「立ち止まった場所」
読んでいただけると幸いです
朝の教室は、少しだけ眠そうだった。
チャイム前のざわめき。
窓から入る風。
誰かが椅子を引く音。
「真壁」
颯太が、机の横に立っていた。
「これ。昨日のノート」
「あ……ありがとう」
「うん」
それだけ言って、
颯太は自分の席に戻る。
ほんの一瞬のやりとりなのに、
胸の奥が軽くなった気がした。
***
放課後。
校門を出て、
いつもの分かれ道に立つ。
神社の方向。
家への道。
少し迷ってから、
恒一は坂道を上った。
夕方の空は、
雲が多い。
境内に入ると、
誰もいない。
……はずなのに。
「来たんだ」
すぐそばで、
声がした。
振り返っても、
姿は見えない。
でも、
“近い”。
「……誰ですか」
「名前なんて、
どうでもいい」
声は穏やかで、
静かだった。
「君、
ここに来ると落ち着くだろ」
恒一は、
答えなかった。
「無理しなくていい」
「……」
「ここにいれば、
誰とも話さなくていい」
足元の石が、
少し冷たい。
「……それ、前にも言われました」
「そう?」
くすっと、
笑う気配。
「同じことを、
考えるやつは多い」
境内の空気が、
じわりと重くなる。
「君は、
向こうに戻らなくていい」
恒一は、
視線を上げた。
夕焼けが、
雲に隠れている。
「……戻る、って」
声が、
少しだけ掠れる。
「……どこですか」
沈黙。
それから、
声が低くなった。
「君が、
ひとりになる場所」
胸の奥が、
ぎゅっと締まる。
でも。
「……それ、
もう違います」
自分でも驚くくらい、
静かな声だった。
「……ここに来る前より」
少し、
間を置く。
「……ひとりじゃないです」
風が、
境内を抜けた。
空気が、
一瞬だけ揺れる。
「……そうか」
残念そうな、
でもどこか納得した声。
一歩、
何かが近づく。
その瞬間。
「――下がれ」
ヒナトの声がした。
振り向くと、
ヒナトが立っていた。
「……また来たな」
姿のない存在に向けて、
そう言う。
空気が、
すっと軽くなる。
「……行った?」
恒一が聞くと、
ヒナトは短くうなずいた。
「今日はな」
境内に、
静けさが戻る。
「……すみません」
「何が」
「……一人で何とかできると思って」
ヒナトは、
少し考えてから言った。
「……立ち止まっただろ」
「……はい」
「それで十分だ」
それ以上、
何も言わなかった。
夕方の風が、
二人の間を通り抜ける。
恒一は、
自分の足が
ちゃんと地面についているのを感じていた。
何かを
倒したわけでも、
打ち勝ったわけでもない。
ただ、
立ち止まった。
それだけなのに。
それが、
少しだけ誇らしかった。
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