空気について
『現実時間』七月二十日。金沢、駅周辺のホテル。深夜。
神取篤が、電話をかけている。
ホテルのサイドテーブルに、缶ビールと、二冊の分厚い図鑑が雑に積んである。
恋人から借りたものだ。大事な物だからくれぐれも汚さないように。と釘を刺された。
どうでもいいがリュックで来るべきだった。こんなに分厚い図鑑だとは思わなかったので鞄に二冊も収まらず、
手で運ぶ羽目になった。
何度目かのコールで、相手が電話に出た。
『もしもし』
「……藤田くんか?」
『……神取さん?』
「そうだ。今金沢にいる。……君が昨日言ってた本を今読んでるよ」
『え……本当ですか』
「でかい本なら最初からそう言ってくれ。運ぶのにえらく苦労したぞ」
『俺の事信じてくれたんですか?』
「……さあどうだろうな。ただ、興味は持った。……少なくとも金沢くんだりまで足を運ぶくらいにはな」
『それで、どうなんです? 読みましたか? 何か書いてありましたか?』
受話器の向こうにいる藤田の声が、大きくなっていく。
「ああ。今読んでるよ。……読めば読むほど、ありふれた昆虫図鑑と、高山植物図鑑だ。君が気にしているような、殺人兵器のことは書いてないようだけれどな」
『そうですか……』
「だが、それはヒントが足りないだけかもしれん。
何か他に、美代子に渡したものはないのか。もしくは、君は今まで、任務の一環で誰に何をした?
協力して欲しいなら知っていることを教えてくれ」
『わかりました! ええと、ダイレクトメッセージを送ります』
「そうしてくれ。それと……」
『はい?』
「君のことを、美代子に話していいのか?」
『…… ……できれば、なるべく黙っててもらえると嬉しいです』
「そうか。わかった」
* * * * *
神取様。
プロジェクト・タナトスの進捗状況並びに、Cチームの活動実績です。
・ 和知輝樹を、与那国島へと向かわせました。
・ 上田美代子に、『昆虫大全』を持たせました。
・ アルフレッド・マーカスに、『奥多摩』を植え付けました。
・ 上田美代子に、『パパーハ』を入手させました。
・ 上田美代子に、『高山植物図鑑』を持たせました。
・ アルフレッド・マーカスに、『核戦争』の不合理を植え付けました。
・ 柳楽国昭に、悲惨な別れを経験させました。
・ 神取篤に、『パパーハ』を入手させました。
・ 上田美代子が『横浜』に興味を持ちました。
・ アルフレッド・マーカスが『横浜』に興味を持ちました。
・ 神取篤、上田美代子とアルフレッド・マーカスを引き合わせました。
・ 神取篤に、『奥多摩』を植え付けました。
以上です。藤田
* * * * *
白い部屋。中条と三田村が机を挟んで向き合っている。
「待機任務?」
「はい。Cチームは、しばらくの間事の推移を見守るように。とのことでした」
「ふうむ」
中条が呑気に答える。その姿が三田村の癪に障ったようである。
「上は当然、藤田が任務外で神取とコンタクトを取ったこともわかってます。……我々がプロジェクトから外されたのだとしたら、どう責任取るつもりですか?」
「落ち着けよ。だったらわざわざ待機任務も出さずに、更迭しにくるはずだろう」
「我々の会話もすべて、上に筒抜けだとしたら……」
先ほどから心配なのだろう。三田村から生気がごっそり抜けており、いつもの威勢がないように感じる。
「今更焦ったって仕方ねえだろ。堂々としてろ……なあ。
至極前向きに考えるならお前が言った通り、俺ら黒スーツはうじゃうじゃいる。……普通はそんな大規模な組織だったら、『末端』は不正しやすいと俺は思うがね。……吸うか?」
中条がタバコをすすめるのを、三田村は鬱陶しそうに手で払った。
「もしくは、もうほぼ、計画は完了していたりしてな」
「……そんなわけないでしょう。……まだ大量殺人を起こしそうな兵器は出てきてません」
「お? 俺がいつ『兵器』の話なんてした? ……お前も気にしてるんじゃねえか」
タバコを口に咥えながら、中条が部屋から出ていった。
* * * * *
同刻。白い路地。
「嬉しいです。最近は藤田さんの方から声をかけてくれるようになって」
藤田の前に、金髪の少女、フェイスが立っている。
相変わらず、フェイスなんて名前の割に表情が無い。
「茶化さないでくれ」
「それで、どうかしたんですか?」
「……君が知っていることを、全部話してほしい」
「何について?」
「タナトスの事全部だ。知りたいんだ。自分が何をしてきたのか」
「……私も知っているわけじゃ……」
「嘘だ! ……俺と俺の仲間たちが、みんなして同じ夢を見ていた。窒息死する夢だ。黒スーツが夢なんて見るのがまずおかしいのに。そして、最初にあの夢のことを話したのは君だ」
藤田が詰め寄る。すると……フェイスの目が不自然に泳いだ。
腕を伸ばして藤田の袖を強く引っ張る。
「藤田さん……ちょっとこっちきて!」
白い建物と白い建物の隙間に、藤田を引っ張る。
今までの無表情はすっかり崩れ、切羽詰まった顔に変わっていた。
「聞いて。プロジェクトタナトスにおける、AチームとCチームの任務は、横浜での共同作戦を以て『完了』しました」
「『完了』した?……どういうことだ」
「工程は完了。あとは……事が起きる推移を見守るだけ」
「!!……じゃあ、プロジェクトを妨害するのは手遅れってこと……?」
「問題はそこじゃあありません……そこの物陰から外を見て。体格のいい黒スーツがこっちを見てる」
頭に疑問符を浮かべながら、藤田は言われた通り、白い壁に背中をもたれて建物の反対側を覗いた。
数百の黒スーツが周りに無関心で飛び交っている中で……
地面に足をつけて、少し離れたところから一歩も動かずにこちらを凝視している黒スーツがいる。
「あいつは『コング』……Aチームですが任務はプロジェクトの治安維持です。工程が完了してからが彼の任務です」
「治安維持……?」
「プロジェクトが頓挫したとコングが判断したら、上に報告する役割です。素早く『代案』に切り替えられるように。
藤田さん、タナトスの任務は完了しました。しかし……現実世界で大戦はまだ発生しません。
逆にいうと、タナトスはそこまで余裕を持って行われたプロジェクトなんです。代案も他のチームによって同時並行で進んでいるかも知れない。
ですから……今から神取やアルフレッドを黒スーツ的に始末したら即、上からのシナリオはタナトスから、『代案』に切り替わってしまいます」
「『代案』って……?」
「詳細はわかりません。代案がいくつあるのかもわかりません。だけれど、プロジェクトの本命は現時点で『タナトス』です。
だから……私はあなた達に接触して、『窒息死する夢』を見せた。夢は、黒スーツが人間に見せるメッセージなんです」
「え……?」
フェイスは唇に指を当て、藤田が喋るのを制した。顔からすっかり余裕が消えている。
「代案に切り替わってしまった時点で、事態は私たちじゃあコントロールできません。ですから、タナトスは、あくまでも進行中であることが重要なんです。
その上で……『あの夢』のような状況を、人類に選ばせない必要があります」
「タナトスはあくまで継続しているように見せかけて、最後に出し抜け……ってこと?」
「そうです。
……藤田さんに、私の意思を引き継ぎます。
コングに気をつけて。あいつの感覚は私たちより鋭い。
私は……時間を稼いできます。多分更迭されるので、もう会えません。藤田さん……私は、空気が吸えない人を見るのは嫌です」
そう言いながら何かを、藤田のポケットに入れる。
藤田がそれを探ってみると、一本のタバコだった。
「負けないで。……それじゃあ、さようなら」
フェイスは、白い建物の陰から一人飛び出し、大男の方へと歩いて行った。




