「眠れない夜」
読んでいただけると幸いです
布団に入っても、恒一はなかなか眠れずにいた。
天井を見つめ、目を閉じては開く。
昼の出来事が、何度も浮かぶ。
階段。
影。
踏み外した足。
血がにじんだ掌。
(……見えていたのに)
「真壁のせいじゃないから」
颯太の声が、胸の奥に残っている。
恒一は、静かに部屋を出た。
廊下の先、台所から小さな物音。
澄が起きているらしい。
縁側に腰を下ろすと、夜風が涼しかった。
神社の森は、暗がりの向こうで静かに広がっている。
(行くな)
ヒナトの言葉がよぎる。
――夜は、危ない。
恒一は、森を見つめるだけで、近づかなかった。
その境目で、何かが動いた気がする。
でも、来ない。
「恒一」
後ろから、穏やかな声。
振り返ると、澄が湯呑みを二つ持って立っていた。
「眠れない?」
「……少し」
「そう。じゃあ、これ飲みなさい」
隣に腰を下ろし、湯呑みを差し出す。
「今日は、ちょっと顔色がよくなかったもの」
恒一は、受け取りながら黙っていた。
「無理に話さなくていいからね」
澄は、湯気を眺めながら続ける。
「でも、何かあったのは分かるわ」
小さく、笑う。
「昔から、考えごとがあると、すぐ分かるんだもの」
澄は、神社のほうをちらりと見た。
「夜はね、余計なことまで気になりやすいの」
「だから、今はここでいいのよ」
縁側を、軽く指で叩く。
「危ないところに、わざわざ行かなくていい」
「……はい」
「ええ。それでいい」
声は優しく、押しつけがましくない。
湯呑みの温かさが、
少しだけ胸の奥を緩めた。
森の奥で、枝が揺れた。
けれど、近づいてくる気配はなかった。
(明日……)
明日こそ、
ちゃんと向き合おう。
逃げずに。
夜の神社へは、
行かないまま。
お婆ちゃんの優しさが沁みる回ですね




