『狐』
お題は「恩返し」の一人称小説課題。
新人賞に出す用の長編は書いた事あるけど、短編書いた事ねー、起承転結ってなんだ? ってなっていた回。何とか形にはできてうれしかった。「大学一年の創作課題で書いた小説冒頭集」の「独り善がり」で出てきた狐。
川沿いの道はひどく静かで、街灯の光は点々と道を照らしていた。季節は涼しくなりつつあるのに、この夜には爽やかさがなく、ズボンの裏地が進む足にまとわりついてくる。今日はもう、何もしたくなかった。終電を逃して三駅分歩いたばかりだ。
その時、水がはねる音がした。反射的に目を向けると、川面に白い影がもがいているのが見えた。月の光を浴びながら沈んでは浮かび、必死に掻く脚が水を散らしていた。気は進まないが、溺れる動物を見捨てては寝つきが悪そうだ。フェンスを越え、泥に足を取られながら身を乗り出す。濡れた毛並みが指先に触れた。前足を掴み、力任せに引き上げる。岸に上がったそれは、狐だった。
月明かりに濡れた毛並みは銀糸を散らしたようで、滴る雫が砂に吸い込まれていった。荒い呼吸を繰り返すその獣の瞳が、射抜くようにこちらを見返した。
「助かったよ」
狐の口が動き、はーっと深い息が続いた。
思考が一瞬止まったが、それ以上はなかった。世の中は妙なもので溢れている。犬と会話ができると真顔で語るやつもいるくらいだ。なら、しゃべる狐だっているだろう。
「礼をさせてはくれんか?」
こういった申し出は一度断るのが筋だろうが、しゃべる狐の礼なんて気になって仕方がない。礼がいらないならいいかなんて言われた日には死んでしまうかもしれない。金の生る木をくれるかもしれないし、豪運を授けてくれるかもしれない。何より妖怪の世界に連れて行ってくれるかもしれない。さっきまでの疲れなんて、もうどこかへ消えていた。
「何をくださるので?」
「私は食べられんのだが、とっておきの果実がある。人の世ではまず口にできぬ代物だ」
「ぜひ頂きたいですね」
「そうか。そうか」
狐は嬉しそうに尻尾を揺らした。
その瞬間、目の前の空気が水面のように揺らぎ、波紋が静かに広がった。にじみは次第に大きくなり、色と形を溶かしながら渦を描く。街灯も川も淡い絵具となって滲み合い、やがて世界そのものが線となって回転していった。渦は次第に深まり、体の周りをぐるりと囲んで煌めく輪となり、夜空にただ一つ残っていた月さえも、渦に飲み込んだ。
景色が黒く染まり、ふわりとした浮遊感の後に小さな祠が闇から姿を現した。白木の箱が置かれ、木の実が数粒ピラミッド状に積まれている。
「好きなだけ食べてくれ、置いていても腐ってしまうだけなんだ」
本当に手を付けてよい物かとまごついていると、狐がそのように促してきた。
ひとつ手に取り、殻に歯を立てる。ぱきん、と小さく弾ける音とともに、花のような柔らかな香りが夜気にあふれ、空腹を鋭くくすぐった。皮も完全に剥けぬまま露わになった実を前歯で削ると、たちまち果汁がはじけて口いっぱいに濃密な甘みが舌に染み渡る。
どう形容したものか。十の桃を搾り、幾度も濾して最後に残った上澄みをひとしずくにしたような、澄みきった果汁だった。
喉を落ちていくと、温かな光が体の奥に流れ込むようだった。
「うまいだろう?」
狐が笑った。まるで、土産を買ってきた父が得意げに言ってきた。そんな愛おしい光景を思い出し、切なさを感じた。
「……おいしいですね、これ」
「だろう?」
狐の笑みは深まった。豊穣の神の使い、伏見の稲荷、そんな連想が頭をかすめた。
「人間は愚かで、御しやすいものだな」
狐の笑みは冷ややかなものになっていた。
「私も人化を習得しなくては一人前として認められんのだ、悪く思わないでくれ」
言葉と同時に、指先が震えた。視界が揺らぎ、体の感覚が遠のく。酷い眠気に襲われたような、酔いつぶれたような感覚。膝が折れ、力が抜ける。刹那の後、果実を片手に砂の上に横たわる自分の顔が見えた。
僕の意思とは関係なく、地面から、その体からどんどんと離れていく。
薄れゆく意識の中、最後に見たのは狐が僕の方へと飛び上がり大口を開けている景色だった。
鼻先を夜風が撫で、草の匂いが鋭く迫る。四肢は軽やかで、牙は鋭く、夜の匂いが鮮烈に流れ込む。遠く眠る人間たちの血の温度まで感じられた。恐怖はなく、昂ぶりだけがあった。
胸が高鳴った。この体で何をしてくれようか。
体を返せ! 狐の声が残響のように揺れたが、それもすぐに消え失せた。
満月は高く、世界の端まで照らしていた。
最後の部分が超わかりにくいって合評で言われて、確かに独りよがりだったなってなったものの書き直していない怠惰マン。それが私。最後のシーンは、狐が人間の体を乗っ取ろうとしたら逆に狐の体を人間が乗っ取って人間に狐の凶暴性が混ざった感じになってる。正直、ストーリーライン的にも表現的にも納得できていないから書き直すつもり。いつか書き直したものを出す。いつかね。




