シロアリと窒息の夢
「じゃあ三田村には悪いが、協力してもらう。
ただ共通認識として覚えておいてほしい。神取さん、あんたも聞いてくれ」
白い部屋。中条が中央に置いてある黒い端末に話しかけている。
「ジャックは、ジャックされた人間の自我に干渉する。まあ考えればわかるよな。
ジャックされた人間にしたら、自分が思ってもいない行動をするわけだから。
よって長時間はジャックできない。……自我の強さにも個人差はあるが、俺の経験上、普通の人間で最長二日。
まあ、三田村という人間性に鑑みるに……やつの場合一日でジャックを解かないと自我が崩壊しかねん」
『ま、待ってくれ! なんだジャックって!』
端末の向こうから、神取の混乱が伝わってくる。
「それに関しては後で聞いてくれ。あんたはこう思っていてくれればいい。
今からきっちり二十四時間……まあ、一度夢を見て起きて、それまでに情報が何も手に入らなかったら……
俺たちのこの、悪あがきは頓挫する」
『二十四時間!? 三十年あるんじゃないのか!?』
「それは人間の都合だ。……神取さんが思っているよりも、俺たちの渡っているロープは細い。
何せ、下手なことをしたら上に嗅ぎ付けられて更迭されるんだ。
かといって何もしないでいると、俺たちを疑っている厄介なチームがそろそろ何かアクションを起こしてくる頃だ」
藤田の脳裏に、去っていくAチームのフェイスの顔が浮かんだ。
彼女は……どうなったんだろう?
「このチームが機能を停止したら、神取さん。誰もあんたに連絡なんか取ってくれないぞ。そしたらまあ……一人で頑張るんだな」
端末の向こう側が黙る。絶望感を感じる沈黙である。
『わかった。全然判りたくないけどな。じゃあ……明日、連絡を待ってる』
端末が停止する。
「……明日か。じゃあ、行ってくる。
……あと、以前藤田がジャックされた経験から、俺たちもされる可能性は十分考えられる。
まあ、……そうなったらもうおしまいだが、俺が三田村を乗っ取って『上』の居る巨大な『アーカイブ』を彷徨っている間に、
そのテのアクシデントは勘弁被りたい。山田、悪いが俺の意識をモニタリングしていてくれ」
「……わかった。『アーカイブ』で気を付けて」
「待ってください!」
藤田が中条の背中を呼び止める。
「そもそも、中条さんがいくのではダメなんですか? その、『アーカイブ』でしたっけ」
「……さっき言ったろ。この中で『お上』とのパイプ役ができるのは三田村だけだ。
他のやつは近寄ることすらできん。俺も、行ったことも見たこともない。正直、一日で手がかりなんか見つけられるのか自分でもわからん」
「なんでそんな融通が利かないんだ……」
「まあ巨大すぎる組織なんてのは往々にしてそうだ。『お上』にも考えがあるってことだろう。
……あと、この中で気がついてないのは藤田だけだと思うが……」
「なんですか」
「うん。さっき神取が言った言葉だよ。
こんな大事な任務に、どうして俺たち五人なのか。
……それはこのチームの中に、『お上』のうち一人がいるんだと思う」
藤田は、疑いの目で中条を見つめる。
「残念俺じゃないよ。まあ……三田村なんだろうよ」
中条が言うと、山田も頷いた。
「その三田村も、どのくらい『上』の存在なのか、もはやわからんがね。
上司の体を乗っ取るなんて許されんことだが……。まあ仕方がない。
気が変わらないうちに行ってくるよ。一服してからな」
「ええ。……中条チーフ、くれぐれも気を付けて」
山田が小さく言うと、鮎川も頭を下げた。
中条は、手で挨拶を返すと、タバコを咥えたまま部屋から出ていった。
* * * * *
数分後。白い部屋。
『こちらシーマルニー……』
無線から、三田村の声が響く。
中条がジャックした三田村だ。
「シーマルニー、どうぞ」
『アーカイブに到着した……。予想以上のデカさだ……。
図鑑の発送元を頼りに中を探してみる。
それともう一つ……悪いニュースだ。
三田村の体がうまくいう事をきかん。
ジャックしているのに……こいつに馬鹿にされてる気分だ。
体を乗っ取られてまで相手を馬鹿にするとは……相当性格が悪い奴だ。
……まあやるだけやってみる。どうぞ』
「マルサン了解。……マルニー、お気を付けて」
* * * * *
気がつくと、神取は『あの木』に囲まれている。
それぞれに黒い花をつけて不気味に聳え立っている。
そして神取は、子供を抱えた女性が一人、うずくまっているのを見つける。
中年女性で、目を見開き、顎が外れるほど口を開いて、喉元を押さえている。
息ができないのだ。
神取には解った。これは……美代子だ。
美代子が目の前で窒息している!
子供の方は、すでに泡を吹いて意識がない。
思わず、美代子の肩を抱えて名前を叫び、背中をさするが、美代子の目は助けを求めるばかりで声も出ない。
そして……美代子が喉を引っ掻いた。強い力だ。
人間の本能がこうさせるのだ。
神取は、名前を叫ぶ。
美代子の喉の、皮がめくれて血が噴き出る。
神取は、ただ名前を叫ぶ。
美代子の爪が、彼女の顔中を引っ掻く。
それ以上はだめだ! 神取は訴えるが美代子には届かない。
神取は、ただ名前を叫ぶ。
彼女の顔が赤く、認識できなくなっていく……
『現実時間』七月二十二日。金沢のホテル、早朝。
「やめろおおお!!」
大量の汗と共に、神取は目を覚ます。
目には涙が溜まっている。
最悪な目覚めだ。
実際、生きている心地がしないので大学は、同僚に代行を頼んで休んでいる。
図鑑は、まだ返せていない。
あれからずっと、メールボックスに溜まっている必要ない連絡を、トラッシュボックスに放り込みながら、図鑑と睨めっこをしているが、何もわからない。
高山植物図鑑にある、たったの一頁、五十三頁目の深海植物の欄が頭から離れないのが邪魔をしている。
自分がこんなに、鈍い人間だとは思わなかった……。
やはり自分一人では解決できない。
そろそろ、藤田から連絡が来る頃だろう……
* * * * *
白い部屋にて、藤田のスマートフォンから神取の怒鳴り声が響く。
『まだわからないってどう言うことだ!!』
「……すいません。中条さんから、連絡が返ってきません。『アーカイブ』で、一生懸命手がかりを探してくれてるんだと思うんですが……」
『今日までじゃなかったのか!? 今日を逃したら、もう後がないって言ったのはそっちじゃないのか!?』
「……でもまだ、中条さんが頑張ってくれてます。ごめんなさい。もう少し待ってください」
『……なあ』
「はい?」
『……もし、美代子が……子供を産まなかったらどうなる?』
「一度説明したと思いますが、そんなことをしたら、上から『タナトス』が頓挫したと思われて『代案』に切り替わってしまいます」
『代案ってなんだ!?』
「判りません。落ち着いてください……」
『一方的にこっちに関わりを持ってきて、わからないことだらけじゃ無責任じゃないか!?』
「……その通りです。申し訳ない。
……とにかく、『代案』に切り替わったらもう、僕たちは関係がなくなってしまいます。どうなるかは分かりませんが……
神取さんが見た夢よりも悲惨なことが起こるんだと思います」
『原爆か……?』
「あまり無責任なことは言えませんが……それに、もし原因が神取さん達から産まれてくる子供じゃなかったら、どうするんですか。
上田さんの気持ちはどうなるんですか?
言いにくいけれど……結婚してからも避妊を続けさせる気ですか? それとも、結婚もしないつもりですか!?」
藤田には責任と約束がある。『上田に悲しい想いは死んでもさせない』と言う約束が。
『……そうは言うが、とても怖いよ』
受話器の向こうの声が震えている。今朝まで、相当怯えていたのだろう。
「判ります。とにかく、もうしばらく待ってください。僕も色々考えます。何かあったら、こちらから連絡しますから」
『……頼む』
電話が、冷たく切れた。
* * * * *
『現実時間』七月二十三日。金沢のホテル、早朝。
現実が象徴する夢を見ているのか、象徴的な夢が現実を作るのか。
神取は、昨日と全く同じ夢を見た。
「やめろおおおお!!」
そして、いい大人が大泣きしながら目を覚ます。
「……びっくりした……」
「あ、ごめん……」
隣には、美代子の姿がある。
流石に神取がここのところ、大学を休んでホテルに引きこもっているのが心配で、様子を見にきたようだ。
「ごめん……ごめんな……」
神取は美代子を強く抱きしめた。
「……どう、したの……?」
「……なんでもない。嫌な夢を見ただけだ……」
昨日も、ホテルに美代子がくるまで図鑑を読み漁ったが何もわからない。
気にして読んでみれば、気になることはあるにはあるのだ。
しかし、どうしても深海藻のページばかり見てしまうのだ。
そして、何もわからない。
どうしたらいいんだよ。もう全部ヒントは出てるのかよ。
神取は涙を美代子の肩に落としながら、やがて嗚咽を漏らし始めた。
わからねえよ……! 誰か、誰か教えてくれよ……!!
「ねえ、そういえば、図鑑は読んでますか?」
美代子が、神取を勇気付けようとして、声をかけた。
「……ずっと読んでるよ」
「昆虫図鑑のあれ、読みました? シロアリのところ」
「……シロアリ?」
「シロアリの腸内真菌について書かれている頁です。私が好きな話で、そんなことまで図鑑で紹介してくれるなんて思ってなかったから。思わずペンで印をつけちゃったんです」
美代子は、微生物学の権威だ。なるほどそこに引っかかるのは自然なのだろう。
確かに、昆虫図鑑にもいくつか付箋が貼ってあったり、
赤いペンで色々と『印』が付いてあるのは見つけた。その中にシロアリのページも含まれていたのだろう。
気にしなかったのは、付箋の数が多すぎたからだ。
神取はベッドから飛び起きて、昆虫図鑑を広げた。
……あった! シロアリ……
「シロアリの腸内真菌はね、接種したどんな成分も分解して、効率よく体内に循環させる能力を持ってるんです。
あんな小さな体の中にそんなシステムがあったなんて。これを学校で習った時なんでだか私、感動しちゃって」
シロアリの腸内真菌……?
続いて神取は、もう何度見たかもわからない高山植物図鑑の、五十三頁目を読んだ。もう半ば暗記した文言だが、こう書いてある。
『深海藻:極限環境でCO₂を効率よく取り込む特殊タンパク質(吸光酵素)を持つ』
「篤さん……大丈夫ですか?」
「うん、平気。平気」
「……あ、いけない、私親に連絡しなくちゃ……」
自分と美代子の間に子供が生まれたとする。当然、この図鑑を子供は読む。
神取や美代子が気になった部分を、子供も気になったのだとする。
シロアリ、そして深海藻。俺の息子は一体、未来に何をしようとしたんだ?
だが、一歩前進した。
神取は、上田の額にキスをした。そして……くるはずの連絡を待った。
* * * * *
白い部屋。
「うああ!!!」
藤田が目を覚ました。信じられないくらい体が暑い。
「だいじょうぶ?」
隣に座っている山田が声をかける。
「大丈夫です……ごめんなさい。寝てしまったみたいで……
最悪な夢を見ました」
「無理もないわ。五十時間もこんな調子じゃあ……」
五十時間!? ……五十時間も経ったのか……
いまだに、中条から連絡が返ってこない。
無事なのだろうか? そして……
「三田村くん……」
心配そうに、山田がつぶやいた。
* * * * *
『現実時間』七月三十日。金沢のホテル、早朝。
同じ夢を見続けている。これで九度目だ。
この十日間の記憶はほとんどない。
きっと、同じ景色を見続けているからだろう。
美代子から、病院に行くことを何度か勧められた。
しかし頭は正気のつもりだし、元気とは言えないが、健常者ではある。
何度も、藤田と連絡をとっているが、繰り返すたびに向こう側から疲弊と、焦りと、絶望の声が増してきている。
そしてそれは、自分の絶望でもあることを意味している。
わかっていて、それを認めてしまうのが怖くて、金沢と、この図鑑から離れられなかった。
思わず咳き込む。
どうやら、完璧な健常者ではないようだ。
昨日あたりからこの部屋の空調が効きすぎている気がする。
ホテルマンに、弱めてもらうよう頼んだ。
* * * * *
白い部屋。
おそらく現実時間で、十日が経過してしまった。
あれから何度となく、中条に呼びかけているが返事がない。
藤田も山田も鮎川も、しだいに口数が減っていった。
時間がかかりすぎている。まともな人間なら、十日間ジャックされたらもう、廃人になっているだろう。
藤田は、フェイスが連行されてからも見る、『窒息の夢』の事を考えていた。
あの夢は、フェイスが見せていたのだという。
では今は、一体誰が夢を見せているのだろう?
白い部屋でまんじりともせずじっとしていたら、突然無線が鳴った。
ひどいノイズだ。
『こちらシー……… ……に見つかってしま ……!! ……今 …… 追われている!!
…… …… 藤田! …… ……ジだ!! わかったのはそれだけだ!!
…… ……に伝え…… ! こっちはもう逃げ切れない!!』
そして無線が切れて、それまでの部屋の空気が、いっぺんに変わった。




