1: 森の奥の大豪邸
どこまで行けば気が済むの……?
いい加減、足が棒なんだけど。
この――――
「鬱陶しい森は!!」
本日何度目かの、雄叫びを上げる。
そう。今、アタシの目の前には、大森林が広がっている。もとい、大森林しか広がってなかった。
人海からは、完全に隔絶された深い森だ。
一応道らしきものはあるんだけど、舗装なんて高尚なものは全くされていない。
道なんて言うのも、おこがましいような獣道だった。
脇に延々と広がっている森の草木が、偉そうに道に入り込んでいるので、アタシはそれをかき分けながら歩く羽目になっている。
その所為だろう。
いや、その所為に違いない。
――――アタシは迷っていた。
だってしょうがないでしょう?
草の所為で、先の地面が全く見えないんだから。
絶対。アタシじゃなくても迷った筈。
なんて、責任を森に押し付けたとて、アタシの足の痛みが治まるわけでもなく。
喉の渇きが潤されるわけでもない。
この暑さの中、かれこれ五時間は歩いている。
念の為に持ってきた水筒なんて、当の昔に空っぽになっていた。
邪魔になったんで、腹いせにぶん投げてやった。
森林保護団体とかから、説教ものの行動だったろうけど、そんなものはクソ喰らえだ!
そんな使えないモノを、僅かでも持ち歩く余分な力なんてないのだ。
こちとら、命が掛かっています。
いや、冗談じゃなく。
何で、うら若き乙女であるアタシが、こんな事をしないといけないのか…………。
ってまあ、それは言ってもしょうがない。
ともかく、体力尽きる前に辿り着かないと…………。
+++
更に一時間が経過した。
いや、マジ、もうやばい。
ごめんなさい。何に謝ってるのか分からないけど、ごめんなさい。
ほんと、もう勘弁して。
流石にこのムシムシした暑さの中、これ以上の行動は死ぬ繋がるわ……。
アタシは朦朧とした意識で、足を進める。
全く進まない。
寧ろ、下がっているような錯覚さえ覚える。
このまま人の訪れない、秘境のような場所で、アタシは一人寂しく死に絶えるんだ……。
そんな思いが、涙を連れ立って込み上げてくる。
そして、気付いた。
ああ、まだ体の中には、そんな余分な水分があったんだ……ってことに。
ふと笑いが込み上げてきた。
もちろん可笑しいからの笑いじゃない。オカシイからの哂いだ。
――――そんな時だった。
「あれ?」
目の前の地面が消失した。
冷静に考えると、地面が消えるわけはないので、急な段差があったのだろう。
――――なんてことを思ったのは、一瞬の時間だけだった。
段差の先は坂になっていた。
アタシはそのまま転がるようにして落ちていく。
「うひゃあああああああああああ!!」
悲鳴が、アタシの意図とは関係なく口をついて出る。
どこにそんな体力が残っていたのか。胸か?
……………………。
そんな余分なスペースは無かったあぁぁぁぁっ…………。
***
ジリジリとした熱さを頬に感じて、アタシは意識を取り戻した。
坂を転がる内に、いつの間にか気絶してしまっていたらしい。
「う、うん……」
ゆっくりと目を開いて――――アタシはまだ夢を見ていると確信した。
三途の川も、賽の河原も見えないので、どうやらまだ生きているらしい。
だけどアタシの目の前には、こんな秘境にある訳がない、そんな光景が広がっていたからだ。
そこは森の木々よりも高い塀に、どこまでも囲われていた。
固く閉じられた高い門の隙間から見える庭には、あろうことか噴水があり、今もなお水を噴き上げている。
その庭は、少なくともアタシの視界の範囲では綺麗に刈り取られており、優雅さすら感じられる。
遥か先に微かに見える邸宅は、端が見えないほど広い。
――――そんな、大豪邸だった。
これは夢ね。
そう判断したアタシは、それと判断することの出来る、古来から伝わっている唯一の方法を実践する事にした。
まず右手で右頬を、次に左手で左頬を掴んで――――徐に抓る!
「あいた~~~~~~~!!」
痛かった。
ってことは……夢じゃない!?
「うそ……」
アタシの口から思わず呟きが漏れる。
こんな非常識な場所が、本当にあるなんて……。
アタシは暫く呆けていたけど……そんな場合じゃないと気付く。
と、ともかく、中に入ってみよう。
とりあえず大きな門の前に立ってみたけど、開くわけも無く。
呼び鈴を探してみたけど、そんなものはどこにも見当たらなかった。
「くそっ……どうやって開けんのよっ!!」
アタシは思わず門を蹴飛ばした。
身長は百六五センチ、体重も……うん十五キロのアタシの蹴りが、このデカイ門をどうにか出来る破壊力を持っている訳もない。
逆に破壊されそうになったのは、アタシの足の方だった。
「~~~っ!!」
堪らず地面に転がって、足を擦る。
だけど――――。
どうだろう。
まさかアタシには自分も知らない隠された力でもあったのか、巨大な門がゆっくりと開いていったではないか。
呆然とするアタシの前で、それは徐々に広がっていき――――再び閉まり始めた。
「ええっ!? あわわ!? ちょ、ちょっと待って! 待ってって!!」
足は痛んだけど、そんな事を気にしている場合じゃない。
アタシは飛び込むように、門の隙間に身を投げだした。
「あつっ!」
地面で体を打ちつける事になり、息が詰まる。
何とか持ち直して、振り返ると――――
そこには固く閉じられた巨大な門があった。
先程と違うのは、今アタシは門の内側にいるという事だ。
「は、はぁ…………。何とか、間に合ったようね」
ホッと吐息が漏れる。
一体どんな仕組みだったのかは分からないけど、まあこれで――――
「水が飲める!!」
アタシの視界には、先に広がっている大邸宅ではなく、涼しげに湧きあがる噴水しか映っていなかった。
身体に残っていた力を振り絞って、噴水に走る。
ここは一体どこなのか、とか。
こんな綺麗に管理されている場所には絶対に人が住んでいる筈だ、とか。
そんな事はどうでも良かった。
ともかく、水を飲みたい。水を浴びたい。
その欲求に支配されていたアタシは、噴水の前まで辿り着くと、何も考えずにそのまま噴水に向かってダイブした。
ばっしゃーん。と、水飛沫が上がる。
上げたのはアタシだ。
全身が濡れてしまったけれど、服の替えなんて持ってないけど、そんな事はこの心地よさに比べたら些細な事だった。
「ああ~~~生き返る~~~」
失った水分を、肌から吸収する。
噴水から落ちてくる水を、口を開いて待ち構えて、ゴクゴクと嚥下した。
なんというか、体を構成するもの全てが潤っていくのを感じた。
それから暫く、目を瞑って噴水の中でプカプカと浮かんでいると、ふと顔に影が差したのを感じた。
あの忌々しい太陽が、雲に隠されたのだろうか。
もしそうなら、アタシが彷徨っている時に、そうして欲しかった。
その太陽の醜態を見届けてやろうと、薄っすらと目を開けていくと――――何かが見えた気がした。
再び目を閉じた。そして考える。
太陽ではない。
雲でもない。
もっと、アタシの近くにそれはあった。
もう一度目を開く。
ああ――――なるほど。
アタシは理解した。訂正する必要がある。
もっと、アタシの近くにそれは――――居た。
アタシが動かなかったのは、心地よさにもっと包まれていたかったからじゃない。
アタシが動かなかったのは、動けなかったからだ。
何せ――――それはアタシの体にグルグルと纏わりついてきた。
体から足の先まで。
首が締められていないのだけは幸いだった。
――――な~んて……。
落ち着いてる場合じゃないっ!!
「うきゃああああああああああああああああああ!!」
アタシの口から劈くような悲鳴が漏れる。
だけど叫ぶのは拙かったのかもしれない。
叫びに刺激を受けたかのように、それが長い舌をシュルシュルと伸ばしたからだ。先端は二又に割れている。
――――巨大な、白蛇だった。
白蛇は吉兆の化身なんて聞いたことがあるけれど、ものにはサイズってものがある。
十メートルもあろうかと言う様なサイズでは、もはや恐怖以外の何者でもない!
まさか、アタシを餌だと思ってるんだろうか。
あ、あんまり美味しくないですよ? 痩せてるし。
…………そう言えば、蛇は獲物を食べる時は、先ずはグルグルに纏わりついた後に、獲物の骨をバキバキに砕いてから、丸呑みするって聞いたことがあるような……。
それを思い出した直後、その話を証明するかのように、締め付けの圧力が増していった。
え? マジで?
あ、ちょっと、拙いって。痛い。痛いよ?
白大蛇はふてぶてしい顔を、どことなく嬉しそうに歪めている――――様に見える。
目を背けたいけど、目がはなせない。
一秒でも目を逸らしたら、バックリやられる気がしていた。
「……アタシの終わりって……こんなのって、なくない?」
最悪の想像が頭に浮かんだ所為で、アタシの口から嘆きが溢れるようについ出てきた。
一体、何が悪かったんだろう。
水筒を森に投げ捨てた事?
門を蹴り飛ばした事?
それとも、無断で人の家の噴水に飛び込んだ事?
「……そんな訳はないよね?」
掠れる声で蛇に尋ねるが、当然答えは返ってこない。
もし仮にそうだったとしても、それはしょうがないじゃない。
だって、無断で人の家の噴水に飛び込んだらいけません、なんて、そんな事誰にも習わなかったしっ!!
蛇の締め付けがどんどんきつくなっていく。
ああ。アタシはほんとにここで死ぬんだ……。
やりたかった事が、走馬灯のように次々と浮かんでいく。
もっと美味しいものが食べたかった。
もっと偉くなりたかった。
そして、あの人ともっと親しくなりたかった……。
アタシはせめて痛みを感じないように……それだけを願って、静かに瞳を閉じた…………。
「……何してるの?」
突然人の声が聞えてくる。
「……邪魔しないで」
アタシはそれに言い返す。
今ようやく覚悟が完了したのだ。
人に話しかけられた位で、この境地を邪魔されたくない。
まったく…………ん?
「話しかけられた?」
アタシは目を開く。
目の前には当然蛇の顔があったけれど、その脇に。
「ナーちゃんと遊んでくれてるの?」
と、嬉しそうに微笑みながら、アタシに尋ねてきた少年が居た。
金髪で、綺麗な碧眼の、愛らしいという形容が相応しいような少年が。
その少年は噴水の淵に腰掛けて、アタシを優しく見つめていた――――