空襲の慰霊
8月になり、訪れる人が多くなる施設がある。
東京スカイツリーから程近い江東区北砂にある資料館 東京大空襲・戦災資料センターだ。
1945年3月10日未明、米軍の無差別爆撃で約10万人が亡くなった惨禍を伝える施設とされ 原爆の日に合わせて訪れる人が多くなるようだ。
資料センターには実物の焼夷弾や焼けた腕時計、高熱で溶けた硬貨など多くの戦災史料が並ぶ。中には親子の焼死体や積み上げられた遺体など、目を背けたくなるようなものも残されており 戦争の悲惨さが伝えられている。
空襲の記憶の伝承に大きな役割を果たしてきたのが実際に空襲に遭った方々だ。
間近でみればあたれば死ぬ悲劇だが 遠くからみればとても綺麗にみえたという。 実際に体験した体験談ならでは言葉だった。
ある人は爆発の熱風から紅蓮の炎の中を逃げ惑い、九死に一生を得たあの夜の出来事を詳細に語る。涼を求め 川に向かったという。
子供を連れて逃げて一緒に燃えて死んでいったこと。川に飛び込んで気を失う中で聞こえてきた「死んでたまるか」「大和魂だ」という中で溺れて死んでいったこと。
様々な阿鼻叫喚の情景が目に浮かぶ。
8月1日の空襲で甚大な被害を受けた新潟県長岡市は毎年8月の3日間長岡祭り 花火花火大会が開催される。長岡空襲の犠牲者を悼み、慰霊と平和への願いを込めて始まったのが起源だ。
長岡花火はただの花火大会ではない、平和、復興 慰霊 鎮魂 ただ綺麗というだけで済ませてほしくない。そんな花火 フェニックスにこめられた思いをたくさんの人に知ってほしい




