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精霊の姿

「起きてエリュ」

 エリュは目を覚ますと、強烈な光に思わず目を押さえた。しばらくして手を離すと、彼女の視界に入るもの全てが輝いていた。壁、天井、窓から差し込む光、そしてナナクの髪まで。

「もう昼よ。結局来なかったよ。それにしてもぐっすり寝たみたいね。さっぱりしてる」

 エリュは布団をたたんでしまいながら恥ずかしそうに言った。

「ごめんなさい、徹夜は得意だけど早起きは苦手だから」

 ナナクはにっと笑い、赤い果実を差し出した。

「朝食どう?」

 エリュは受け取り、椅子に座って一口食べた。歯ごたえと共に林檎に似た甘酸っぱさが広がった。

 ナナクもテーブルの向かい側に座り、客人のようすを伺っていた。

「食べながらでいいから、あたしの質問に答えて。あなたは〈異界の門〉が視えたのよね?」

 エリュは相手の真剣な表情に気圧されながらもうなずいた。

「じゃあ、やっぱりヴォテ・ノルエ・リンドを持つのね?」

「ええ、分かったのはつい最近だけど、小さい頃から精霊のことは視えていたわ」

 相手の答えに、ナナクは衝撃を受けたようだった。

「そんなことが……」

 今度は果実を食べ終えたエリュが訊いた。

「ねえ、あなたはこの森で頼りにされているみたいだけど、何者なの?」

 ナナクは黄緑色の目でエリュを見つめた。

「あたしは、〈森の魔女〉。木霊の森で精霊を保護しているの」

「精霊たちの保護?」

「この木霊の森は一国と同じくらいに広がっていて、〈呪われし土地〉だって呼ばれて霊界の住人は誰も近寄ろうとしない。魂のない精霊がここに住みついているから……」

「四大精霊のことね?」

 ナナクはけげんな顔をした。エリュは生命界で、万物を構成する霊だと考えられていることを説明した。それを聞いた〈森の魔女〉は笑った。

「そんなの違うわ。あたしたちの感情や行動一つ一つが、異界に影響を与えている。それに生命界とか霊界とか関係ない。あたしたちは互いに精霊なのよ」

 エリュはナナクの答えにしばらく何も言えなかった。精霊が万物を構成しているわけじゃない? 霊名術を学んできたエリュにとって、その言葉は世界が崩れていくかのようだった。だとしたら、わたしが視てきた世界というのは?

「だとしたら、四大精霊は何者なの?」

 エリュの声は震えていた。精霊が何を思っているのか、それを知りたくて霊名術を学んできたのに、それが何も感じていないなんて信じたくなかった。ナナクは切なそうに窓を見た。

「それが分かったら、苦労しないわ。あなたがその手がかりを持っているんじゃないかって木霊やあたしは思っていたんだけど……」

「ごめんなさい。精霊に魂がないことを今初めて知ったくらいだから……」

 ナナクはかすかな希望を消されたというのに、何もなかったかのようにエリュに笑いかけた。それでも客人は〈森の魔女〉が落胆していることに気づいていた。

「気にしないで。それより霊界のこと分からないでしょ? 何なら……」

 エリュは椅子から立ち上がり、頭を下げた。

「ナナクさん。わたしに精霊のことを教えてください。教えられるだけ、ナナクさんが傷つかない範囲でも、教えてください。お願いします」

 今度はナナクがエリュの勢いに圧倒される番だった。

「……顔を上げて。分かった。わたしが分かっている範囲を話すわ。でも、その前に――」

 ナナクは立ち上がり、エリュを見下ろした。

「精霊に会ってみたほうが、わたしの言うことも分かると思う」


 二人は霊界の森の中にいた。エリュは物珍しそうに木霊の森を見回していた。真夜中とはようすが違っていた。森の木々は黄金色に輝いていた。森の中の霊獣も光を放っていた。生命界の森とは違った。生命界の森は木々が多くなるほどに暗くなるが、霊界の森はさらに明るく輝く。

 ナナクは深呼吸した。森から吹く心地よい風が無垢な空気を運んでくる。

「さっき言ったように、あたしたちの思いや行動一つ一つが、異界に影響を与えている。この風が吹くのもそう。霊界と違う世界での行われた行動が風となって吹く。風だけじゃない。自然現象、生や死、転生までが異界の影響によって起こっている」

 ナナクは一本の木を指差した。エリュは地の精霊の姿を見つけた。生命界で視ていた姿そのままに、森の木に腰掛けて上を向いていた。

 エリュは思わず好奇心が導くまま、地の精霊に近づいていった。精霊は何も反応を示さなかった。空を見ていた。だが、そこには心がなかった。実体はあるのに、まるで死んでいるかのようだった。

 エリュは触れらなかった。触れたら、その存在が崩れてしまうような気がした。ナナクが背後からゆっくりと話し始めた。

「異界に影響を与えている力――それが霊力よ。霊力は魂の持つ意志によって方向付けられ、力を及ぼす。だけど、ここにいる精霊は滞った霊力が固まったものなの。行き場を失った霊力が、霊界で形となって、どこにも行けずに漂っているの」

 そして霊名術は滞った霊力を利用して自然に影響を与えている……。精霊は魂がないから抗うことも出来ずに、利用され続けてきたんだ。エリュは罪悪感を覚えた。

「みんなは魂を奪われるんじゃないかって怖れている。でも、この森に入ってから一度もそんなことはなかった。何ていうか、自分の思いが伝えられなくて、心を閉ざしてしまったような――」

 精霊使いは〈森の魔女〉に霊名術のことを話すべきだと思った。手がかりになるか分からなかったが、ナナクは知っておいた方がいいはずだ。

「ナナクさん。生命界では、霊名術という四大精霊を操る技術があるんです……」

 エリュは精霊の名前によって四大精霊を支配することが出来ること、それはセルーナが〈天の邪神〉と三つの塔の誓いが立てられたからであることを話した。

 精霊使いは自分が話している間、ナナクの感情を読み取れなかった。話し終えると、ナナクが口を開いた。

「たしかに、突然どこかに消えて再び出てくることがあったわ。でも、生命界の人にこき使われていたなんて……。〈天の邪神〉が精霊の正体なのね? 三つの塔の誓い――その時に何かがあったんだわ。だとすれば――」

 ナナクはエリュから得た情報で半ば興奮していた。だが、エリュはそれに伴って罪悪感が冷たく募っていった。

「ごめんなさい」

 ナナクは戸惑いの顔を浮かべた。

「何で?」

「だって、精霊がこんなことになっているのに、何も知らないで操っていた」

「知らなかったんだから仕方がないわ」

 エリュは黄緑色の小袋を握った。霊界を渡って、この小袋の感触も少し違うものになっていた。彼女は今回握ったのは特別な意味があることを、その違和感で実感した。

「わたし、精霊を解放する手段を生命界で探そうと思います」

「行くのね?」

 エリュはうなずいた。

「そのほうがいいのかもしれない。あなたは生命界にいたんだもの。あたしには〈異界の門〉は視えない。でも、〈生ける精霊〉なら境目を渡ることが出来る」

 ナナクは口笛を吹いた。黄金色に輝く森の奥から〈地獣王〉が駆けてきた。

「乗って。いい? 異界の狭間を渡っている間はオーフォンラにしがみつきなさい。その武人の霊も狙っているかもしれないけれど、〈地獣王〉に敵わないでしょうし。気をつけてね」

「お世話になりました」

「また〈異界の門〉でも視えたら、遊びに来てよ。あたしも霊界で精霊を解放する術を探してみようと思う」

「お元気で」

 エリュは別れの言葉を交わすと、オーフォンラの背に乗った。ナナクは〈地獣王〉の耳の後ろを叩いた。狼に似た霊獣は森を駆け出した。エリュはしがみつくのが精一杯だったが、後ろを見ると、ナナクが手を振っているのが見えた。そのナナクの像がぼやけ、エリュは身体の力が抜けるのを感じた。

 未だにオーフォンラの毛皮にしがみついている。なのに、風圧も自分の身体の重みすら感じなかった。〈地獣王〉は銀の枝の上を駆けていた。無限に絡み合った銀色の糸が森のように世界を形作っていた。その糸は次々と伸び、繋がっていき、さらに太い幹を作り上げていく。地面は見えない。糸はどこまでも無限に伸び続け、空間に広がっていった。ここが、異界の狭間……。エリュのヴォテ・ノルエ・リンドは黒い空間の中に生命界の像を見出した。しかし、実体を感じなかった。まるで生命界にいたときに霊界の精霊を視ていた感じだ。

 オーフォンラが突然止まった。〈地獣王〉が駆けないと、まるで空間に放り出された浮遊感に包まれる。そこには青い糸が絡まって出来た輪があった。その先に視えるのは、生命界の像だった。

「ありがとう」

 エリュはオーフォンラから降り、銀の枝の乗ると、頭を撫でた。〈地獣王〉は銀の鐘のような音を鳴らして応えた。彼女は手を振り、青い輪の中に入っていった。霊界で身体を形作っていた元素が離れ、生命界の四大元素が重みを持って身体を形作っていった。彼女は生命界に足をつけた。


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