7: 働かざる者食うべからずⅡ
昼は昨日同様、シンプルな食事だった。
そういう慣習なのかもしれない。
まあ、今日は温かかったし、何の問題もないけど。
そうして、昼食を終えたアタシは、再び執事に食堂の外に連れだされた。
前方を歩く執事は数歩歩いて――――立ち止まる。
「では、午後は……と、その前に、坊ちゃん」
「え? 何?」
「何を付いて来ようとしているのですか」
執事は渋い顔で振り返る。
それに合わせてアタシも振り返る。視線の先にはアルフの姿があった。
執事に咎められた理由が分からないのか、相変わらずの穏やかそうな笑みを浮かべている。
「え? だってボクもマイカの仕事してるところ見たいよ」
殊勝なことを言っているけど……。
あんたはさっきずっと遊んでただけだろっ!!
「坊ちゃん。今日が何の日かお忘れですか?」
「え……? あっ」
執事の指摘に、アルフは突然何かを思い出したような声を上げる。
何かあるのかしら? 自宅学習とかそういう類?
「分かりましたら、坊ちゃんは自室へ」
「う、うん……残念だなぁ……」
執事の念押しに、アルフは項垂れていたものの、了承したようだった。
ただ、名残惜しそうにアタシを見つめてくる。
「坊ちゃん」
「分かった。行くよぅ。……じゃあ、マイカ。仕事頑張ってね」
後ろ髪引かれるのか、こちらを何度も振り返りながら、アルフはホールの方へ消えていった。
それを見送ってから、執事は再び口を開いた。
「では、そういうことですので……」
「?」
そう前置きしてから、執事はとんでもないことを言い出した。
「坊ちゃんの代わりに、この屋敷に住まう動物たちへ、餌を持っていってあげて下さい」
「はえっ!? うえええええええええええ!? 聞いてないわよっ!?」
「当然です。今言いましたから」
執事は何でもないかのように、淡々と言い切る。
アタシがあの珍獣たちの餌やり!?
容易に凄惨な惨状が目に浮かぶんだけどっ!!
「大丈夫です。この後食事の合図の鐘を鳴らしますから、皆ある場所に集まってきます。わざわざ探しにいく手間はかかりませぬ」
そう良かった……って、そんな心配をしてるんじゃない!
「彼らは中庭に集まります。あなたは、そこに餌を次々に運んでください」
「は、はぁ……」
「では、動物たちの餌の場所をお教えします。付いて来てください」
執事はそう告げるなり、ホールとは反対方向の西館に向かって歩き出した。
アタシの返事を待つ様子はない。
――――どうやらアタシに拒否権はないようだった。
+++
連れて行かれた先は、館の西口の脇にある、馬鹿でかい倉庫群だった。
一般的な学校の体育館の半分位はあるだろうか。
それが七つ並んでいる。
アタシ達は、その中の一つの扉の前に立っていた。
「そう言えば、貴女は車の免許はお持ちですかな?」
「え? あ……一応。AT限定だけど」
――――仕事の関係上、半ば無理やり取らされたものだった。
「ほう。それは素晴らしい。ならばそれほどかからずに終わるでしょう」
「はぁ?」
犬と、蛇と、象だけでしょ? 一回で終わりじゃないの?
あ、象が沢山食べるのかな?
「大型トラックの免許があれば、二往復程度で済んだのですが、まあそれは言っても仕方ありますまい」
そんなことを言いながら、執事はいつの間にか手に持っていたリモコンをピッと押した。
電子扉だったのか、徐々に扉が開いていく。
ヒンヤリとした空気が中から漏れ出してきた。
「……へ? へえええええええええええええっ!?」
そして、扉が全て開き、中に足を踏み入れて、中の様子を一望し――――
あたしの口から、思わず驚愕の声が出る。
仕方ないでしょ?
倉庫の中には、びっしりと餌の山があったんだから。
比喩じゃなくて、マジでこんもりと積まれた餌の山だった。
恐らく、総重量はキロじゃなくて、トンで表すことになるんだろう。
餌の山を呆然と見上げていたアタシの隣に立った執事は、宥めるように言ってきた。
「ああ。安心してください。既に解凍済みで、血抜きも終わってますので後は運ぶだけです。それにこれを全部運べと言うわけじゃありません」
ま、まあそうよね。
これ全部が一日分だとしたら、それはおかしな話よ?
「昼は、この半分を持って行っていただければ結構ですので」
「はいはい、そうよね……って。えええええええええええええええええええっ!?」
おい。アンタ、何をさも大した事ない風に言ってんの!?
半分って、一体どんだけあいつ等は食べんのよ!?
それに昼は、って。どういうことよ!?
まさか、夜もあるっていうの!?
「餌は、入っている容器ごと置けば結構です。動物達が勝手に自分の分を判断して食べますから。はい、これか軽トラックの鍵になります。車はこの倉庫の脇に止めてあるので、自由に使ってくれて構いません。では、私は他用が有りますので、後は頼みましたぞ」
「え? あ、ちょっ!?」
執事は一方的に矢次に話をして、アタシの制止の言葉も聞かずに倉庫から出て行った。
少し呆然としてから、慌てて後を追いかけて外に出たけど、既に姿は無い。
素早い……。
再び思い足取りで倉庫の中に戻る。
「これを……アタシ一人で運ぶの?」
絶望的な餌の山を前にして、アタシは崩れ落ちた。
***
「はぁはぁ……これで一旦終わり……」
何とか軽トラックの荷台一杯に餌を積み終えた。
と言っても、まだ山のように残っている。
あくまで一回目分だ。
「って、こんなに運んでどうすんのよ!」
中には肉とかもある。
象って草食じゃなかったっけ?
それか、あの大蛇が食べるの?
そんな疑問を抱きつつ、軽トラに乗り込んだ。
さっき餌を積み込んでいた時に、どこからか鐘の音が聞えてきていた。
恐らく、あれが動物達への昼の合図だったのだろう。
なら、もう餌を運んでも、待ちぼうけという事にはならないに違いない。
エンジンをかけると、ゆっくりと進み始めた。
中庭は、アタシが入ってきた外門の反対側にある。
軽トラを運転して、館を西側からぐるりと廻りこんで、中庭に出た。
「…………うそよね」
中庭を見た瞬間に、自分の中から勝手に呟きが漏れた。
そこには、大量の獣がうようよしていた。
犬やら、猫やら、鳥やら。
その数が半端ない。
ただ、そんなのはまだ良かった。
あれは……虎だろうか? 奥にいるのはチーター? ははっ、ライオンもいるね。
象、サイ、馬、シマウマ、大蛇、エトセトラ……。
ここは動物園か!?
あるいはサバンナか!?
というような、大量の動物達がうろうろと屯っていた。
無理。絶対無理。
「あんなのに近づいた日にゃあ、寧ろアタシが餌になるわ!!」
中庭の端で、慌てて車をストップする。
そのままバックで、来た道を戻ろうとしたけど……。
恐らく彼らは、この車が餌を運ぶ車だと知っているのだろう。
動物達が一斉にこちらを向いた。
そして――――ワラワラと、近づいてくる。
怖い。特に大型動物たち。
逃げよう、という思いが脳裏を占有し、更にアクセルを踏みこもうとした時に、ふと、ある事を思い出した。
ああいう大型肉食動物は、逃げる獲物を追い駆ける習性があるってことを…………。
「聞いたことがあるような、無かったような……」
もしそうなったとした場合。
たとえ、車の中に隠れていたとて、奴らにとっては何の障害にもならないだろう。
こんな薄い窓ガラスでは、何の防衛手段にもならないに違いない。
そこまで考えて――――アタシは腹が据わった。
「ま、まあ。いつもは執事かアルフが餌やりしてるんだよね? だったらきっと人には慣れてるってことよね?」
自分が誰に確認しているのか、アタシにも分からない。
ともかく、アタシは意を決して車を進め、動物たちの前に止めた。
動物たちはまるで様子を伺っているように、トラックを囲むようにして、少し前で立ち止まった。
「ううっ!」
くぅぅ! 女は度胸!
意を決してアタシは車を降りた。
足が多少震えたけど、奴らを視界に入れないようにして、何とか荷台に廻り、餌のケースを一つ持ち上げた。
何はともあれ、とりあえず肉からだ。
間違いなくこれは肉食の奴らの餌だろう。
奴らの注意を引かないと、色々拙い。
重たいそれを何とか運んで、ドンと地面に置く。
その瞬間。
さっき見かけた虎が、物凄い勢いで飛び掛ってきた。
殺られる!?
全身を硬くする。
アタシが反応できたのはそれくらいだった。
それと、今までの人生が走馬灯のように脳裏を駆け巡った。
思わず両手で頭を覆うようにして、目を瞑っていたアタシだったけども、一向に衝撃が襲ってこないので、恐る恐る目を開いた。
――――虎はアタシには目もくれず、アタシの目の前で、一心不乱に餌にかぶりついていた。
どうやら、最初に運んだ肉は虎用の餌だったらしい。
アタシは、ほっと胸を撫で下ろ――――そうとして、だけどアタシは気付いた。気付いてしまった。
虎以外の動物達が、”ちっ俺のじゃねえのかよ”と言う風にあからさまに不満そうな気配を発し始めたのを。
タラリと、額に汗が流れ落ちる。
これは――――拙い。
身の危険を感じて、アタシはトラックの荷物をどんどん運び出し始めた。
餌はどれも重い。運ぶのはきつかったけど、命には代えられん。
疲れも忘れて運び続けた。
やがて、荷台の餌が尽きる。
餌にありつけた連中は、どこか幸せそうだったけれど、まだありつけていない連中は、更に不機嫌な空気を発し始めていた。
アタシは急いで車に乗り込むと、直ぐに倉庫に戻り、餌を積んでは運ぶ。
その作業を繰り返した。
――――もちろん、肉を優先して。
だからだろう、今日運び出す餌が半分くらいなくなった時には、肉食動物達は全て餌にありつけていた。
皆満足気に餌を貪り、食べ終わると、どこかに悠然と歩きさっていった。
――――良かった。これでアタシが餌にならないで済んだ……。
そんな事を思っていたアタシは、甘かったとした言いようが無い。
餌を先送りにされていた、草食動物たちが、明らかに苛立ち始めていた。
唸り声を上げ始めているものも、ちらほら出始めていた。
特に、象のキーサは足踏みが激しい。
非常にストレスを感じているのが、ありありと分かった。
「ちょ、ちょっと待ってて。直ぐに運ぶから……」
落ち着いて落ち着いてと宥めて、直ぐにアタシは餌をとりに行く。
そうして、それから一時間以上かけて――――ようやく最後の餌を置き終えた。
そのままアタシは、大の字に倒れ込む。
その脇では満足そうに、餌を食べている動物たちの姿があった。
人の苦労も知らないで、いい気なものね……。
やがて、最後の動物が去っていった。
後に残されたのは、目を覆いたくなるような惨状である。
きっと、アタシがこれ片付けなきゃ駄目なんだろうなあ……。
動物達が食い散らかした、餌が散乱する庭を見つめながら、アタシはガックリと項垂れたのだった。