黒幕
大勢の黒スーツが大挙してこの部屋に入り、Cチームの面々を連行した。
他と変わり映えのないただの白い部屋には、本当に何も残されていない。
今は、Aチームのハンニバルとモンキーが立っている。
「のう、チーフ。机上の空論ってのは恐ろしゅうこっちゃな。具体性のない状況の、具体性のない仮説を立てて。
立てた仮説に勝手に怯えて、行き先は豚箱や」
「そうかね」
「こいつら……なしてタナトスのことなんか探り入れたんかいな。自分らが百年ばかし、監禁されるのを覚悟の上やったんじゃろか」
「さあねえ。我々はひとまず、喜ぶべきなんじゃないか?
Cチームが居なくなれば、タナトスは生き続けるのだからね」
「あいつらは、どうするんじゃ」
「どうも、三人ともバラバラの場所に移送されるみたいでねぇ……」
「は!? ……なんでそんな面倒臭い……」
「仕方がないよ。君と私とコングで、一人ずつ、しばらく監視した方がいいねえ」
「神取とかいう教授は? プロジェクトの内容を知ったみたいじゃが、放っておいてええのか?」
モンキーが聞くと、ハンニバルは「ふん」と笑った。
「彼は何もできないよ。それよりも、Cチームが妙な事を起こさないように見張っていないとねえ」
* * * * *
『現実時間』八月一日。金沢のホテル。
神取がPCを起動させて、『存在しない植物』についてあれこれシミュレートしているが、結局また行き詰まった。
シロアリの腸内真菌、新海藻の吸光酵素。その二つの遺伝子を植物に移し替えたところで、カーボンファージと思しき新種の細菌の兆候は見られない。
当然、『通常の倍速で成長する木』なんて新種を開発できるわけがない。
そもそもが、腸内真菌の細胞が深海植物の細胞には居付かない。安定しないのがシミュレートの出した計算結果である。
不可能なのだ。現代の技術では。
神取は拳で机を叩いた。悔しかった。
未来の息子の、質問に答えてあげられていないような気がして。
考えれば考えるほど、これは愚かな作業だ。
こんなものは、机上の空論じゃないか。
ウッドショックを物理的に解決する木、なんてそれこそ子供の考える空想の世界の話だ。
……だが、もしかしたら息子は、そんな空想の世界を未来で実現させようとしたのかもしれない。
結局、殺人兵器になってしまったのは、志半ばのままの、息子の夢なのかもしれない。
もう一度、机を殴った。拳が熱い。
PCの置いてある机は、ここ数日引きこもっているせいですっかり神取の家のように散らかってしまっている。
ひどい有様だ。美代子に見られたらどう思われるか……。
息子は何を間違えたんだろう? 何が足りなかったんだろう?
……三十年も過去にいるのでは解るわけがないじゃないか!
やめよう。もうやめよう。
ここ数日のうち、何回この言葉を頭の中で叫んだろう。
無駄だ。それが本当に起きることなのだとしても、三十年前の人間が未来に対して解決できる問題なんてないのだ。
……こんなものは子供の考える机上の空論だ。……違うのは、未来が解っていること。
「くそお……」
神取は、再び昆虫図鑑のシロアリの頁。そして高山植物図鑑の、見飽きた五十三頁を開く。
当然、情報が新しく増えているなんてことはない。
藤田が送ってきたDMを開いて、Cチームの活動履歴にもう一度目を通してみても、彼らが結局自分達に何をさせたかったのか、こんな短い文章では意味がわからない。
気持ちが弱くなる度に、藤田が言った言葉が蘇る。
「ヒントは、出揃っているはずなんです」
……結局まだ、諦めたくない自分がいるのかもしれない。
* * * * *
鮎川に連行され、藤田が辿り着いたのは白い洋館であった。非常に巨大な洋館だ。
中条や山田とは別々の場所に連れてこられた。
ビルディングしかない白い景色の中に、洋館が堂々と建っており威圧感を感じる。
巨大な内部では、大勢の黒スーツたちが右往左往しており、各々の『任務』をこなしているようだった。
Cチームなどとは規模が違う。
彼らは、鮎川と藤田が館内に現れると、自然に道を開けた。
黒スーツの群れを、モーゼが割った海を歩くように進んでいく。
通されたのは洋館の奥。白くて巨大な扉が、ギギィ……と開くと、当然向こう側に広がるのも白い景色だ。
巨大な部屋である。白い窓、白い椅子、装飾品、テーブルもどれも白。
見飽きた白い世界だが……窓からは白い光が差し込み、藤田を『待っていた』人物を照らしている。
それは、これまで藤田が見てきた他の白い部屋とは異質な空間であるように感じた。
『彼女』からは、敵意を全く感じなかった。
鮎川に促され、藤田は室内に通される。
『彼女』は、齢九十をとうに過ぎているように見える。深く刻まれた皺。長く、整えられた白髪。
しかし、背筋が「しゃん」と伸びており、その視線は藤田を歓迎するでも邪険に扱うでもなかった。
ただ、底知れない余裕を感じた。
藤田がプロジェクトの裏切り者でも、異分子でも、大した脅威ではないと瞬時に見破られた感覚だった。
藤田は思った。黒幕の登場であると。
「よくきてくれたわね」
彼女は、外見とは釣り合わない、はっきりと大きな声で喋る。
声が、部屋の空間を埋め尽くした。
声が当たるだけで、藤田は思わずたじろいだ。
彼女は、自分なんかが背伸びしたって届かない世界を、自分が理解できないほど長い時間見てきている。
そしてそのような人物がこんな声を出すのだ。
そう感ずる声だった。
藤田は、彼女から発せられるオーラからか一言も返せなかった。
「なんだか、ここで貴方と喋るなんて可笑しな気分ね。
私のことは『きん』と呼んでちょうだい。この子は鮎川。知ってるわよね。
この子の目や耳を通じて、私は貴方たちの事をずっと見ていたのよ」
『ずっと見ていた』藤田はいよいよ、蛇に睨まれた蛙になってしまった。
つまり全部知っているのだ……。
彼女の前では、上田についていたような無理やりな嘘も、何も通用しない。お見通しなのだから。
「座ってちょうだい」
きんが、藤田を自身の目の前の椅子まで促す。
藤田が一歩、彼女に近づくたびに皮膚がピリつく感覚があった。
本当に痛いのだ。この感覚は一体なんなのだろう? 自分の全てを知られていると感ずる不愉快さは。
藤田はきんの前に座るが、体を完全に向けることはできなかった。
そしてきんは、一言目から核心を抉ってきた。
「全く、すごい事を考えつくものだわ。
生まれてくる子供をジャックしようとするなんて」
藤田はなんとか、きんからの圧に負けないように視線を合わせようとするが、
きんが目に入るたびに『負けて』涙が溢れてそうになってしまう。後ろめたい気持ちがあるからかもしれない。
「そんな事を思いつく新人の黒スーツなんて、私の周りでは貴方が初めてよ。恐れ知らずなのねえ」
カタン。と音がしたと思うと、鮎川が二人にお茶を淹れた音だった。
「ところで、藤田くんはこう、聞きたいのじゃないかしら」
きんは、鮎川が淹れたお茶を一口飲むと、さらにゆっくりと、低い声で言葉を出した。
「プロジェクト・タナトスとはなんなのか」
藤田は下を見たまま、口を一文字に結んで黙るしかなかった。
しかし、続いた言葉は意外な一言だった。
「ごめんなさいね。私にもよくわからないのよ」
え、と藤田は初めて顔を上げた。今の言葉が何を意味するのかも、きんが嘘をついているのかも、何もわからなかった。
「その代わり、貴方たちの事はとても詳しいわ。今まで何をしてきて、どこで何を見て、何を感じたのか」
「俺たち?」
「C teamのことよ。もう現実時間では一年近くも前になるのね。
貴方達が最初に行ったのは……そうだったわ沖縄の那覇ね。
あなた、和知がいるホテルで、いきなり見つかりそうになってトイレに隠れたの。
あの時私たち全員、笑い転げたのよ。
中条に持たせた白い珊瑚のカケラ、気に入ってくれたかしら。私が用意したのよ」
裏切り者を弾劾するでもなく、古い友人と思い出話をするように喋るきんの事を、
藤田は恐ろしく感じた。本当に全部を知られていて、全部を見られていたのだ。
「上田に渡した図鑑。あれは特注なのよ。
細部までこだわって作ったのに気がついてくれたかしら。
ブックカバーがモアレ生地なのがミソなの。上田のパパーハと触感を揃えれば、貴方達の任務がスムーズにいくって思ったのよ」
本当に嬉しそうに、きんは一つ、一つのCチームの任務の事を語る。藤田の口から言葉が溢れた。
「全部……貴方が用意したのですか」
「私じゃないわ。『私たち』よ。C teamの任務のことだけじゃないわ。貴方が許されない恋に落ちるのも、彼女のために一生懸命になるのも、彼女の息子にジャックするなんて言い出したのも、
ずっと見ていたし、『そうなるように』応援していたの」
そう言われて初めて、藤田ときんの目が合った。
「そこまでが『私たちの任務』だったのよ」
* * * * *
『現実時間』八月一日。金沢のホテル。
探せ。探せ。
どこにヒントがある。
息子の間違えた箇所を、居付かない遺伝子を、どうしたら解決してあげられる。
ヒントはある、どこかにあるはずだ!
神取はメモ、二つの図鑑、藤田からのDMを何周もしているが、何もわからない。
足掻く。三十年という時間の長さにたじろぐ。諦める。また足掻く。このサイクルをずっと繰り返している。
そして、もう何度目かの「やっぱり無理だ」の周期がきた。
もう手は尽くした。できる事は全てやった。
テーブルに目をやれば、『高山植物図鑑』の五十三頁目、深海藻の説明が目に入ってくる。
もう、書かれている絵も、文言も暗記した。
それでも何も思い浮かばないのだ。
藤田の送ってきた、Cチームの活動履歴も、穴が開くほど読んだ。
しかし、これらと、三十年後の兵器がどうつながるかなんて、一介の大学教授にはわかるはずがない。
無理だ。とても、無理だ。
またテーブルに目をやれば、『高山植物図鑑』の五十三頁目、深海藻の説明が目に入ってくる。
深海……? 深海に何かあるのか?
海藻の酵素と昆虫の真菌を、木の細胞に居付かせる方法が……。
だとしたらお手上げだ。自分の専門じゃない。
テーブルに目をやれば、『高山植物図鑑』の五十三頁目、深海藻の説明が目に入ってくる。
自分の専門……高山植物がヒントなのか?
だったら、もうすでに答えに気がついているはずである。神取は頭を抱えた。
それでもテーブルに目をやれば、『高山植物図鑑』の五十三頁目、深海藻の説明が目に入ってくる。
……どうしてさっきから、自分はこのページに引っ張られているのだろう?
考えていたら、また頭の中で藤田の声が響いた。
「恐れないで」
……神取は目を閉じて、頭を空っぽにした。頭の中の藤田の声に従ってみたのだ。
自分は、何かを見落としている。
散らかった部屋で、無くしたものを探している時の感覚だ。大体の場合なくしたものは、『思ってもみなかった場所』からみつかる。
それはどこだ?
……しかし、考えれば考えるほど、やっぱり何も思い浮かばない。当然だ。答えがあるのは『思ってもみない場所』なのだから……
頭に来て、テーブルを叩いた。すると、テーブルの上に放棄していた缶のゴミやら、食べ物のゴミが崩れてくる。
これでは、我が家と一緒だ……。
「あーーくそ!!」
……
テーブルに目をやれば、『高山植物図鑑』の五十三頁目、深海藻の説明が目に入ってくる。
まただ。また引っ張られた。
五十三頁。……ん?
五十三。ゴミ?
……ゴミってなんだ? ゴミってなんのことだ!? ゴミがヒントなのか!?
まとまらない細胞達を、うまくまとめてくれるのは、ゴミなのか!?
ゴミ!?
しかし、昆虫図鑑を読んでみても、高山植物図鑑を読んでみても、ゴミに関することは当然書いてなかった。
次に、PCで藤田から送られてきたDMもまた、読んでみた。当然ゴミに関する文言はない。
間違いか。
神取は藤田からのメールを閉じた。
…… ………すると、画面に現れたのは、ゴミ箱のアイコンだった。
不要メールを一括送る、『トラッシュ・ボックス』だ。
神取は祈るような気持ちで、今まで自分が読みもせずに捨ててきた『不要メール』達が収められている、トラッシュボックスを開いた。
こんな理由でもなければ、決してこんなものを読みもしなかっただろう。
また、Aチームが神取を監視していたら、何かしらの妨害を送ってきたのかもしれない。
もしくは、神取が藤田からのDMにしっかり目を通さなかったら、やはりこんなものは読まなかったのかもしれない。
数々の奇跡の網を掻い潜って、神取はそれを見つけた。
送られてきたメールの送り主と……藤田から送られてきたDMに書かれている『ある人物』の名前が、一致していたのである。




