第15話 双糸(そうし)
王都を離れた道の上で、風が布を鳴らしていた。
庇護組の旗が、初めて地方に運ばれる日だった。
リアナとノアは並んで馬車に揺られながら、
王都の塔が遠ざかっていくのを黙って見ていた。
「……あの塔の鐘、聞こえなくなるまでどのくらいかかると思う?」
リアナが尋ねる。
ノアは耳を澄ませてから答えた。
「八十息くらい」
「八十息も“離さない”でいられたら、立派な布になるね」
リアナの声は静かで、どこか祈りのようだった。
馬車の外には、まだ“涙の式”を知らない村々が広がっている。
そこでは噂よりも、不信が早く走る。
“庇護組が来る”――そのひとことに、戸を閉ざす家もある。
彼らは“声を持たない者”を危うい存在と見なしていた。
守られることを恐れ、守ることに慣れていない人々。
リアナは窓から外を見つめる。
「新しい噂を縫うには、新しい針が要るね」
ノアが微笑んだ。
「なら、針は二本です。あなたと僕で“双糸”」
*
最初の訪問地は、東方の織物の町・イリス。
“布の聖地”とも呼ばれるこの町では、布が神に捧げられ、
泣くことも声を出すことも穢れとされてきた。
庇護組が入ると、広場に静かな圧が走った。
女たちは口元を覆い、男たちは目を伏せる。
子どもだけが、興味深そうに旗を見上げていた。
リアナは幕を張り、低い声で告げる。
「“声を出さない”ことを罪にはしません。
でも、“声を持たない人”を無視するのは、罪にします」
その一言に、群衆がざわめいた。
長老らしき男が杖を鳴らし、低い声で言った。
「言葉を汚すな。声は神のもの。
人が“守る”など、傲慢だ」
リアナはうなずいた。
「神は、声だけを与えたんですか?」
男が沈黙する。
「なら――指も、目も、布も、神の声です」
ノアが隣で、親指を二度叩く。
「コッ、コッ」
続けて、子どもが真似をした。
「コッ、コッ」
次に、その母親が。
「コッ、コッ」
音が連鎖し、広場が小さな音の海になった。
リアナはその音を聴きながら、
「神がくれた声の数だけ、“離さない”はある」
と言い添えた。
長老はしばらく俯いていたが、
やがてゆっくりと杖で地を二度打った。
「コッ、コッ」
リアナは静かに微笑んだ。
「認めますか?」
「……認める。神は、沈黙にも声を置いたらしい」
*
夜。
イリスの宿で、ノアが布の端を縫い直していた。
リアナが湯を差し出す。
「今日の“布合わせ”、完璧だったね」
「子どもが最初に動いたからですよ。いつも、最初は彼らです」
ノアの声は優しい。
リアナはその横顔を見て、ふと尋ねた。
「ノア、あなたは何を守りたいの?」
「言葉の間です」
「間?」
「声と声のあいだ。そこに、誰かが置き去りにされる」
リアナは息を呑んだ。
「……それが“離さない”の本当の意味?」
「たぶん」
ノアは針を止め、リアナの手に触れる。
「だから、僕はあなたと双糸でいたい」
布の上で、二人の指が重なった。
親指が二度、二度。
布を渡すように、心音が重なる。
「平常」
「平常」
外では、町の子どもたちが石畳を叩く音がした。
「コッ、コッ」
――離さない。
それは、神への祈りでもあり、
人の約束でもあった。
*
翌朝、リアナはノアに書簡を手渡した。
封には庇護組の印と、王都への報告文。
> イリスの町、涙と声を受け入れる。
> 双糸の手順、初めての成功。
ノアはそれを受け取り、頷いた。
「次はどこへ?」
リアナは朝靄の向こうを見つめた。
「北。雪の村よ。
声が凍る場所でも、“離さない”は聞こえるか、確かめたい」
ノアは微笑む。
「声が凍っても、布は裂けません。
僕たちは双糸ですから」
二人の足跡が、白い道に並んで続いた。
その後ろで、風が柔らかく“コッ、コッ”と鳴る。
誰かが、まだ知らない場所で、
その音を聞いて微笑んでいる気がした。
《次回予告》
第16話「新しい布」
雪の村で、リアナとノアは“離さない”を知らない人々と出会う。
彼らは「守り」より「忘却」を選んできた民――。
記憶と赦し、そして未来を織る、最後の誓いの章。




