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黒猫劇場  作者: 藤野一花
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第二幕 綺羅星駅

 ぼくたちはそろって、煉瓦造りの古風な建物に入った。床はカラフルなタイルが張りめぐらされていた。昔、この駅はおもちゃ工場だった、と聞いている。

「ヴァージナル、ここでお別れよ」

 リグは駅構内の中央広場で突然立ち止まった。そして、にっこりと笑った。

「え、どうして?」

 この駅は町外れ。中心街へ向かう列車しか出ていない。少しは一緒にいられると思っていたのに。ぼくは戸惑った。

「ひさしぶりにヴァージナルと一緒に列車旅行も楽しそうだけれど。もう、ここからは別行動よ」

「そっか、大切な試験だものね」

 ぼくは自分に言い聞かせるかのように、頷きながら言った。

 そこで、ぼくたちはさよならを言うわけでもなく、急に黙りこくってしまった。

 沈黙をやぶったのはリグだった。

「ねぇ、ヴァージナル」

 リグは得意の相手の顔をのぞきこむような仕草で、ぼくの名前を呼んだ。

「十三才で家の仕事を任されて、いつ戻るかわからない旅に出るあたしは、立派だと思う?」

 リグの質問にぼくはすぐ答えることができなかった。何て答えたらいいものか分からなかったからだ。

「ぼくなんかよりも」

 つまらない答えだと思った。

「つまらないなぁ」

 リグが言う。あまりに的確に言われたので、何も言えなかった。ぼくは下を向いてしまった。

「答えじゃなくて、」

 彼女は探偵一族に生まれただけあって、頭がいい。いくらぼくが足りない言葉を言っていたとしても、正確に考えを把握してくれる。いまのぼくの心境もどうやら察しているようだった。リグに隠し事はできないな、といつも思う。

「ヴァージナルは、自分を低く見すぎだよ。あたしの家は代々、探偵って決まってる。ほかの何でもなくて、花屋でも仕立屋でも靴屋でも学校の先生でも、踊り子でも作曲家でも。それはね、ヴァージナルがここで蛙になっちゃうより、ありえないんだ」

 リグのたとえは何だかメルヘンチックだったけれど、確かなことだ。

「あたしは決まってることやってるだけ。ヴァージナルが毎日、学校に行かなきゃいけないのと同じ」

 そこでにっこり笑った。

「でも、ヴァージナルは自由なんだよ。なんでも出来る。あたしは下絵のあるキャンバスみたいなもので、色彩こそ自由。でも、ただ、なぞってるだけなの。綱渡りするみたいに、両足で必死に線をなぞるだけ。でも、ヴァージナルは真っ白いキャンバスに何を描いてもいいの。それは線をなぞるあたしより、はるかに難しい」

「うん。いま、ぼくはわからないんだ。何を描いたらいいのか。なぞるだけでも、リグは希望に満ち溢れている」

 リグはぼくの告白にびっくりしたようだった。顎に手を当てて、真剣な顔で考え込んでいるようだった。

「あたしは、」

 リグが声を発した。それにぼくが反応する。

「やっと、綱渡りを決心したの。いままでは綱から降りたくて、ヴァージナルが羨ましかった」

「え、ぼく?」

「そう。なんでも出来るのに、どうしてわざわざこの子は探偵に憧れるんだろう、って。変わってくれたらいいのに、って思ってた」

 そうか。だから初めて出会った頃のリグはぼくにとても好戦的だった。

「でも、楽しかったから。ヴァージナルと先生と三人で勉強するの」

 そのころのことを思い出したのか、片手を口許にあてて、本当にうれしそうに笑った。 その時間はぼくにとっても、貴重なものだった。常に早口で芝居口調の先生の授業はおもしろかったし、リグというともだちが出来た。

「ぼくも同じさ」

「ヴァージナルはさ、いまは好きなことしたらいいんだよ。音楽に興味もつことも素敵だと思う」

 そんなリグは、よくぼくのヴァイオリンを何度も触りたがった。先生に怒られるからと、探偵社の屋根裏部屋で。先生には全部お見通しだったけれど。

「ねぇ、ヴァージナル。さっき、別れ際、先生あたしになんて言ったと思う?」

 さっき。

 不安そうなリグを抱きしめた時のことだろうか。ぼくは首をふった。


「どんな結果になろうとも、君にとって、大きな一歩になろう」


 成功しなきゃ帰れないのわかってるくせに、と彼女は口をとがらせて、ここには居ない先生を笑った。

「だからさ、ヴァージナルも軽い気持ちで、ね」リグはそういってひとさし指をぴんと立てた。「軽い気持ちでヴァイオリン弾きに行ってきちゃえ、ってこと。嫌だったら帰ってきちゃえばいいんだし。気持ちのこもっていない音楽ほど、つまらないものはないよ。ママだって、言うこときかない子に毒りんご仕込む魔女じゃないでしょ」

 ぼくはそこで初めて笑った。

 それに安心したのか、リグも微笑む。

 彼女は肩から提げられた小さめの鞄から、紙片を取り出しぼくに渡した。

 そこには、

 印字でこう書かれていた。


「探偵社グリッグス リグロア・アレグロ」


「これって、」 

「仮の名刺。立派に探偵になったわけじゃないけど、仕事するからにはね。蛙にされちゃった時には是非ご依頼くださいませ」

 リグはおどけたような仕草と悪戯っぽい表情で言った。

「ありがとう」

 ぼくは名刺を受け取り、しばらく眺めていた。リグはそんなぼくの様子を満足そうに見つめていたが、構内の時計を見上げると、そろそろ行かなきゃ、と呟いた。

 時計の針は五時十三分を示していた。

「リグ、気を付けてね」

「うん、ありがとう。帰ったら、今度は一緒にどこか行こうね」

 そう言うとくるんと体の向きを変えて、ぼくに背を向けた。そうして、軽い足取りで広場を抜け走り去っていった。

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