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任務の果てに……

『現実時間』六月一日。金沢、午前十一時。


 雨が多い時期だからだろうか。空も気分も重たい。

 上田美代子は研究室のデスクでぼんやり空を見た。



 今月末に開催される『国際環境シンポジウム』のための準備をしながら、上田は傍に置いてある帽子に何度も触れた。


 自分も忙しい生活サイクルに入っているのが、まだ救いだったかもしれない。

 元々、下水濾過装置の研究開発をされている方が出版した本の、宣伝も兼ねたシンポジウムだったのだが、『会場の規模を拡大する』旨の連絡が届いてから、

上田も急遽、排水から検出される微生物の専門家として参加する事になったのである。


『佐藤』とは連絡がついたものの、会えていない。

 たまに電話で話せても、早めに話を切り上げられてしまう。

 

 佐藤さんも忙しいんだと、自分の心に言い聞かせているものの、それでも上田が感じていたのは人からの温もりであるとか、どうしようもない寂しさだった。


 そして、こんなにも自分の中で佐藤が大きくなっていたことに、今更気がついた。

 同時に佐藤とはこれ以上深い関係にはなれないと、心のどこかで理解し始めていた。


 それでも相変わらず目立つこの帽子は被っている。もしかしたら街で、佐藤が自分に気がついてくれるかもしれないから。

 そして、邪念を振り払うようにPCのディスプレイに向き直った。


 空も心も晴れないまま、慌ただしい月日は流れて、月末になろうとしていた……。





 * * * * *



『現実時間』六月二十九日。都内大学。


 それでは、本日はよろしくお願いいたします。神取篤。


 と、メールの文末に書いて送信ボタンを押す。


 宛先は和知輝樹。水質学の権威で連絡を取ったのが今月の頭。そこからトントン拍子に話が進み、本日開催の出版記念シンポジウムに滑り込みで参加させてもらえることになった。今、最終確認も兼ねたメールを送ったところだ。


 和知が、神取のことを一方的に知っていたことが良い方向に働いた。

 何せ彼の著書は『森と海の循環学──森林伐採が海を殺す日』


 神取が環境調査団としてロシアに行ったことも和知は知っており、もっと早く知り合っていれば和知側から神取に連絡を取っていたところで、神取からの連絡は寝耳に水だったようだ。


 こんなに講演会に対して気合いが入っているのはいつ以来だろう?

 やる気が出ている時、神取は無精髭を逆に剃らない。そして……

山の人間である象徴のパパーハを深く被り、神取は会場に向かった。



* * * * *



 一方、白い路地では……


「嬉しいです。藤田さんから連絡をくれるなんて」


『嬉しい』という割には無表情な金髪の少女、フェイスが目の前にいる藤田の顔を覗き込むように言った。

 

「何か心境の変化でしょうか? それとも、Aチームに入ることを、真剣に考えてくれたのでしょうか?」


 藤田は、肯定も否定もしなかった。

 そして、ゆっくり口を開いた。


「……プロジェクト・タナトスについて、知っていることを教えてください」

 

 藤田が言うと、フェイスは一間置いて……


「私も、全部を知っているわけではありません。ただ……一つ、上がやろうとしていることなら解ります。

 ちょうどよかった。藤田さん今、お時間大丈夫ですか?」


 そう聞かれて藤田は頷いた。

 フェイスは藤田と距離を詰める。顔が、目の前にある。


「……本当に大丈夫?」


 その言葉が、何を意味するのかよくわからず、藤田はもう一度頷いた。


「じゃあ教えてあげる。あなた達がしてきたことがどこに繋がっているのか、その一部だけ。……ついてきて」


 フェイスは、自然に藤田の手を取り、白い路地の奥へ藤田と共に消えた。


 * * * * *


『現実時間』六月二十九日。『国際環境シンポジウム』会場。

 大勢の人間が集まる会場で、びっくりした顔が互いに向き合っている。


 片方の考えたことはこうである。


 まさか、この『格好』が被るとは思ってなかった。それも、美人だ。


 会場に向かうエレベーターの前で、神取篤と上田美代子が鉢合わせたのだ。


 同じ日本人なのに、そうそう日本人が被らないような帽子を頭に乗せた人間二人。

 

 お互いびっくりして固まってしまっているので、これは声をかけないと失礼かもしれない。神取は自然に頬が緩む。


「やあ。……何階まで行くのかな?」


 上田の方も、なぜか仲間意識みたいなものが芽生えていた。


「……八階です」


「え、シンポジウムかい!?」


「は、はい」


「そんなまさか!! あ、失礼。ついつい大きな声を……。

 いや、僕もなんだよ。こんな偶然があるんだねえ……いや、似合っているよ。いい帽子だ」


 似合っている、と言われて上田は思い出した。

 この帽子を誉めてくれた男性は二人目。そのうちの一人である佐藤から言われた言葉だ。


『それを被って街を歩いたら、喜ぶ人が絶対いる』

 そんな言葉だった。


 上田は照れて下を向いてしまった。

 

「君も、『山の人』ですか」


 無精髭を生やした神取が嬉しそうに上田に尋ねる。

 上田には、この時神取が知的な大人に見えた。


「『高山植物』なら、少しだけ興味があります」


「そうですか! 僕も仕事柄よく行きます。北アルプスとかね」


「……『飛騨山脈』ですか」


「そう」


「「馬が飛んで越えるほどの高い山」」

 

 …… ……上田が、いつぞやに図書館で壮年男性に教えてもらった文言だ。

 セリフまで被ってしまって、二人の間に微笑ましい笑顔が生まれる。


 神取と上田の波長は、すぐにあってしまった。



 * * * * *


 上田と神取の様子を、少し離れた場所から、藤田とフェイスが見ていた。


「ね。わかったでしょ?」


 フェイスが、顔を藤田に近づけて言う。


「このシンポジウムを『開かせた』のは、あなた達Cチームですよ。

 なんのためだと思います?

 もちろん、シンポジウム自体には大した意味はありません。

 沖縄で和知輝樹の飛行機を遅らせたのも、藤田さんが金沢で上田さんにパパーハを渡したのも、

ロシアで神取さんに同じものを被らせたのも……全部、上田さんと神取さんを『出会わせる』ためですよ。

 藤田さんの頑張りは全部、『このため』だったんですよ。

 そして……二人は恋に落ちます。藤田さんは恋のキューピットだったんですよ」


 藤田は、映画のどんでん返しを見ているような目で二人を見た。

 手が、少しだけ震えている。

 フェイスは藤田に告げる。


「あの二人、結婚しますよ」

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