8: 執事と休息
「ご苦労様です。無事に餌やりを終えたようですな」
餌のケースを纏めて、ようやく全てを倉庫の中に戻し終えた時。
どこからともなく現れた執事が言ってきた。
「…………」
アタシは筋骨執事に、恨みがましい視線を送る。
こんなに大変だとは聞いてなかったぞ、と。
だけど執事は涼しい顔。
「少しの間、休んで下さって結構です。貴女のお陰で日頃手が廻らない仕事に着手することが出来ました。本当に助かりました」
「あ、いえ……」
真面目な顔で頭を下げられると、アタシも強くは言えない。
「食堂にいらっしゃい。お茶にしましょう」
執事はそう言うなり、館に向かって歩いていった。
アタシが断るとか、考えないのか?
と、思ったけど、確かに喉は渇いていたので、その後に付いていく事にした。
こっちの状況を見透かされているようで、何か嫌だったけど……。
+++
実際、執事が入れてくれたお茶は美味しかった。
今まで飲んだ事が無いほど。
さぞかし良いお茶なんだろう。
そんなことを考えていると、執事は口元を歪めて微笑んだ。
「それは、さほど高級なものではありませんぞ。貴女でも容易に手に入れる事が出来るものです」
「え? そうなの?」
「何でも、高ければ良い。と言うものでは有りませぬ。安くても質の良いものは、世の中には沢山あります」
「そんなものですかね……」
それは持っている者だから言える、高みからの見下した発言のように聞えた。
なので、アタシの言葉はつれない響きで紡がれた。
アタシは思う。
高ければ高いほど良いのだと。
でなければ、何故、誰しも金持ちになりたいと考えるのだろう。
それはきっと良い物が食べられ、良い物を手に入れられる、それを求めての事に違いない。
そういった連中が、この腐った世の中で勝ち続けていけている人間なんだ。
負け組の人生ほど、惨めなものはない。
特にその底辺にいるような人間の生活は、興味本意でも味わうものじゃない。
だからこそアタシは――――
っと、いけないいけない。
思考が暗くなりかけた。話題を変えよう。
アタシは何かないか周囲を見回して、唐突にあることを思い出した。
「……そう言えば、この屋敷には他の使用人はいないの?」
「ええ、居りません」
即答される。
執事は別に何を感じた風でもなく、平然としたものだった。
嘘を言っているようには見えない。
アルフの言っていた事は、本当だったのね……。
一体どういう事情からなのだろう?
「こんな広い家に、執事さん一人だと色々大変じゃないの?」
「そうでもありません。流石に館を全部掃除するのは無理ですが、最低限の範囲の掃除、坊ちゃんの食事の世話と、動物達の世話。する事と言えばそれくらいですからな」
どうやら昨日からの食事は、この執事作だったようだ。
ただ少しアタシは気になった。
「アルフの両親の世話は?」
執事が”坊ちゃんの世話”と断定した事が。
少しだけ執事の視線に、こちらを伺うような色が覗いた。
「…………今は、坊ちゃんの世話だけです」
それだけを執事は答える。
どういう意味だろうか。
この館には居ないということか、両親には別の執事が付き添っていると言う事か、それとも――――
だけど、それ以上執事がその事について、口を開く事は無かった。
食堂に沈黙が訪れる。
何となく重くなってしまった空気を払拭するように、アタシは努めて明るい声で話題を変えた。
「あ、あっと、そうだ。アルフから聞いたんだけど、この屋敷の警備は集中制御室っていう所でしてるの?」
「ええ、そうです」
話が変わって、少しホッとしたような顔で執事は答える。
咄嗟に口をついて出てしまった話題だったけど、これならいけるかもしれない。
「地下にあるって聞いたんだけど……この館って地下への階段って存在しない……よね?」
「……全く。坊ちゃんはそんな事まで話したのですか」
執事は目を細めて、少し呆れるように嘆息する。
「ええ。地下室にあります。一応機密事項なので、申し訳ないですが場所をお話しすることは出来ませぬ」
「そう……」
流石に執事は場に流されなかったか…………。
ただ、執事の話は続いた。
「はい。それに仮に場所を教えたところで、貴女に入る事は出来ません」
「え? どうして?」
「簡単に言いますと鍵が掛かっている、と言う所でしょうかな」
「鍵……」
単純に考えると当たり前の話だけど、執事の言葉には何か含みがあるように感じた。
それを尋ねようとしたけれど、それ以上のことを尋ねる機会は失われてしまった。
「ええ。と、そろそろ休憩は終わりにしましょうか。午後の作業をお伝えします」
執事はそこで話を切ると、椅子から立ち上がって、カップを持って厨房の方に行ってしまったからだ。
その後姿を見ながら、アタシは思った。
――――やっぱり、午後もあるのか。
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「身体が痛い……」
ベッドにうつ伏せで埋もれながら、アタシは体の悲鳴を代弁する。
こんな日々が続いたら、間違いなく体はストライキを起こすに違いない。
お茶の後、アタシは屋敷の窓拭きをさせられて、夜には再び獣どもの餌やりをさせられた。
その後には美味しい夕食が待っていたものの……残念ながらアタシは既に疲労困憊だった。
なので、食欲はちっとも湧かなかった。
夕食が終わって、ようやくアタシは部屋に戻ってくる事が出来た。
大浴場を使って良いといわれたけれど、とてもじゃないがそんな気は起きない。
自室のバスルームのシャワーで汗を流すと、髪を乾かすのもそこそこにベッドに倒れ込んだ。
アタシの身体は、何よりも休息を欲しているのだ。
「客使いが荒すぎるわよ……」
そんな不満もアタシの中で充満していたけど、徐々にそれは薄れていき――――
深い眠りの奥に消えていった……。