「水面に映るもの」
読んでいただけると幸いです
その日は、最後の授業が早く終わった。
チャイムが鳴ると、クラスメイトたちは部活や寄り道の話をしながら教室を出ていく。
真壁恒一は、いつも通り一人で席を立った。
部活には入っていない。
放課後に予定があるわけでもない。
だから、帰り道はいつも同じだ。
校門を出て、家とは反対の方向へ曲がる。
制服のまま神社へ向かう道は、人通りが少なく、
遠くから鳥の声が聞こえていた。
石段を上ると、夕方の光が境内に差し込んでいる。
昼と夜の境目みたいな時間だった。
「……来たな」
拝殿の柱の影から、ヒナトが姿を現す。
昨日よりも、少しだけ自然な声だった。
「はい。学校帰りです」
「制服、目立つぞ」
「……やっぱりですか」
恒一が苦笑すると、ヒナトは肩をすくめた。
「まあ、今日はまだいい。
日が落ちる前ならな」
境内に、短い沈黙が落ちる。
風が吹き、木の葉が擦れる音がした。
恒一は、ふと川のほうに目を向ける。
「ここ、放課後に来ると、
音がはっきり聞こえますね」
「人が減るからな」
ヒナトはそう答えてから、少しだけ言い淀んだ。
「……だから、寄ってきやすい」
「え?」
「いや、何でもない」
ヒナトは視線を逸らす。
川は夕焼けを映して、静かに流れていた。
恒一は、その縁に立つ。
「川、きれいですね」
その一言に、ヒナトはわずかに表情を変える。
「見るなら、水面だけだ」
「中は?」
「覗くな」
短い言葉だったが、
そこにははっきりした意思があった。
恒一は言われた通り、水面だけを見る。
赤く染まった空と、揺れる木々。
その中に、
もうひとつ影が映った。
人の形に、近い。
「……ヒナト」
名前を呼ぶと、ヒナトはすぐ隣に来ていた。
「気づいたか」
「……誰ですか」
「川の守り。
この辺りじゃ、昔からいる」
水面の影は、こちらを見上げるでもなく、
ただ流れに揺れている。
「怖くは……ないですね」
「そうだな」
ヒナトは小さくうなずいた。
「こいつは、引き留めない。
流れるままにしておく」
「……話しかけても?」
ヒナトは少し考えてから、言った。
「短くな」
恒一は川に向かって、小さく声を出す。
「……こんばんは」
水面が、わずかに波打った。
それだけだった。
「返事、ないですね」
「期待するなって言っただろ」
そう言いながら、ヒナトの声は少しだけ柔らかかった。
しばらく、二人で川を眺める。
「……毎日、来てもいいですか」
ふと、恒一が聞いた。
ヒナトはすぐには答えなかった。
「……毎日は、やめとけ」
「じゃあ、たまに」
「それなら、まあ」
ヒナトは空を見上げる。
「人間の時間は、ちゃんと使え」
その言葉に、恒一は少しだけうなずいた。
「……日、落ちる」
ヒナトが言う。
「今日は、ここまでだ」
「はい」
帰り際、恒一はもう一度だけ川を振り返る。
水面には、もう影はなかった。
制服のまま神社を出て、
夕焼けの道を歩きながら、恒一は思う。
放課後に、
人には見えないけれど、
確かに“誰かがいる場所”があることを。
まだまだ登場人物紹介の回が続きます




