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ウールマッシュ

 柳楽国昭。

 四十歳。関内市ゴミ回収員。

 大学で農学、環境生命科学を学んだ彼は、神取の後輩にあたる。

 

 しかし博士や大学教授という固い職業が性に合わない彼が、清掃作業員という仕事を選んだ背景にはリサイクルフローを実学として吸収し、環境問題の最前線に立ちたかったから。というものがある。


 ある日の夜、彼は横浜臨海パークにて……羊毛でできた帽子を手に取る。

 その瞬間、頭に電撃が走り『ウールマッシュ(Woolmash)』という技術を思いついたのだ。


 羊はウールを定期的に落とし、微生物に寄生させ、繊維が繁殖ポイントになる。

 羊を通じた移動で、新しい群落ができる。『生きた輸送体』の担い手である。

 

 柳楽は、『ウールマッシュ』を用いて、モザイク病、プラムポックス病などウイルスに冒された木の洗浄ができるのではないかと思いついた。

 微生物レベルまで小型化させた繊維、ウールマッシュに木に不要なウイルスをまとめて、一括に破棄する。

 まるで不要なメールをトラッシュボックスに入れるように。


 ウールが、細菌たちのコロニーになり、監獄になり、雛床になる。

 それを柳楽は……あの日偶然触ったパパーハの感触から思いついた。


 落下するリンゴを見て、万有引力に気がついたニュートンのように。


 そしてそのアイデアを、大学時代の先輩で教授をやっているらしい神取篤に送り続けていたのである。


 神取と柳楽に直接的な面識はなく、学会にも講演会にも顔を出さない人間のアイデアを、普段の神取ならば相手にしない。



 腸内真菌の細胞と吸光酵素の細胞……その他の細胞を……

 本来纏まらない、安定しないはずのそれらを無理やり組み合わせたのが、未来の息子の失敗である。その結果生まれたのがカーボンファージという殺人兵器だ。


 しかし、細胞たちが安定するまでの雛床があったら? コロニーがあったら?

 そのヒントは……実はずっと、自分や恋人の、『頭の上』にあったなんて———


 現代では細胞ほどの大きさのものを絡めとるウールなんて存在しえない。しかし、三十年あったらどうだろう? 三十年、探し続けたらどうだろう?

 

  


 ホテルの窓から、赤い光が差し込む。

 これは夕日か? 朝日だろうか?

 その光に手をかざしながら神取は、藤田の事を思った。



 * * * * *




 白い路地では、Aチームのハンニバルが、数十人という数の黒服たちに囲まれていた。


「……どういうことかな?」


「ハンニバル。君にはプロジェクト・タナトスの任務を進行する上で、妨害する思想の持ち主であることが判明した。

 ……君が起こした、あきるの市の臨界事故に対する査問が開始されるだろう。君と、君のチームを更迭する」


「いつの話だね……。何を言っているんだ今更」


「すでに君の仲間は連行されている。……連れていけ!」


「待ちたまえ! 納得のいく説明をしたまえ! これは大問題だぞ!? 離せ……離したまえ!!」





 * * * * *


 白い洋館。奥の間。

 藤田が、顎が外れんとするほどの口を広げ、驚愕している。


「俺が……やってきたことは……貴方たちの任務?」


 藤田が問うと、目の前に座る老婆……きんはゆっくりと頷いた。


「俺たちが『そうする』ように、貴方たちが仕向けたってことですか……?」


「そうなるわね」


 これが、『タナトス』を担当した黒スーツが、末端の五人だった疑問に対する答えだ。

 ……そもそも五人だけじゃなかった。Cチームの実働が五人だったということである。


「だったら……」


 藤田は、思わず自身の膝を叩いた。


「だったらなんでこんな回りくどい事をするんですか!

 タナトスの事だって、カーボンファージのことだって、もっと早く教えてくれればよかったじゃないですか!!」


「ごめんなさいね」


 きんの表情は崩れなかった。


「黒スーツは、数がものすごく多い。そして、黒の意志は一つじゃないのよ。

 一つの意思に、対立する意思がたくさんあるわ。

 それぞれがお互い、邪魔したり、足を引っ張ったり、悟られないように回り道したり、騙しあったり、出し抜こうと奇策に出たりしているの。

 そんなことを、もう何千年と繰り返してきているのよ。その間も黒スーツは増えていく。今はとても纏まらないわ。

 だから、ややこしくなっちゃう。複雑で難しくなる。周りくどくなっちゃうのよ。身に覚えがあるんじゃないかしら?」


 ……例えば、Cチームに任務が届く。プランを考える。

 三田村と中条が対立して、作戦がややこしくなる。そこに、Aチームまで妨害にくる。

 藤田はため息をついた。同じ目的のはずなのに、纏まらないのが人間で黒スーツだ。


「どうして、俺をここに呼んだんです?」


「上田美代子や、神取篤を誘導したのは貴方達で、そんな貴方達を誘導したのは私たち。でも、私たちにだって多分、

 もっと上がいて、その人たちが貴方と私を引き合わせたの。きりのない話だわね」


 藤田は再び顔を上げた。きんは、一層穏やかな顔になった。


「あなた、さっき大きな決断をしたわね」


「決断?」


「……上田美代子の子供に、乗り移ろうっていう決断。

 黒スーツになりたての人間には大きな決断よ。時間もかかる。困難も多い。

 裸足の赤ん坊が長旅をするようなものよ。人間ならそれを、不可能と呼ぶわ」


「不可能なのは……山田さんから聞きましたよ」


「本来ならね」


「え……?」


「赤ん坊だって長旅をしなければならない事が、あるかもしれない。その赤ん坊に、勇気を与えようと思って」


「勇気……ですか」


「藤田くんが、上田美代子の赤ん坊にジャックしようとしたのは、それは私たちの意志がそう誘導させたのかもしれない。

 そしてそれは、もっと上にいる誰かの意思がそうさせたのかもしれない」


 きんは、ゆっくりと立ち上がり、カーテンを開いた。眩しい白い光が部屋の中に差し込む。


「……貴方の決意、貴方が思いついたアイデア、貴方がとった行動には、数千、数万人分の、意志と決断があるという事だわ。

 貴方だけじゃない。貴方が導いてきた上田美代子にだって、神取篤にだって、他の人間達にだって、

その人間が言うこと、起こす行動、書く絵や小説、口ずさむ歌、全てに、数十万人の意志が関わっている。

 それが、誰に対するなんのヒントになるのかは解らないわ。それでも貴方は……」


 白い逆光の中で、きんは微笑んだ。


「少なくとも一人じゃない。見えないだけで数十万人、数百万人が今でも貴方のために、頭を抱えて考えているんだわ」


 藤田はきんの事をぼんやりと見つめる。

 

「怖がることなんて、なかったんですね」


「ただし、呑気に構えすぎないこと。黒の意志は一つじゃないわ。違う意志を出し抜くために……そうね。

 あなたは、更迭されてしばらく監禁されていることにしましょうか。理由は、わかるわね」


 きんの言葉に、藤田は一度だけ、ゆっくり頷いた。


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