

「エ、エリュです」

「わしはジェバだ。その目の色は……」

 老人は杖をついていなかった。体つきは頑健で、狼の毛皮を纏っていた。

「あなたは〈吹雪の一族〉ですか?」

 老人にはエリュの問いが聞こえていなかったようだった。ただエリュの目が気になって仕方がないようすだった。彼は意を決したようすで問いかけた。

「そなたは、シェサーナと同じ目をしているが……」

 旅人は緊張を覚えた。本当のことを話すべきなのだろうか? ここに〈虹霊の水晶〉がないのなら、まだ探しているだろう。ここで話したら捕まえて場所を吐かせようとするかもしれない。ここは慎重に――。

「さあ……シェサーナって誰ですか?」

 老人は戸惑ったようだった。

「ああ……いやすまない。わしの娘のことなんだ」

 エリュは頭が痺れるような感覚を覚え、言葉を失った。自分に祖父がいたとは思ってもみなかったのだ。しばらくして冷静になると、問いかけた。

「シェサーナさんはどんな人だったんですか?」

「娘は、物静かで、いつも遠くを見て、何かを考えている感じだった。それから……」

 祖父の言葉が止まった。エリュが首を傾げると、老人は微笑を浮かべ、溜め息をついた。言葉に困っているようだった。エリュはぼそっと言った。

「まるで歩く彫像のようだった?」

 ジェバは大口を開けて笑った。

「まったくその通りだ。歩く彫像とは上手く言ったもんだ!」

 エリュも思わず笑ってしまった。

「一晩ここで眠っていたのか? 寒かっただろう、家に来て暖まってはどうだ?」

 旅人は悩んだ。たしかに寒かったのもあったが、このまま〈吹雪の一族〉に突きつけられるかもしれない。だが、やはり温暖なカ・レア島で育ったエリュにとって、この寒さは長く耐えられるものではなかった。

「じゃあ、お言葉に甘えて」

「お互いさまさ。ウーロ山では当たり前のことだ。ここはラヴェ・エスタ国で唯一霊名術を使えない場所だ。自然は大きく、誰にも制し難い。頼りになるのは人との繋がりだけだ」

 たしかにウーロ山の雪は厳しい。カ・レア島やゲ・ルイ島の雪とは違う。永い時が紡ぎ出した捕食者であった。生き物が他の命を殺して成長するように、ウーロ山の雪は死者を呑み込んでいくのだ。

 彼女は立ち上がり、毛布をしまうとジェバについていった。彼は神殿から出ようとして、額を押さえた。

「これはうっかりした。マダーナン神に祈りを捧げることを忘れていた」

 ジェバは神殿の中へ駆け、台の前で祈りを捧げた。エリュも思わず気後れして、祈りを捧げた。

 二人は立ち上がり、ジェバの家へ向かった。雪に足をとられながらも、エリュは雪原に足跡を残していた。リュ・ウーロ族はみんな戦士なのだろうか? 母さんも短剣を使っていたし、ジェバだって体つきから戦士だったように思える。

「リュ・ウーロ族はみんな戦士なんですか?」

 ジェバは首を横に振った。

「そんなことはない。ただ、麓に下りるリュ・ウーロ族の割合の中で戦士が多いだけだ。戦士の中で下りないのは最も優れた戦士である〈水晶の守護者〉だけだ」

 ジェバはさらに記憶を辿り、娘の話も始めた。

「シェサーナも〈水晶の守護者〉だった。だが、シェサーナは青緑色の目の者だったから信頼はされなかった」

 エリュははっとジェバを見た。

「青緑色の目がいけないんですか?」

 老人はエリュの目を見て、気まずそうにひげをなでた。

「まあ、リュ・ウーロ族では迷信があってな。一族としか血縁を結べないリュ・ウーロ族の中で、別の色の目が生まれてくることが何度かある。呪いの目といわれている。マダーナンの宿敵〈闇焔神〉ロゲシュルの目。その目で生まれたばかりのシェサーナは母親を殺したと皆は言った。その眼光が母親の身体を切り裂いたと」

 エリュはジェバが見えなくなってウーロ山の風景に放り込まれたような感覚を覚えた。母さんがお祖母ちゃんを殺したということが信じられなかった。生まれたばかりでそんな力はあるはずがない。しかし、エリュは母に暗い影を感じることがあった。エリュはその暗い影のせいで甘えられなかった部分があったことに今頃ながら気づいた。

 ジェバの家に辿り着いた。彼の家は急斜面の屋根のついた木造の家で、周りには他の家も見えなかった。

 老人は家の戸を開けた。家の中は質素で、調度品も少なかった。強いて挙げるなら壁に飾られた剣くらいだった。客人はその剣を見て、緊張を覚えた。

 老人は客人に椅子を勧めた。エリュは大人しく座ったが、冷え切った椅子は彼女の背筋を逆立たせた。老人はテーブルの真向かいの席に座った。

「だが、わしの妻をシェサーナは殺してはいないのだ」

 エリュはほっと息をついた。だが、ジェバの頬は引きつっていた。

「殺してしまったのは、わしなのだ」

 客人は息を飲んだ。早くここを立って、逃げ出したい衝動に駆られた。だが、老人の藍色の目から逃れられない気がして、そのまま座っていた。

「わしはヴァテハルが――妻が――呪いの子を産んだことで子を殺そうとして、妻を斬ってしまったのだ。だが、あの子に呪いを負わせたのはわしだ。リュ・ウーロ族の中で母を殺したのはあの子だという話が広まったのだ。わしは否定した。だが彼らは『あの子の目がお前を狂わせたのだ』と聞き入れられなかった。

 シェサーナは呪いの目を疎まれ、というよりは恐れられて、誰も話しかけようとしなかった。ウーロ山に住む者全てが、彼女を孤独に追いやってしまった。シェサーナはわしのことを父として見たことが一度もない。母を殺した仇として、孤独の元凶として憎んでおった」

 旅人は母が抱えてきた闇に飲まれた。わたしだって、こんなに母を殺したリュ・ウーロ族のことが憎いのに、母さんはそれが父親だったなんて――。

 母さんは呪いの子と後ろ指を差され、憎き仇の父をどうしても受け容れることが出来ず、心は常に孤独であったのだろう。それでも、心の奥底では、家族を求めていたに違いない。そうじゃなかったら、父さんと結婚し、わたしを産まなかっただろう。謎めいた母にずっと問いかけたかった答えを知った今、彼女は母を強く、弱い人だと思った。他に傷つけられるのが怖くて、他を傷つけることを学ぶ。母が強いのは、自らに弱い部分があることを知っていたからだ。彼女は母の苦痛を思うと、自分も苦しくなった。母さんはもっと辛かったと思う。

 ジェバはおもむろに立ち上がると、壁から剣を取り出した。逃げなきゃ。エリュはそう思ったが凍りついたように身体が動かなかった。老戦士は剣を抜き、エリュの前でかざした。孫娘は目をつむった。空気までもが凍りついたようだった。部屋の中のものが全て動きを止め、沈黙だけが流れた。やがてジェバが沈黙を止め、空気を震わした。

「わしは悔やみ続けた。やがてシェサーナは、戦いの術を教えて欲しいと言い出してきた。その目に復讐の炎が燃え上がっているのは一目瞭然だった。わしは戦士の性分で己よりも強い者にしかこの命を捧げん。わしは娘に全ての武術を注ぎ込んだ。それが償いに繋がることを望んでいた。だが、シェサーナは十七のとき、ウーロ山から去った」

 ジェバは剣を差し出した。

「そなたが姿を現したことは、因果なのだろうな。シェサーナは麓で命を落とし、わしに復讐する者もいなくなった。だが、罰は逃れられない。改めて今日、そう思うよ」

 話が読めず、エリュは首を傾げた。ジェバは笑ったようだった。

「償いの時を失ったわしは虚ろな日々を送った。だが、運命はわしを見捨てなかったらしい。同じ色の目を持つ者が、裁きに出向いてくれたのだから」

 エリュは頭が痺れるような重い衝撃に襲われた。それ以上の言葉が入ってこなかた。ジェバはわたしに殺せと言っているのだ。

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