5: 館を探検Ⅱ
次にアタシが連れて行かれたのは、館の東にある森だ。
まず、敷地の中に森があること自体に呆れたけど、そろそろアタシも気付き始めていた。
ここでは庶民の常識を当てはめて考えることが、そもそも違うって事に。
ここは別世界なんだ。
アタシはそう思う事に決めた。
だから、もう何を見せられても驚いたりはしない。
「……で、こんな森でアタシに何を見せようって言うの? 嫌味のつもり?」
森は見飽きたと言ったばかりの仕打ちに、アタシは不満の声を上げる。
「ちょっと待っててね。大丈夫。森には入らないから」
アルフはそう言うと、手に持った笛のようなものを口に咥えて、思いっきり吹いた。
ピーーという音を想像したんだけど、音は全く聞えなかった。
「何それ? 壊れてんの?」
「ううん。壊れてないよ。もうちょっとだけ待ってね。今来ると思うから……」
来る? 何が?
アタシが少年の奇行に首を捻っていると――――
ドドドドドド、という地響きに似た音が聞えてきた気がした。
一度チラリとアルフを見ると、何やら楽しそうな表情をしている。
何だコイツ?
眉を顰めて、アタシは音が聞える方を見つめる。
やがて、森の中から三匹の白いものが飛び出してきた。
それは物凄い勢いでこっちに駆け寄ってくる。
「け、毛玉が走ってる!?」
驚いた。
アタシには毛玉にしか見えなかったそれは、止まらずに走ってきて……アタシに飛び掛ってくる。
毛玉の身体はアタシと変わらないほどに大きく、それが三匹だったので、抵抗する事も出来ずに、アタシは地面に押し倒されてしまった。
「うきゃあああああああああああ」
視界が白い毛で覆われる。
もっふもふだ!
どこもかしこも、もっふもふ。
それは冷静なら気持ち良かったのかもしれないけど、こんな状況下で喜べる筈もない――――
「どう? 気持ちいいでしょう?」
アルフがのん気に声をかけてくるが、それどころじゃない。
この毛玉たち……重い!
そして暑い!
「こら、どきなさいっ!! どけって!! 顔を舐めるな!!」
懸命に押し返すが、三匹いたのではそれも適わない。
アタシは毛玉たちが満足するまで顔を舐め回されて――――ようやく解放された。
「はぁはぁはぁ……」
「ははっ。マイカ、皆に気にいられたみたいだね」
喧しい。
怒鳴りたいけど、そんな力は湧いてこない。
仕方なく、睨みつけるだけにとどめておいた。
「紹介するね。右からドレ、レミ、ミファだよ。三つ子なんだ」
毛玉、改め犬っころを次々指差して、名前を教えてくる。
横に並んだ犬達は、自分の名前が呼ばれるたびに、ウォフ、何て声を上げているけど――――
はっきり言って、どれがドレなのか全く分からない。
三匹とも全く同じ白の毛玉で、首輪も付けてないからだ。
全く同じ黒いクリクリした瞳が、アタシを興味深そうに見つめている。
「そいつら、ちゃんと抑えときなさいよ!!」
「大丈夫だよ。皆とっても頭が良いんだ。マイカの嫌がることなんて、絶対しないよ」
押し倒されたのは、非常に嫌だったんですけど?
アタシのそんな想いは届かない。
アルフは柔らかく微笑みながら、犬たちの身体を撫で回していた。
そんなアルフを憎々しげに見つめていたアタシだったけど、突然浮遊感を感じた。
「ほえ!?」
慌てて下を見ると、足が地面から一メートルほど上がっている。
そしてそれは更に高度が増していき、二メートル上空まで上がって、ようやく止まった。
空中で暴れてみるが、どうにもできない。
「な、何。何なのよ!?」
アタシの悲鳴に対しての、アルフの返答はのんびりしたものだった。
「キーサまで来たのかぁ~~」
「何よ! キーサって……」
尋ねようとして気付いた。
アタシの腹の辺りに、巻き付いているものの存在に。
不意に、さっきの白蛇のことが思い浮かんだけど、触った感じはそんな風ではない。
灰色をしたそれは、触ってみると微妙に温かく、割りと硬質だった。
何これ?
その巻き付いているものの後を追うようにして、背後に視線をやる。
すると、そこには巨大な生物の姿があった。
「象!?」
見まごうことなど無い、あるがままの象だった。
とはいえ、実際に実物をこんな近くで見るのは初めてだったけど。
その象は全長五、六メートルくらいで、耳は丸い。
アタシの胴に巻きついてるのは、鼻だったようだ。
「そうだよ~~。キーサっていうんだ。女の子だよ」
アルフの言葉に反応するように、キーサはアタシを軽く上下に揺する。
「や、やめなさい!! は、放して。放しなさいよ!」
必死に叫んだけど、この象はアタシの悲鳴にはまるで反応しない。
アタシを玩具か何かだとでも思ってるのか。
「ちょっとあんた! コイツに放すように言って!!」
「そう? 楽しそうなのに……。キーサ。マイカを放してあげて?」
楽しそうってどっちのこと!?
アタシは全然楽しくないんだけど!!
アルフの言葉は分かるのか、徐々に象の鼻の圧力は緩んでいった。
助かった。
と思ったのもつかの間、ここが二メートル上空である事を思い出す。
「ちょっ、地面に下ろしてから――――」
放して、と告げる前に、象はアタシをその高さから落としやがった。
当然アタシは落下する事になり、着地に失敗してお尻から落ちてしまった。
あまりの痛みに声すら上げることが出来ず、もんどりうってお尻を撫で回す。
果てしなく情けない格好に違いないけど、気にしてるような余裕はない。
やがて痛みが治まるまで、アタシは暫くそれを続けることになったのだった。
***
「いい!? アタシを襲わないように、あいつらにちゃんと言い聞かせておきなさいよ!!」
「うん。分かったよ」
象と犬っころ達から逃げるように離れて、アタシ達は再び館に向かっていた。
獣たちは名残惜しそうに鳴いていたけど、そんなの知った事か。
「でも、みんなマイカの事が気になったみたいだよ」
「頼むから、気にならないで」
そんなやり取りをしながら、館の東の出入り口から館に入った。
そして、中央に向かって歩いていると、何か違和感に気付いた。
何だろう? と考えて周囲を見渡し――――気付く。
館の正面扉付近は、まるで新築のように塵一つ無く綺麗に掃除されていたが、この東口付近はどうも薄汚れているのだ。
壁は白い事は白いんだけど、どこか埃に塗れているというか……。
それは壁だけではなく、装飾品や、足元にも同様の事が言えた。
「どうしたの?」
キョロキョロ周囲を見回し始めたアタシの様子が気になったのか、アルフが尋ねてくる。
「別に……大した事じゃないわ」
その返答に、アルフは「そうなんだ」と頷いて、アタシに向かって何やら楽しげに色々話しかけ始める。
それを適当に聞きながらしながら、アタシは考えていた。
結局食堂ではうやむやになったけど、この館の他の住人についてだ。
アルフの言葉からすると、館にはアルフの家族と爺さん以外居ないって事になる。
確かにそれを証明するかのように、アタシは他の人間の姿を見ていない。
アルフの家族は、どこかに出かけているのかな?
まあ正直、アタシは不法侵入者なんで、あまり率先して会いたくはない。
ただ、それにしても使用人が一人だけというのはおかしすぎる。
大体、この広い屋敷の管理をどうするの――――と考えていたんだけど、もしかしたらこの東口の薄汚れた様子は、そういう事なのかもしれない。
つまり、本当に一人しかしないから、必要最低限以外の場所には手が廻っていない、って事だ。
とは言っても、アタシはまだ他の使用人が居ないって事は、完全に信じちゃいないんだけど。
大体、警備も儘らないでしょう。
もし爺さんが有能だったとしても、年中睡眠を取らずにいられる訳も無い。
必ずどこかで寝ている訳で、そうすろとその間はこの大豪邸の警備はまるで無い事になる。
アタシは知らなかったけど、こんな大豪邸が世にいる泥棒達の噂にならないわけが無い。
もしかしたら、盗まれまくり、なんじゃ……と、思ってしまう。
アタシが容易く侵入できた事もあって、余計に。
警備は甘々なんじゃ?
その事がどうしても気になり、まだしきりに何かを話しかけてきていた、アルフの話の腰を折って聞いてみた。
「ねえ。この豪邸の警備ってどうしてるの?」
「警備?」
アルフは突然のアタシの質問に対して、不思議そうに目をパチクリしていたけど、何ら警戒することなく話し出した。
「うんとね。集中管理室ってとこで、管理してるんだよ」
「集中管理室?」
「うん。この家の施錠なんかや、さっき一緒に行った温室の空調とか、外門の開閉とか、そんなのを全部そこで管理してるんだよ」
「へぇーー。どこにあるの? その集中管理室ってとこは」
「地下だよ」
こんな豪邸なんだ。
確かに地下室の一つや二つ、あっても何らおかしくない。
アタシは妙に納得してしまった。
「そこ、ちょっと見てみたいな」
精一杯可愛い顔を作ってアタシは尋ねてみた。
ちなみに、毎日鏡の前で、三十分は練習している顔だった。
こんな豪邸を制御している部屋が、一体どんなところなのか非常に興味がある。
「それは……」
「あ。もしかして機密部屋だったりするの?」
アルフの表情が珍しく曇ったので、アタシは慌てて確かめる。
「機密? うーーん。良く分かんない」
「どういうこと?」
「その……実は、ボクもその部屋がどこにあるか良く知らないんだ」
情けない顔でアルフは苦笑する。
ここの当主しか、知らない部屋、っていうことなんだろうか。
だとしたら頷ける。
「そう……」
少し沈んだ声が出る。
そんなアタシの様子をどう思ったのか、アルフが取り繕うように言った。
「あ、でも。爺なら知ってると思うよ。何なら聞いてみようか?」
「えっ? い、いや……それは良いわ」
もしその部屋が機密だったとして、あの筋肉執事に尋ねるのは怖すぎる。
不審者と判断されて、また森に投げ出されたら、もれなく遭難の二文字が待っている。
「そう? じゃあ代わりに他の部屋に案内するよ! 集中管理室なんかより、ずっと面白い場所は、まだまだ一杯あるんだ!」
アタシが落ち込んでいるとでも思ったのか、アルフは急に大きな声でアタシに提案する。
そして、アタシの腕をがっちりと掴む。
「へ? ちょ、ちょっと」
これじゃあ、最初と同じパターンだ。
だけどアルフは以後は何を言っても、大丈夫きっと面白いから、の一点張りでアタシの言葉を聞き入れない。
そのまま、アタシは一日中アルフに連れ回される事になったのだった。