「黒い影は知っている」
読んでいただけると幸いです
昼下がりの神社は、
人の気配がほとんどなかった。
境内に落ちる影が、
やけに濃い。
恒一は、鳥居の前で立ち止まった。
(……来てしまった)
今日は、
寄らないつもりだった。
学校で起きたこと。
階段。
名前。
胸の奥が、
まだ落ち着かない。
「――ふうん」
低い声が、
背後から落ちてきた。
振り返るまでもない。
「クロギ……」
黒い外套のような影が、
木陰からゆっくりと形を取る。
人の姿に近いが、
どこか輪郭が曖昧だ。
「ずいぶん、人臭くなったな」
「……何の用ですか」
「用なんてないさ」
クロギは笑う。
「ただ、変わった“匂い”がしてな」
一歩、近づく。
「名前を呼ばれただろう」
恒一の背筋が、
ひやりとした。
「……関係ありません」
「あるさ」
即答だった。
「人間同士が名前を呼ぶってのはな」
「境目を越える合図だ」
影が、
わずかに揺らぐ。
「お前は、見える側だ」
「本来なら、
人と深く関わっちゃいけない」
恒一は、
唇を噛む。
「……分かっています」
「本当に?」
クロギの声が、
少しだけ低くなる。
「なら聞くが」
「その人間が、
お前のせいで怪我をしたら?」
恒一の脳裏に、
階段の光景がよぎる。
颯太の膝。
わずかな赤。
「……」
「ほらな」
クロギは、
楽しそうに言う。
「もう、無関係じゃない」
境内の空気が、
じわりと重くなる。
「なあ、恒一」
名前を呼ばれ、
胸がざわつく。
「お前が守ろうとしてるのは」
「本当に、あの人間か?」
「それとも――」
言葉が、
途中で途切れた。
「――恒一?」
聞き慣れた声。
境内の入口。
颯太が、
こちらを見て立っていた。
「こんなとこで何してんだ?」
クロギの影が、
一瞬で薄くなる。
「……っ」
「誰と話してた?」
「……誰とも」
恒一は、
少しだけ視線を逸らす。
颯太は、
不思議そうに首を傾げた。
「そっか」
それ以上、
踏み込まない。
「でもさ」
少し間を置いてから言う。
「今日、呼んでみたけど」
「恒一って、呼びやすいな」
胸が、
きゅっと縮む。
「……そう、ですか」
「うん」
颯太は、
笑った。
その背後で、
誰にも見えない影が、
低く囁いた。
(――もう、戻れないぞ)
恒一は、
それを聞かなかったふりをして、
颯太の隣に立った。
日常は、
まだ壊れていない。
けれど。
確実に、
境目は揺れていた。
クロギは何考えてるんでしょうね




