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開国の祝典

 国が始まったのと同じ日の朝がやって来た。朝食を済ませると、エリュはしばらく部屋に馴染もうとするかのように、また寝台に横になった。

 王城は豪勢だが、何か影のようなものを感じさせた。そう、これは母と逃げたあの森での感覚に似ている。背後から自分を傷つける何かが迫ってきているような感覚だ。

 しかし、王城には衛兵もいるし、自分だって霊名術は使える。危険はないはずだ。だが、彼女はこの華々しい王城に死の妖精の影を視てからというもの、不安を否定することは出来なかった。


 王城の門に、次々とさまざまな人々がくぐっていった。ラヴェ・エスタ国開国記念を祝するために王族や貴族、精霊使い、吟遊詩人、芸人、異国から来た貴族たちもいた。北のカラティア帝国の皇帝や、西の僧侶の国ルントゥー国の大僧正に東の大国エヴルート国王……。それぞれの国々の重臣たちの引く豪勢な馬車が、王城の門に入っていった。

 エリュはこれだけたくさんの者たちを見るのは初めてだった。ゲ・ルイ島の地獣王祭でもこんなに集まっていなかった。

「ホルク殿下。あの人は……」

 王族出身の精霊使いはその人物を見て、決まり悪そうな顔をした。

「あれはラヴェ・エスタ国の貴族ルハ・ナール家の当主オルザン殿だ。王族の遠縁で、王城を守る衛兵たちの大半がこのルハ・ナール家出身だ。オルザン殿はその中でも衛兵隊長を務める人物なんだが、城を抜け出そうとするたびに手ひどくやられてね」

 ホルクはその後もエリュの脇から入ってくる賓客について説明してくれた。

 〈海鷲の戦士〉と名高いカラティア人は、逞しく恐ろしげだった。特にカラティア帝国皇帝カイベルの目は本当に鷲のようだ。彼らはセルーナの伝説に登場する〈海の魔神〉を崇める民の末裔といわれている。

 ルントゥー国は〈僧の国〉と呼ばれており、特に大僧正は神の化身といわれ、ルントゥー国の権力者と同時に信仰の対象とされている。そのため内乱は神への反逆ということになり、起こることは稀である。

 エヴルート国は外交で発展した砂漠の大国で、外国語を流暢に使いこなして他の国と話をしていた。

 ラヴェ・エスタ国王が石舞台の上に立つのと同時に、群衆から言葉が消えた。この石舞台は国王が政策を発表するときにも使われるが、主にこの儀式のために作られたものだ。

 そして、今ラヴェ・エスタ国王アスハンが石舞台を踏みしめた。アスハンは威厳ある声で来客者に叫んだ。

「遥々海の向こうの国々から、お越しいただいたことに感謝を申し上げる。今日、セルーナが誓いを立て、初代国王リーグを指名し、ラヴェ・エスタ国が生まれた誠にめでたき日である。偉大なる初代国王リーグに感謝を捧げ、我らまで血が受け継がれてきたことを誇りに思う」

 アスハンは昇っていく太陽で金色に染められ、神々しく見えた。ルントゥー国にいたっては、魔術師と巫女に守られた王族は不気味に思われた。

 エリュは国王を前にして、息を飲んだ。国王の背後に黒い影が視えたような気がしたからだ。だが、それはすぐに消えてしまった。エリュは自分の顔から血の気が引くのが分かった。あれは死の妖精……?

 舞台の上からアスハンが降り、代わりに役者たちによるセルーナの誓いが立てられるまでの劇が行われた。

 セルーナが三つの塔を築き上げるまでの伝説は、他国の者でも目をみはるものがあった。セルーナ役の男性は、〈大地の神〉の前でひざまずいた。

「わたしに神と戦えとおっしゃるのですか?」

「〈天の邪神〉め!」

「さあ、大地の名の下に改心せよ。全てを受け容れる大地へ」

 エリュはすっかり劇に魅せられていた。セルーナの一生を本で読んだことはあったが、それでも実際に生きた声で聞くのもまた違って面白かった。

 だが、劇の最後にさしかかったところへ、見慣れぬ白い外套を羽織った人間が舞台の上に立った。劇の流れとまったく違うゆっくりした足取りは、異様な雰囲気を生み出し、見事だった劇も人々の目を留めることは出来なかった。

 エリュは別の意味で衝撃を受けていた。生命界の存在じゃない。それなのにみんなにも見えている。いや、精霊使いの身体を借りているのかもしれない。何をしようとしているのだろう?

 役者たちは演技をやめた。その人物の周りから気まずい沈黙が流れる。その人物は両腕を広げた。ローブで見えなかった顔には銀色に輝く仮面が身につけられていた。

「我はルーフ。正当なる王位継承者だ」

 民衆の中から混乱の声が聞こえた。特にルハ・ナール家のオルザンは守るべき王族を侮辱されたと罵った。男が手を掲げると、沈黙が波紋のように広がった。

「我、この国が生まれたのと同じ日に、予言をしよう。深淵に沈む罪、精霊使いの国を飲み込み、清められるだろう」

 突然現れ、突然予言を下したルーフは、周囲の静寂を、その言葉で操っているかのようだった。誰も、沈黙を崩そうとしない。静寂の中に言葉が広がったとき、狂気が意識の表面から溢れ出すのを恐れていた。カラティア皇帝と護衛は、そもそも予言というものを認めたくなかった。ルントゥー国の大僧正は彼に悪魔が乗り移ったものと思い、エヴルート国の商人たちは彼が狂っていると思った。だが、彼らには分かっていた。予言者の言葉に逆らうことは出来ない。その言葉を耳にしたときから逃れられないのだ。

「おのれ! どこまでも馬鹿にしおって!」

 オルザンは沈黙を打ち破り、剣を抜いてルーフに突いた。ルーフは跳び上がり、剣の先に飛び乗った。

「勇ましい武人よ。だが、そなたの主はこのわたしなのだ」

 ルーフが再び跳び上がり、地面に足が着いた時にはもうその姿はなく、白いローブが石舞台を覆った。

 エリュは白いローブから抜け出た者の顔を視た。燃え上がるその目を。他の五つの異界のどの存在かは分からなかった。顔が視えても悲鳴が出てこない。

 しばらく沈黙は途絶えなかった。オルザンすら言葉が出なかった。彼の勇ましい行為がさらに沈黙を濃いものにしていた。彼らは未だに自分がルーフの縛りから解き放たれたことに気がついていなかった。

 やがて、劇の次に控えていた吟遊詩人が舞台の上に立ち上がって歌い始めると、歓声が響いた。だが、そのほとんどが音を拠り所とし、沈黙をかき消すために必要としていただけだった。だから彼らの耳に入るのは、美しい旋律ではなく、一つ一つの、沈黙を消す音だった。吟遊詩人はそのことを不快に思っていなかった。彼もまた、音が消えないように次々と弦を弾いているに過ぎなかったのだから。

 国の始まりを祝う開国の祝典は、皮肉にも国の滅亡を予言された、悲劇の日となってしまった。


 開国の祝典が終わり、沈黙が流れると、人々はそこにいるのが耐えられないかのように王城から出て行った。沈黙はさらに深まっていった。

 エリュはうつむき、黄緑色の小袋を握った。一体、何が起ころうとしているの? あの〈異界の存在〉が予言したラヴェ・エスタ国の滅亡とは? わたしが王城に入ったときに視た死の妖精は、あの男だったのだろうか?

「エリュ」

 名前を呼ばれ振り返ると、そこにはホルクがいた。彼はいつもの微笑を浮かべていた。

「街はお祭り騒ぎだが、行くか?」

 王族出身の精霊使いは訊きながらすでに足を町に向けたが、エリュは彼を呼び止めた。

「ホルク殿下!」

 精霊使いはけげんそうに首を傾げた。

「あの……ルーフがなぜ今になって――」

 ホルクは周りに目を凝らし、人差し指を立てた。

「それが、全く分からないんだ。何が起こっているのか、ルーフの生まれ変わりか、それとも彼の名を名乗る何者なのか……」

 彼女は胸騒ぎを覚えた。頭の中に王城で視た死の妖精の姿を思い出していた。あの妖精が狙っている魂が王族のものだとしたら――。

「ホルク殿下――」

 エリュの顔から血の気が失われていた。誰かが死ぬなんて予感するだけでも嫌だ。

「どうした?」

「わたしは、未だに名前のない精霊の姿を視ることがあるんです」

 ホルクの目に好奇心が宿った。

「名前のない精霊だって?」

「霊名術ではその名を知られていない精霊です。わたしは彼らを死の妖精と呼んでいます」

「死の妖精?」

 エリュは重苦しくうなずいた。

「人が死ぬ時、傍らで魂を待っている精霊です」

 ホルクは感慨深げにうなった。

「たしかに霊名術では聞いたことがないな」

 王族出身の精霊使いはエリュの蒼ざめた顔を見て、彼女が話したいことがそれではないことに気づき、次の言葉を待った。

「――わたしは、王城でその精霊を視たのです」

 ホルクはその言葉を聞き、次に行動すべきことが分かっていた。

「きみの目が必要だ。王城に戻っていいか?」

 エリュがうなずくと、二人はすぐさま王城に戻り、エリュは周りを見渡した。死の妖精の姿は見当たらない。ホルクはエリュの手を引いた。

「国王は今、賓客を交えて会食をしている」

 王族出身の精霊使いは、慣れた足取りで王族が会食する部屋まで急いだ。やがてその部屋に辿り着くと、衛兵に扉を開けさせた。アスハンを含む王族たちはホルクの姿を見て呆れた顔をした。

「ホルク、会食に遅れるとは何事だ?」

「国王陛下。元々来るつもりはなかったので、お褒めの言葉をいただきたいくらいです」

 カラティア帝国皇帝がホルクの肝の据わった言葉に大笑いした。アスハンが咳払いすると、皇帝は笑いを噛み殺した。

「それでホルク、その来るつもりのなかった会食になぜ顔を出したのだね?」

「〈セルーナの生まれ変わり〉がある不吉な影を視たと言いまして……」

 エリュは王族や賓客を見回した。アスハン国王、ラナータ王妃、二人の娘であるアティテル王女、宰相のムーファ……。エリュは王族の背後に死の妖精の姿を見つけられなかった。とりあえず死の予兆はない。

「ホルク殿下、心配はない――」

 エリュははっと息を飲んだ。ホルクの背後に黒い影を見つけた。それは銀髪の若い武人の姿をした霊だった。黒いマントを羽織り、虹色の目を持っていた。〈知識を超えた目〉――。

 賓客たちは、虹色の目を持つ娘に釘付けになった。武人の霊は鞘に手をかけると、刀を抜き放った。

「だめ!」

 エリュは思わず飛び出し、ホルクを押し倒した。武人の霊の刀が振り下ろされ、エリュの腕に血がほとばしった。それを見た一同は驚きに目を見開いた。

「エリュ!」

 エリュは血があふれ出る腕を押さえ、痛みにうめき、その場に座り込んだ。

 武人の霊はしばらく呆然と立っていたが、その姿は薄れるように消えた。エリュはそれを追おうとしたが、そこで意識を失った。

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