「忘れられるための距離」
読んでいただけると幸いです
昼休みの校舎裏は、風の音だけが響いていた。
フェンスの向こうで稲が揺れ、その影が地面に流れる。
恒一は、そこに立つ存在に気づいた。
人の形をしている。
けれど、輪郭が曖昧で、目を凝らすほどに実在感が薄れる。
学生服のようで、そうでもない服。
年代が噛み合わない違和感。
「……こんにちは」
声をかけると、少し遅れて顔が向く。
白く濁った目が、恒一を見る。
「……ああ」
それだけだった。
会話は続かない。
なのに、恒一は立ち去らなかった。
静かだった。
胸の奥が、ひどく穏やかだった。
⸻
次の日も、その次の日も。
ワスレガミは同じ場所にいた。
……いや、同じ“ようで違う”。
髪の長さが微妙に変わり、
制服のボタンの数が合っていない。
「昨日も、ここにいましたよね」
「……そうだったかもしれない」
曖昧な返事。
それでも恒一は、不安にならなかった。
教室で一人でも、
昼を一人で食べても、
胸を刺していた感覚が、どこか遠い。
「……変だな」
寂しいはずなのに、
寂しいと思えない。
その感覚が、少し怖くて、
少し――楽だった。
「それ、楽だろ」
背後から、ヒナトの声がした。
振り返ると、いつもの距離感で立っている。
「……はい」
否定できなかった。
ヒナトはワスレガミを見て、短く言う。
「長居するな」
それだけで、理由は言わない。
⸻
三日目。
恒一は、はっきり気づいた。
――自分が楽になっている理由を。
「……あなたが、やってるんですか」
問いかけると、ワスレガミは少しだけ視線を落とした。
「……薄くしている」
静かな声。
「君の中の、寂しさを」
胸が、きゅっと締まる。
「どうして……」
「寂しさが強すぎると、人は壊れる」
淡々とした口調。
「でも、薄くしすぎると……動かなくなる」
恒一は、その言葉よりも――
ワスレガミの表情が気になった。
感情が乏しいはずなのに、
どこか、ひどく寂しそうに見えた。
「……あなたは」
言葉を選びながら、続ける。
「一人で、平気なんですか」
ワスレガミは、少しだけ間を置いた。
「慣れている」
それが、答えだった。
恒一は、迷った。
自分のために離れるなら、まだ分かる。
でも――
「……僕が離れたら」
喉が詰まる。
「あなた、もっと……」
“一人になる”
その言葉が、言えなかった。
ワスレガミは、静かに首を振った。
「それでいい」
「君がここにいるほど、
君の世界が薄くなる」
恒一の胸に、痛みが戻ってきた。
でもそれは、
逃げたい痛みじゃなかった。
「……分かりました」
声が、少し震える。
「戻ります」
ワスレガミは、頷いた。
「ありがとう」
その言葉が、どちらに向けられたものか、
恒一には分からなかった。
⸻
風が吹く。
ワスレガミの輪郭が、景色に溶けていく。
「……さよなら」
返事はない。
でも最後に、
ほんの一瞬だけ――
微笑んだように見えた。
⸻
放課後。
昇降口で靴を履き替えていると、声がした。
「恒一」
颯太だった。
「一緒に帰ろうぜ」
「……うん」
歩き出すと、胸の奥が、少しだけ痛む。
でも、その痛みは、
誰かと歩くための感覚だった。
校門の外で、ヒナトが並ぶ。
「選んだな」
低い声。
「……はい」
夕暮れの道に、二つの影が伸びる。
寂しさは戻ってきていた。
でもそれは、
誰かを大切に思える証だった。
恒一は、前を向いて歩いた。
1話完結にしてるけど読みにくくないかな?




