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「花しか出せない無能」と追放された私、氷の辺境伯の呪いを解いて最果てを楽園に変えます

作者: くるり
掲載日:2026/01/30

「エリアナ・エルフェルト! 貴様のような無能は、もはや聖女ではない。


本日をもって婚約を破棄し、国外追放を命ずる!」



王宮の夜会、豪奢なシャンデリアの下で、婚約者である第一王子カイルの声が冷酷に響き渡りました。

私の隣には、勝ち誇ったような笑みを浮かべる異母妹のリリアが、カイル王子の腕にすり寄っています。



「お姉様、ごめんなさい。魔物を倒す『聖なる光』も出せず、ただ花を咲かせるだけなんて……。そんなの、お庭番でもできることですものね?」



リリアの言葉に、周囲の貴族たちからクスクスと嘲笑が漏れます。



私がこの国のために、枯れかけた農作物を蘇らせ、人々の心に寄り添う花を咲かせてきた努力は、彼らにとって「見栄えだけの無駄な力」に過ぎなかったのです。



「待ってください、カイル殿下! 私は、この国の土壌を護るために——」



「黙れ! 代わりの『真の聖女』はリリアだ。貴様のような役立たずは、北の最果て、植物の一本も生えぬ『ノースランド』で、自分の無力さを呪いながらのたれ死ぬがいい!」



兵士たちに両脇を抱えられ、私はドレスのまま冷たい雨の中へと放り出されました。

身一つ。思い出のペンダントさえも奪われ、馬車に押し込められて数日。



辿り着いたのは、視界を白銀に染める絶望の地でした。



最果ての地、死の寸前


「……寒い、……もう、指が動かない……」



ノースランドの地は、噂以上の地獄でした。 吹き荒れる吹雪は肌を突き刺し、肺まで凍てつかせるようです。 王宮を追われた際に着せられたボロ布同然の服では、数分歩くことさえままなりません。



私は雪の中に倒れ込みました。

薄れゆく意識の中で、前世の記憶がふと過ります。

日本の街角で、色とりどりの花に囲まれて笑っていたフローリストとしての自分。


「花は人を救う」と信じて、異世界でも一生懸命に生きてきたのに。



(……最後くらい、一輪だけでも……)



私は残った魔力を振り絞り、雪の上に手を置きました。


凍った大地に、小さな、本当に小さな青いポピーが一輪。


それは私の命の灯火のように、吹雪の中で儚く揺れました。


「……綺麗……」



そう呟いた瞬間、視界が真っ暗になりました。



「……おい、こんなところで何をしている」



不意に、雪を噛む重い足音が聞こえました。



意識の淵で、誰かが私を見下ろしているのを感じます。



重厚な黒い毛皮のコート。

カチャリと鳴る鎧の音。



「……花? まさか、この極寒の地で……」



男の声は低く、地響きのように響きました。

彼は私の傍らに咲いた小さな青い花を、手袋を嵌めた指でそっとなぞります。


その瞬間、彼の指先から黒いモヤのような「呪い」の気配が漏れ出しましたが

——花は枯れることなく、凛として咲き続けました。



「……私の呪いに耐えるとはな。どういうことだ……」



男は、糸が切れたように動かない私の体を、軽々と横抱きにしました。

鋼のような腕の熱さに、私は微かな安らぎを覚えながら、完全に意識を手放しました。



彼こそが、この地を統べる「氷の刃」——呪われた辺境伯、シグルドだとも知らずに。





重い瞼を持ち上げると、視界に入ってきたのは見慣れた王宮の安っぽい天井ではなく、黒い石材と重厚な木材で組まれた、質実剛健な天井でした。



「……ここは……?」



カサリ、とシーツが擦れる音。

驚くほど柔らかく、清潔なリネンの香りが鼻をくすぐります。

横を見ると、暖炉ではパチパチと薪がはぜ、部屋をオレンジ色の柔らかな光で満たしていました。



「気がついたか。……あまり急に動くな。凍傷こそ免れたが、衰弱が激しい」



部屋の隅、影に溶け込むように椅子に座っていた人影が立ち上がりました。

吹雪の中で私を拾い上げた、あの「氷の刃」——シグルド辺境伯です。



「あ……助けて、いただいたのですね。ありがとうございます……」



声が掠れてうまく出ません。

私は上掛けを握りしめ、おずおずと彼を見上げました。

近くで見ると、彼は噂に聞く「冷酷な死神」というよりは、近寄りがたいほどに研ぎ澄まされた、美しい彫刻のようでした。



「礼を言われる筋合いはない。……ただ、庭に妙なものを植えられては困るからな」



シグルド様はそう言って、サイドテーブルに置かれた陶器のカップを指差しました。

そこには、私が雪の中で咲かせたあの青いポピーが、水に活けられて飾られていました。



「あ……生きてる」


「ああ。普通なら、俺が触れた瞬間に灰になるはずだが……。この花は、今もこうして咲いている」



彼が手袋を嵌めた指先で、花びらに触れようとして——寸前で止めました。

その仕草に、彼が自分の「呪い」をどれほど忌んでいるのかが透けて見えて、胸の奥がチクリと痛みます。



「飲め。薬草を煎じたものだ」



彼はぶっきらぼうに、温かいスープの入ったボウルを差し出してきました。

差し出された彼の指先が、私の手に触れそうになります。



「あ、あの……! 私、汚れていますし、風邪が移ってしまうかもしれませんから……」

「黙って受け取れ。貴様を死なせたら、この花の正体がわからなくなる」



有無を言わさない口調。


けれど、差し出されたボウルからは、驚くほど丁寧にアク抜きされ透き通った、滋養たっぷりのスープの香りが漂ってきます。


震える手でそれを受け取ろうとした時、彼の手が私の指先に、ほんの一瞬だけ触れました。



(……温かい……)



「氷の刃」なんて嘘。

彼の指先は、凍えきった私の体よりもずっと熱く、力強いものでした。



シグルド様は、触れた箇所を隠すようにすぐに手を引くと、瞳をわずかに細めました。



「……不思議な女だ。俺に触れて、怯えもしないとは」

「怯える……? いえ、とても温かくて……。あの、お名前を伺ってもよろしいでしょうか?」



私が尋ねると、彼はふいと顔を背け、マントを翻して部屋の出口へと向かいました。



「シグルド・ノルズ・ヴォルフガングだ。……エリアナ、と言ったか。この城にいる間、勝手に死ぬことだけは許さん。わかったらさっさと食え」



バタン、と少し乱暴に扉が閉まります。

残された部屋には、温かいスープの湯気と、彼が去り際に残した微かな雪の香りが漂っていました。



私はスープを一口啜りました。 塩気が、冷え切った心にじわじわと染み渡っていきます。



「……不器用な方」



ふふ、と思わず笑みが漏れました。

追放されて、すべてを失ったはずなのに。

この極寒の城で、私は生まれて初めて「守られている」と感じていたのです。





翌朝、窓の外に広がる眩しい銀世界に誘われるように、私は借り物の厚手のローブを羽織って部屋を出ました。


城の中は静まり返っています。


騎士たちの訓練する声が遠くに聞こえる中、私は城の裏手に広がる、高い石壁に囲まれた「中庭」へと迷い込みました。


そこは、かつてはさぞ美しかったであろう、広大なバラ園の跡地でした。


「……ひどい」


思わず絶句しました。 そこにあるのは、雪に埋もれた美しい庭ではありません。


すべての木々、すべてのバラの蔓が、まるで炭のように真っ黒に焼け焦げ、不気味に捻じ曲がっていたのです。 それは冬の寒さで枯れたのではなく、なにか強大な「悪意」に命を吸い取られたかのような、異様な光景でした。


その中心に、彼はいました。


シグルド様は膝をついて、一本の枯れ果てたバラの苗を見つめていました。


彼の手袋は外され、剥き出しの大きな手が、震えながらその黒い茎へと伸ばされます。


「……これでも、ダメか」


彼が指先で触れた瞬間でした。 わずかに残っていた茎の皮が、見る間にシュルシュルと黒い煤すすへと変わり、風にさらわれて消えてしまったのです。

彼の指先から溢れ出す、どろりとした影のような魔力。それが触れるものすべての命を、強制的に終わらせていく。



「くそっ……!」


シグルド様が雪を叩きました。


その拳が触れた地面の雪までもが、汚泥のようにどす黒く変色していきます。


「やはり、俺に許されるのは『死』だけか。……この地と同じだ。何一つ、育ちもしない」


その横顔に浮かんでいたのは、王宮で噂されていた「冷酷な死神」の表情ではありませんでした。


ただ、自分の手で何かを慈しみたいと願い、それが叶わない絶望に打ちひしがれる、一人の孤独な青年の顔でした。


私は、たまらず物陰から駆け出していました。


「シグルド様……!」


「! ……エリアナか。来るなと言ったはずだ」


鋭い視線が私を射抜きます。


「見たな。……これが、俺が『死神』と呼ばれる理由だ。この呪いは、生きとし生けるものすべての命を奪う。……貴様も、殺されたくなければ近づくな」


吐き捨てるような言葉。


けれど、その瞳は「近づかないでくれ」と泣いているように見えました。


私は逃げませんでした。


代わりに、彼が今しがた「終わらせてしまった」バラの苗の跡に、そっと膝をつきました。


「……いいえ、シグルド様。私は昨日、あなたの手に触れました」



「それは偶然だ。たまたま——」



「いいえ、偶然ではありません。私の力は、命を育む力。あなたの孤独を、終わらせるためにここへ来たのかもしれません」



私は凍土に、そっと両手を重ねました。



シグルド様が「呪い」で黒く染めてしまったその場所に、私の内側から溢れ出す温かな「緑」の魔力を注ぎ込みます。



「咲いて……お願い!」


キィン、と空気が鳴りました。


黒く濁っていた土壌が、一瞬にして黄金色の光に浄化されていきます。


そして——雪を割り、黒い煤を押し退けて。


そこには、一輪の真っ赤な冬薔薇が、力強く花を咲かせたのです。


「なっ……バカな……」


シグルド様が目を見開きました。


彼が触れれば死ぬはずの世界で、その花は彼の吐息に触れながらも、誇らしげに瑞々しい花びらを揺らしています。



「……シグルド様。見てください。あなたのすぐ隣で、こんなに綺麗に笑っていますよ」



見上げると、シグルド様の頬を、一筋の涙が伝い落ちるのが見えました。





「お、おい……嘘だろ……?」


翌朝。朝の巡回に来た騎士団の副団長・アイヴァンは、中庭の入り口で彫像のように固まりました。


彼の視線の先、一面の銀世界の中に、ポツリと、しかし鮮烈な輝きを放つ「赤」があったからです。



「バラ……? なんで、この時期に、この場所で……」



一人、また一人と騎士たちが集まってきます。


彼らは皆、厳しい冬と辺境伯の呪いに耐え、命を削るようにしてこの地を護ってきた屈強な男たちでした。


その彼らが、一輪の冬薔薇を前にして、子供のように震え、膝をついています。



「……辺境伯様。これは、一体……」



背後に立っていたシグルド様にアイヴァンが問いかけます。


シグルド様は、隣に立つ私を……いえ、正確には私の手を、壊れ物を扱うような視線で見つめてから、短く答えました。



「彼女が……エリアナが咲かせた。私の呪いを、上書きしてな」



その瞬間、騎士たちの間に電流が走りました。


「呪いを上書き……?」


「あの死神の呪いを!?」 どよめきが広がり、


そして、アイヴァンが真っ先に私に向かって深々と頭を下げました。



「失礼いたしました、エリアナ様! 王国から追放された無能な聖女などという噂、誰が流したのか……! あなた様こそ、我らが待ち望んだ救世主、ノースランドの女神だ!」



「め、女神だなんて、そんな……! 私はただ、お花を咲かせただけで……」



困惑する私を余計に煽るように、城のメイドや使用人たちまでが窓から顔を出し、目を輝かせています。


「お庭に花が!」


「あの方がお通りになった後、凍りついた廊下が温かくなったのを見たわ!」


尾ひれは背ひれがついた噂は、その日のうちに城下の村まで駆け巡りました。


その日の夕刻。 城の門前には、どこから聞きつけたのか、多くの領民たちが集まっていました。


彼らの手には、この地で採れる数少ない捧げ物——凍った干し肉や、硬い黒パン、そして綺麗な小石などが握られています。


「女神様に、どうかひと目お会いしたい!」


「この冷え切った大地に、奇跡をありがとうございます!」





その夜、2人は改めて中庭で花を愛で合う。


「……シグルド様。見てください。あなたのすぐ隣で、こんなに綺麗に笑っていますよ」


見上げると、シグルド様の頬を一筋の涙が伝い落ちるのが見えました。

彼は震える手で、その薔薇に触れようとして……また、直前で手を止めました。


「……だめだ。今は咲いていても、俺が触れ続ければ、いつかはこの花も……君も、壊してしまう」


「いいえ。壊させません。私の魔力は、あなたの呪いを拒絶するためにあるんですから」


私は立ち上がり、彼の大きな、剥き出しの両手を、迷わず自分の両手で包み込みました。


「なっ……! 放せ、エリアナ! 死にたいのか!」


シグルド様が絶叫します。


彼の手から、今までで最も濃い、どろりとした黒い影が溢れ出しました。

私の視界が真っ暗に染まり、凍てつくような冷気が心臓を掴もうとします。


けれど、私は手を放しませんでした。


「……大丈夫。私の内側には、前世からずっと育ててきた、枯れない花園があるんです。あなたの孤独くらい、全部飲み込んでみせます」


私は目を閉じ、魔力の「出力」を最大まで引き上げました。

聖女としての光だけではない。

フローリストとして、一輪の花を慈しみ、生かそうとしてきた執念。

そのすべてを彼の指先へ注ぎ込みます。


パキィィィィン!!


硬い氷が砕けるような音が、脳裏で響きました。


シグルド様の手を縛っていた目に見えない「鎖」が弾け飛び、黒い霧が光の粒子となって雪の中に溶けていきます。


嵐が止んだような、静寂。


「……あ……」


シグルド様が、呆然と自分の手を見つめていました。

そこにはもう、死の気配はありません。ただ、一人の青年としての、温かく、血の通った手があるだけでした。


彼は、恐る恐る、一輪の冬薔薇の花びらに指を触れました。


……枯れない。 瑞々しい赤色はそのままに、花は彼の愛撫を受け入れています。


「解けた……のか。俺の……呪いが……」


「はい。もう、あなたは『死神』ではありません」


私が微笑むと、シグルド様は私の手を握ったまま、震える声でポツリと漏らしました。


「……俺は、この呪いを受けてから、この極寒のノースランドで誰にも触れず、ひっそりと朽ち果てていくしかないと思っていた。ここなら、元から草花は枯れ果てている。俺が何を壊しても、これ以上失うものはないと、自分を納得させていたんだ」


シグルド様の大きな手が、私の頬を包み込みました。

呪いが消えたその手のひらは、驚くほど熱を持っています。


「だが、君はそんな場所に現れて、俺に光をくれた。生きる希望を、誰かを慈しむという楽しみをくれたんだ。……エリアナ、君への感謝は、言葉ではとても言い尽くせない。俺の人生のすべてを捧げても足りないくらいだ」


「シグルド様……。お役に立てたなら、私はそれだけで……」


私が安堵の笑みを浮かべた、その時でした。 彼の瞳の奥に、スッと暗い色が混じったのは。


「――だからこそ、もう二度と離さない」


「え……?」


シグルド様が、猛獣のような速さで私を抱き寄せ、地面の雪へとなだれ込むようにして押し倒しました。


「あ……シグルド様……!?」


「……解いたのは君だ。責任を取れ、エリアナ」


仮面の奥の瞳が、獲物を狙うそれへと変わっていました。

呪いという「制御装置」が外れた彼の瞳には、どろどろとした暗い独占欲が渦巻いています。


「壊すのが怖くて指一本触れられなかった。……だが、もうその必要はない。君は枯れない。俺がどれほど強く抱いても、君は折れないんだな?」


「あ、の……顔が、近いです……」


「近いに決まっている。これからは、誰の目も届かない場所で、朝から晩まで君を愛でるつもりだ。……君を捨てた国? 聖女としての義務? 知ったことか。君を解放したのは俺だが、俺を解放した君を、俺は一生解放してやらない。君のその熱も、俺を救った光も、すべて俺だけのものだ」


彼は私の首筋に深く顔を埋め、吸い込むように熱い吐息を吐き出しました。

それは、救われたことへの純粋な感謝が、一瞬にして「この光を独占したい」という狂おしいまでの執着に反転した合図でした。





昨日に続き、感謝する人々の声に、私は戸惑いながらもバルコニーへ出ようとしましたが——。


ガシッ、と。 強い力で腕を引かれ、私はシグルド様の逞しい胸の中に閉じ込められました。


「シ、シグルド様……?」


「……出るな。これ以上、奴らに貴様の姿を見せる必要はない」



シグルド様の低い声が、耳元で響きます。


仮面の奥の瞳は、領民たちへの慈しみよりも、獲物を狙う猛禽のような鋭さを帯びていました。



「ですが、皆さんがせっかく……」


「貴様は自分の価値を分かっていない。……花を咲かせるだけの力だと? 笑わせるな。貴様は、絶望しか知らなかったこの地の連中に、『希望』を与えたんだ」


彼は私の肩を抱き寄せ、マントで包み込むようにして隠しました。



「これ以上、貴様が衆目に晒されるのは好かん。……貴様を拾ったのは俺だ。貴様が咲かせる花も、その微笑みも、本来は俺だけのものだったはずだろう」



「……っ」



あまりに直球で強引な言葉に、顔が火が出るほど熱くなります。


昨夜まではあんなに孤独そうだった彼が、今はまるで、手に入れた宝物を誰にも触れさせたくないと駄々をこねる子供のように見えて。



「シグルド様……。私はどこへも行きませんよ。だって、私の魔法が効くのは、この世界であなただけなのですから。それ以外は花を咲かせることしかできません。」



私がそっと彼の手に触れると、シグルド様は一瞬目を見開き、それから忌々しげに、けれど愛おしそうに鼻を鳴らしました。



「……ふん。口の減らない聖女だ。ならば証明しろ。今夜は俺の私室に花を飾れ。……朝まで、俺の傍を離れるな」


不器用な辺境伯様の、それは精一杯の「甘え」と「独占宣言」でした。





エリアナが追放されてから、わずか一ヶ月。


かつて「豊穣の地」と謳われた王国の穀倉地帯は、今や見る影もありませんでした。



「どういうことだ! なぜ麦が育たない! なぜ花が一日で枯れる!」


王宮の会議室。カイル王太子の怒号が響き渡ります。


窓の外には、茶色く変色し、異臭を放つ王宮庭園が広がっていました。


エリアナがいなくなった途端、まるでこの国の「色」が失われたかのように、すべてが急速に朽ち果てていったのです。



「……そ、それが。リリア様の『聖なる光』では、魔物は退治できても、大地の生命力を補うことはできないようでして……」



「お姉様の代わりなんて、私には無理ですわ! 泥に触れるなんて汚らわしいもの!」



リリアは豪華なドレスの裾を気にしながら、不機嫌そうに扇子を煽ります。

彼女に備わっていたのは、派手で見栄えのいい攻撃魔法だけ。


エリアナが毎日、人知れず膝を泥に染め、祈りを捧げることで維持していた「大地の祝福」の代わりなど、到底務まるはずもありません。



「……報告によれば、北のノースランドでは、雪の中に花が咲き乱れているとか」



「何だと!?」



密偵の報告に、カイルは顔を歪めました。

植物一本生えないはずの死の地が、楽園に変わっている? そこでようやく、彼は気づいたのです。


自分が捨てた「無能」こそが、この国の心臓だったことに。


「……ふん、なるほど。あの女、北の辺境伯をたぶらかして、聖女の力を私物化しているのだな」



カイルは傲慢な笑みを浮かべ、机を叩きました。


「よかろう。エリアナに『特別に』帰還を許してやる。あれも今頃、あの恐ろしい死神辺境伯に怯え、私の温情を待ちわびているはずだ」



自分の過ちを認めるのではなく、「許してやる」という歪んだ解釈。


カイルはすぐさま、エリアナを「回収」するための使節団を北へと差し向けたのでした。



最果ての楽園への侵入者


一方、ノースランドのヴォルフガング城。


そこには、王国の惨状など露ほども感じさせない、暖かく穏やかな時間が流れていました。


「エリアナ様、見てください! 昨夜植えたハーブが、もうこんなに!」


「まあ、素敵。これでお茶を淹れたら、シグルド様も少しはリラックスしてくださるかしら。次は薬草にも挑戦してみたいわね!」


城の温室(エリアナの魔力により、もはや熱帯植物まで育つ勢い)で、私はメイドたちと笑い合っていました。



そこへ、城門の方から騒がしい蹄の音が聞こえてきました。


銀の甲冑に、王国の紋章。 かつて私を泥の中に放り出した、王太子の直属騎士団です。



「エリアナ・エルフェルトはいるか! 王太子殿下からの慈悲深い『特赦状』を持参した! ありがたく拝領し、直ちに王都へ戻る準備をせよ!」



温室の静寂を破る、傲慢な声。 使節の男は、泥のついた靴でエリアナが手入れした花壇を踏み荒らし、勝ち誇ったように羊皮紙を掲げました。



私は恐怖で体が震えそうになりました。


あの冷たい雨の夜の記憶が蘇ります。 しかし、その震えが私に届く前に。



ドォォォォン!!



空気を震わせるほどの魔圧が、城全体を包み込みました。



「……どこの馬の骨だ。俺の庭で、俺の女に指図する不届き者は」


温室の入り口に、シグルド様が立っていました。



その瞳は、凍てつく冬の夜よりも深く、鋭い殺気を放っています。

彼が地面を踏みしめると、使節の男が立っていた地面が瞬時に凍りつき、その足を氷の枷が固定しました。



「ひ、ひっ……! 辺境伯、これは王命だぞ! その女は王国の資産——」



「資産だと? 二度とその汚い口で彼女を呼ぶな」



シグルド様は私の肩を力強く抱き寄せると、使節の鼻先に、黒く脈打つ「呪いの魔力」が宿った指先を突きつけました。



「カイルに伝えろ。エリアナを返してほしくば、王冠を捨てて、裸足でこの雪山を越えて来いとな。……もっとも、その前にこの俺が、貴様らの国ごと凍らせてやってもいいがな」





ノースランドの国境付近。そこには奇妙な境界線ができていました。


一歩手前までは、作物が枯れ果てた灰色の荒野。


しかし、ヴォルフガング領に入った途端、雪の中から青々とした蔦が伸び、冬の花々が咲き誇る「常春の楽園」が広がっているのです。



そこへ、土足で踏み入る軍勢がありました。


黄金の装飾を施した馬車に乗ったカイル王太子と、三千の王国正規軍です。



「……フン、気味の悪い。やはりエリアナは魔女にでもなったか」



カイルが馬車から降り立ち、目の前に立ちふさがる城門を見上げました。


そこには、愛剣を携えたシグルド様と、その傍らで凛と立つ私の姿がありました。


「エリアナ! 迎えに来てやったぞ。さあ、その薄汚い辺境伯の手を放してこちらへ来い。お前の『花を咲かせる魔法』、王都の農地を蘇らせるために使わせてやる。……ああ、リリアの侍女としてなら、宮殿に戻ることも許してやろう」



「……カイル殿下」



私は一歩前へ出ました。以前のような恐怖はありません。



隣にいるシグルド様が、私の手をごつごつとした大きな手で、しっかりと握ってくれているからです。



「お断りします。私はもう、あなたの所有物ではありません。この地で、私を必要としてくれる人々と共に生きると決めました」



「何だと……? 貴様、この私に逆らうというのか! 全軍、突撃せよ! 辺境伯が抵抗するなら逆賊として討て。エリアナは足に鎖を繋いででも連れ帰るのだ!」


カイルの号令とともに、兵士たちが一斉に抜剣し、こちらへなだれ込んできました。


しかし、シグルド様は微動だにしません。彼は冷酷に口角を上げました。



「……エリアナ。君の『庭』を荒らす害虫どもに、挨拶をしてやれ」



「はい、シグルド様!」



私が地面に手を触れ、魔力を流し込んだ瞬間。 ゴゴゴゴ……! と大地が鳴動しました。



「な、なんだ!? 地面から……蔓が!?」



兵士たちの足元から、鋼よりも硬い「茨の蔦」が爆発的に噴き出したのです。

それはまるで意思を持つ蛇のように兵士たちの武器を絡め取り、次々と空中へ放り投げます。

さらに、私が咲かせた特製の「催眠百合」が甘い香りの胞子を撒き散らし、軍勢の半分がその場に崩れ落ちました。



「ひっ、化け物め! 弓兵、放て! あの女を射殺せ!」


カイルが半狂乱で叫びますが、放たれた矢が私に届くことはありませんでした。


シグルド様が指をパチンと鳴らした瞬間、空中で数千の本の矢が一瞬にして凍りつき、粉々に砕け散ったからです。


「……私の女に、何を向けた?」



シグルド様が一歩踏み出すごとに、周囲の気温が急激に下がっていきます。 カイルの足元が凍りつき、逃げることすら叶いません。



「ま、待て! 私は次期国王だぞ! こんなことをして——」



「国王だと? 守るべき民を飢えさせ、無実の聖女を追放した男がか。……笑わせるな」


シグルド様の手が、カイルの喉元を掴み上げました。

氷の魔力がカイルの豪華な衣を真っ白に染め上げ、恐怖で顔を真っ青にさせます。



「……助けろ、エリアナ! 昔の仲だろう!? 私が悪かった、婚約破棄は取り消してやる! だから——」



「……いいえ、カイル様」


私は冷ややかに言い放ちました。


「あなたは以前、『無力さを呪いながらのたれ死ね』と私に言いましたね。その言葉、そのままお返しします。……この地を追放されるのは、あなたの方です」


シグルド様が軽く腕を振ると、カイルはゴミのように王国の荒野へと放り投げられました。


「……二度と、この地の雪を踏むな。次があれば、貴様の国ごと氷河に沈める」


その一言に、生き残った兵士たちは腰を抜かし、主君であるカイルを引きずりながら、脱兎のごとく逃げ去っていきました。





それから数年。王国は、もはや国としての体をなしていませんでした。


かつて私に石を投げ、嘲笑った王都の人々。

けれど彼らが本当に飢えに苦しみ、子供たちが痩せ細っていくのを見たとき、私は彼らを見捨てることができませんでした。


私はシグルド様に願い、国境を解放していただいたのです。


「エリアナ様、どうか……どうかお助けください!」

「私たちは愚かでした。聖女様、あなたの慈悲を……!」


吹雪の境界線を越え、ノースランドに辿り着いた民衆が見たのは、雪の中に咲き誇る色とりどりの花々と、豊かに実った小麦の穂でした。

彼らはそこで初めて知ったのです。

自分が追い出したのは「無能」ではなく、国の「命」そのものだったのだと。


今やノースランドは、王国から逃れてきた人々を迎え入れ、「世界で最も美しい花の都」へと進化を遂げました。


一方で、民に見捨てられたカイル殿下とリリアは、もはや王宮に留まることすらできませんでした。

誰一人として、彼らのためにパンを焼く者も、畑を耕す者もいなくなったからです。


噂では、二人は今、最果ての荒野のさらに先、植物も育たぬ不毛な土地で、泥をすするような生活を送っているそうです。


かつて私に放った「のたれ死ね」という言葉。

それを今、リリアと奪い合うようにして味わっているのでしょう。


「お姉様の代わりなんて、私には無理ですわ!」と泣き喚いていたリリアも、今では生きるためにその爪を泥で汚し、かつて「汚らわしい」と蔑んだ野良仕事を、誰よりも必死にこなしているのだとか。


傲慢だったカイル殿下も、もはや王族の面影はなく、日々の糧を得るためにかつての臣下に頭を下げる毎日だと言います。


けれど、今の私にはそれさえも、遠い異国の昔話に過ぎません。


ノースランドは今や「世界で最も美しい花の都」と呼ばれ、シグルド様の呪いも、私の魔法と愛によって完全に消え去りました。


「……エリアナ。またそんなに花を植えて。あまり無理をするなと言っただろう」


背後から、温かい腕が私を包み込みます。

そこには、もう仮面をつけていない、世界で一番愛しい夫の姿がありました。

呪いから解放された彼は、以前にも増して私を甘やかし、一歩も外へ出したがらないのが唯一の困りものですが。


「だって、シグルド様がこのお花が好きだって仰るから」


「……俺が好きなのは、花を慈しむ君の笑顔だ。……それと、この柔らかな指先もな」


そう言って、彼は私の指先に深く、優しく熱いキスを落としました。

かつて「無能」と蔑まれた少女は、今、最果ての楽園で、誰よりも甘く、そして重すぎるほどの愛を受けて、幸せな花を咲かせ続けているのです。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

連載にしようと思ってたのですが、いい感じにまとめられそうと思って短編にしてみました。


下の【☆☆☆☆☆】やブックマークで応援していただけると、執筆の大きな励みになります。


現在、短編ランキングにもいくつか作品がランクイン中です。

「執着」「ヤンデレ」が大好物な方は、ぜひ他の作品ものぞいてみてください。

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