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黒猫劇場  作者: 藤野一花
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第一幕 ヴァイオリニストの少年

 僕は夢と現実との狭間で漂っているような、妙な感覚のまま、サーカスの曲芸みたいに夜天を回転して居る。僕の身体は軽々と空高く舞い上がっていて、舞台の天蓋からぶら下げられた作り物のような満月に、ぼんやり浮かび上がっている。

 けれど、何かが頭に触れた様な気がして、僕はゆっくり眼を開けた。

 目の前を木の枝から離れた枯れ葉が、雪の様にひらひらと舞い降りている。側で誰かが枯れ葉を踏む音を立てながら、横切っていった。それを見て、僕は校庭の木の下でいつの間にか眠っていたことに気付いた。

 一体、何時間こうしていたのだろう?

 辺りを見渡すと、僕は身体中に枯れ葉をつけいた。足も半分以上覆われていた。手を何気なく枯れ葉の中に入れてみると、指先に冷たいものが触れた。

 引っ張り出してみると、それは、十ページくらいの冊子とロッカーの銀色の鍵だった。

 冊子の表紙にはシネマサーカス団と書かれていて、サーカス団員が宙を舞っている。今朝、学校に来る途中、道化の恰好をした男の子が広場の前で宣伝広告として冊子を配っていたのを思い出した。

「そうか、そのせいであんな夢を見たんだ」

 僕はそう呟きながら、茶色のダッフルコートのポケットの中を探った。そこから出て来たのは、今年の誕生日にパパから貰った、懐中時計だ。針は四時少し前を指している。

「大変だ!急がなきゃ」

 僕はサーカスの冊子と鍵を掴んで、急いで立ち上がった。そして、体についた枯れ葉を払い除けると、校舎の方へ歩き始めた。


 ガチャリ。

 ロッカーの鍵を開ける音が暗闇に響いた。

 学校のロッカーは利用する人があまり居ないせいか、地下一階にこぢんまりと置かれていた。そこには光が届くこともなく、電気のスイッチも壊れていて暗闇に包まれている。

 僕は慣れた手つきでロッカーの中から大きめのケースを取り出した。中身は三年前から習っているヴァイオリンだ。

 僕は毎日、学校帰りにヴァイオリンのケースを片手に五時十五分の電車に乗ることになっている。

 二つ先の駅まで行くと、ヴァイオリンは勿論、あらゆる楽器を習うことの出来るオルゴールという音楽教室が有る。でも、その決まりごとは二週間前からやぶっている。流石に二週間も風邪で休んでいると、ヴァイオリンの先生も嘘だと気付くらしい。昨夜、先生から電話がかかって来て、僕はママにこっぴどく怒られてしまった。

 別に、ヴァイオリンが嫌いな訳じゃない。

 いつまで経っても上手に弾けなくて、同時期に習い出した子達がどんどん先に行ってしまうのを見ると、孤独感に襲われてしまうのだ。

 でも……、

 本当にそうなんだろうか?

 僕はいままで何のためにヴァイオリンをやっていたんだろう?

 ママに叱られた後、僕は窓辺で夜空をぼんやり眺めながら、そんなことを繰り返し繰り返し、考えていた。けれど、満足のいく答えは浮かんでこなかった。僕は眠気に襲われ夢の中に引きずりこまれるまで、そのことばがり考えていた。

 おかげで今日は朝から眠くて堪らない。


 僕は人影のない廊下を歩いていた。

 薄暗く乾いた空気に、足音だけが谺する。

 光が漏れているのは職員室だけみたいだ。

 廊下の先にぼぉっと明るくなっている場所があったので、すぐに分かった。少し開いたドアから、明かりが細長く廊下に伸びている。そこを通り過ぎて、玄関から外へ出た。

 学校を出て駅がある大通りに着いた頃には、太陽の代わりに満月が街を照らしていた。けれど、街中には満月以上に目をひくものがあった。

 来月一か月間行われる降誕祭のためのツリーが、今年はじめて広場に大きくそびえていた。

 ツリーの周りには人だかりが出来ていた。子供も大人もツリーに眼を奪われて、動きを止められていた。まるで、チェスボード上の駒みたいに。

 そのツリーのせいで、街はたくさんのイルミネイションで溢れている。それはまるで、閉園間際の遊園地みたいで、僕は少しわくわくした。

「もう、ツリーがたってる。今朝通った時は無かったのに」

 僕は呟いた。

 それでも、お祭り前の騒がしさとか、眩しすぎる電灯とかに書き消されたみたいな、僕の声は僕にも聞こえないで、何処かに紛れてしまった。

 僕は人込みを上手くすり抜け、急いで近道の小径に入った。

 赤茶けた煉瓦畳。

 その先の入り組んだ狭い路地裏に入る。

 半分はたたまれてしまったが、お店の玄関口が至る所で僕に顔を向ける。

 花屋、洋菓子屋、酒屋。

 そして――、探偵社。

 路地裏の先の細い階段の側で人影が見えた。派手なかつらで分かった。

 探偵社のアレグロ氏だ。

 彼によると、探偵の技量はかつらが全てらしい。そのせいで、毎日見たことの無いかつらを被っては、みんなを驚かせている。

 アレグロ氏の家系は代々探偵で、かなり腕利きが揃っている。いまも遠い町の大金持ちの屋敷の専属探偵を務めているらしい。

 ただ、容姿があまりに浮世離れしているため、みんなからは煙たがられる存在だ。

 学校に入る前、僕がアレグロ氏に弟子入りしたいとママに申し出たら、真っ赤な顔をして反対されてしまった。

 仕方なく、いまは内緒でアレグロ氏のもとへ通い探偵指南を受けている。

「こんにちは、アレグロ先生」

 僕は近くまでかけていって、挨拶した。

 彼は腰まで届きそうなくらい長い、真っ赤なウェーブのかかったかつらを被っていた。

 髪の毛の至る所で、華やかな蝶を数匹飼っている。頭の天辺には小さな薔薇色の籠をまるで、王冠を被る様に乗せていた。

「やぁ、ヴァージナルくんじゃないか。今日の仕事は上手くいきそうだよ」

 彼は名前の通り、早口で言った。

「どうしてですか?」

「見たまえ。今日のかつらを。これまでに無い出来栄えではないか。君もそう思うだろう?」

 そう言うと、先生は金色の装飾が眩しい手鏡を素早く取り出し、かつらを確認し始めた。

「かつらなくして探偵業は務まらないと、君も知っているだろう?」

 かつらと探偵業。

 正直な所、それは先生の早口の聞きづらい喋り方だったり、妙に浮世離れした思考とか、そういったものより遥かに納得しかねる所だ。

 ただ、少し前に先生の書斎を掃除していた時に見つけた日記でちょっとだけ理由が分かって来た。それは可哀想に、先生お気に入りの音楽再生機に踏み台にされていた。

 日記のタイトルは、「かつらの必要性」

 なんとも立派なタイトルだと思った。

 それは、一章から三十章まであり、ちょっとした長編小説のようだった。先生に見せると、快く貸してくれたのだが、余りに酷い戯曲調で疲れてしまい、まだ数項しか読んでいない。

 ただ、かつらにより危険を免れた、というようなことが書いてあった。

 きっと、それが理由なのだろう。

「はい、先生にはじめに教わりました。今日のかつらは、……なんて言ったらいいんでしょう」

 僕は先生をじっと見つめた。

「遠慮は無用だ、正直に言いなさい。言いにくい言葉も相手を思えばこそだ。君が私を慕っているならば、尚更ではないか」

 先生はそう言うと、さぁ、と両手を大袈裟に広げた。

「お父さん、ヴァージナルが困っているじゃないの」

 探偵社の扉がギィと音を立てて開いた。

 現れたのは、少女だった。

 彼女の名はリグロア・アレグロと言う。アレグロ氏の娘だ。

 アレグロ氏には十一人の子供がいるのだが、この探偵社にいるのは彼女だけだ。他、十人は立派に探偵修業を終え、独り立ちを果たしていた。

 残るは、今年十三歳になる末娘のリグだけだ。

 リグは金色の髪の、それでいて短い髪をカールしたような髪型をしている。その上に真っ赤な帽子を乗せていた。

 赤と黒の縞のタイツと黒いブーツが印象的だった。

 黒い短い上着からは赤いチェックのスカートがのぞいていた。右手にはしっかりとキャリーバックを握っている。

「リグ、どこか出かけるの?」

 僕はここぞとばかりに話題を変えた。

「ええ、やっと探偵になれるの。今までヴァージナルと一緒にお勉強してきたでしょ。その成果が試されるのよ。今回、ひとりで探偵の大仕事をやり遂げるのが合格の条件なの」

 リグはとてもうれしそうに、声を弾ませて言った。

「探偵の試験みたいなものなのかな」

「そう。ヴァージナルも学校とかヴァイオリン教室でやるでしょ」

 リグはそう言うと、口を結んで軽く微笑みを浮かべた。それを見て僕は、そうだね、とだけ言った。

 同い年くらいの女の子がもう、夢に向かって前進しているというのに、僕は一体何をしているんだろう。

 突然、ひとりぼっちな気持ちに胸が苦しくなった。

 右手のヴァイオリンが余りに重く思えて、目の前の女の子が余りに眩しく思えて、この空気の中で息をするのが苦しかった。

 深呼吸した。

「ヴァージナル? どうしたの?」

 リグが心配そうに僕の顔を覗き込む。

 それは彼女の癖だ。

 恥ずかしいくらいに相手の顔を真っ直ぐ見て、話す子なんだ。

 自分に自信の無い僕には、出来ないことかもしれない。

 急に翠色の瞳に見つめられて、僕は我に返った。

「うん、大丈夫だよ。昨日、夜更けまで起きていたせいだよ。きっと」

 これは本当だった。

「そんなに起きていたの? 大丈夫?」

「リグロア、ヴァージナルくんは勉強家なのだよ。先日も代々伝わる日記を見せて欲しいと懇願してきたくらいに。大方、それでも読んでいたのだよ」

 先生は決め付けて、満足そうに微笑んだ。

「ヴァージナルってば、あの芝居くさい日記読んでるの? あたし一応読んだけど、仰々しい感じが嫌」

 リグはそう耳打ちしながら、悪戯っ子みたいに舌を出した。

 それに気付いたのか先生が何かな、と言うと、彼女は楽しそうに無邪気に笑った。

 時計塔の鐘が五時を告げた。

「さて、そろそろ時間のようだ。リグロア、準備は万端かい?」

 リグは先生の眼を真っ直ぐ見据え、はい、と言った。

 その眼には立派にやり遂げる自信と、やはり不安が宿っていた。それを見て取ったのか、先生は娘の肩を抱き寄せると、リグにだけ聞き取れるくらいに小さな声で何かを唱えた。

「じゃあ、行って来ます。先生」

 リグはそう言って先生から離れると、キャリーバックを持ち直した。それに先生も頷く。

「ヴァージナルもそろそろ駅に向かう時間だよね」

 軽やかな笑顔がこちらに向けられた。

 僕はうん、と頷く。

「では、ふたりとも頑張って来なさい。私も仕事に向かうとしよう」

 そうして、僕たちは駅への道を歩き始めた。


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