五月十二日「か号」作戦 3
プロジェクト・タナトスの進捗状況並びに、Cチームの活動実績。
・ 和知輝樹を、与那国島へと向かわせました。
・ 上田美代子に、『昆虫大全』を持たせました。
・ アルフレッド・マーカスに、『奥多摩』を植え付けました。
・ 上田美代子に、『パパーハ』を入手させました。
・ 上田美代子に、『高山植物図鑑』を持たせました。
・ アルフレッド・マーカスに、『核戦争』の不合理を植え付けました。
・ 柳楽国昭に、悲惨な別れを経験させました。
『現実時間』五月十二日。北コーカサス地方アゼルバイジャン。山岳地帯、早朝。
昨日、ようやく被らせたパパーハを神取は脱いでしまった。そして、なぜだかパパーハ自体が神取の部屋から消えてしまっている。
朝からCチームの面々は、旗色も顔色も悪かった。
中条、山田、鮎川、藤田の四人は、消えたパパーハの捜索から朝が始まったことになる。
「こちらシーマルゴから各位」
『シーマルゴどうぞ』
「パパーハを発見しました! どうぞ!」
『パパーハ発見了解。……どこにあった? どうぞ』
「『村田』っすよ! どうぞ!」
『マルニーからマルゴ。ムラタ……とは何か? どうぞ』
「訂正します! 現地スタッフと思われる人間の部屋に置いてありました。
尚、この男の詳細は、マルヒトのジャックの履歴から検索されたい。どうぞ」
『……発見元は、マルヒトが昨日ジャックした人物の部屋である。マルニー了解。どうぞ』
『……こちらマルヒト。マルゴがパッケージを回収したのちにポイント集合。こっから挽回するぞ。どうぞ』
なあにが挽回だよ余計なことしやがって。と、心の中で藤田は毒付いた。
* * * * *
高まるウッドショック。木材の需要が高まり、カネのなる木を切り倒す。
重機が今日も道を削り、チェーンソーの楽団がそこら中で演奏している。
調査隊の神取は、アゼルバイジャンに訪れて四日で既にうんざりしていた。第一、ここにいるのは全員がロシア人とは思えなかった。遅かれ早かれ国際問題に発展するだろう。
最悪、争いだって起こるかもしれない。
特に忘れられないのは、今朝の村田……いや、ムラートの顔だ。
自分がムラートの前で何をしたかはわからない。しかし、今朝のあの態度の変わり様から察するに、現地民の彼からすれば神取も、エゴイストの一員に見えるのだろう。そう考えると無性にやるせなかった。
……今日も風が強い。この時期、この時間帯のアゼルバイジャンは北風。向かい風である。
パパーハは、ムラートに没収されて代わりにヘルメットを被っている。しかし、それが一番自然なことのように感じた。
あの帽子は、自分には相応しくない。
目の前を歩く調査隊の一人は……パパーハを被って歩いていた。おそらく別の現地スタッフだ。
その帽子は、彼らが身につけて然るべきである。
しかし慣れないヘルメットを長時間被っているせいで、頭が痒く感じる。
神取は耐えきれずヘルメットを外した。
その瞬間である。
前を歩いている現地スタッフのパパーハが、神取の頭に飛んできて……見事被さったのだ。
風は確かに向かい風だが、強く吹いてはいないように感じた。なのに、まるで『自分を選んだかのように』帽子が飛んできたのだ。
自分の頭に収まるパパーハを触り、神取は少しだけ感動した。
心なしか、『これでお前も山の男だ』と言われた気が、確かにしたのだ。
……
……
……が、それとこれとは話が別だ。この帽子は自分に相応しくない。
神取はパパーハを脱ぎ、前を歩いている現地スタッフに返そうと声をかけた。
……現地スタッフは、パパーハを差し出す神取を見た。
立派な髭とその顔は、どこか神々しく……
仙人、という言葉が近いのだろうか。
どこか人間離れした表情をしている。
そしてパパーハを差し出す神取の手を、そっと抑えて、神取のヘルメットを受け取ろうとした。
まるで……その帽子の持ち主を、たった今見つけたかのような顔だった……。
神取も、そう受け取った。
このスタッフは今、帽子の持ち主を選別し、自分を選んだのだ。
自分は、この帽子に『選ばれた』と神取は感じた。
……
……
……
……しかし神取はヘルメットを離さなかった。
頑なに指の力を入れて、現地スタッフよりも強い目の力で彼を見た。
とうとう根負けしたスタッフは大人しくパパーハを受け取った。
神取に道を譲り、後方でパパーハを被った現地スタッフが、小声で呟く。
「……こちらシーマルヨン。作戦失敗。次の状況に移れ。どうぞ」
* * * * *
その後、地元の絵描きにジャックしたマルヒトが、「山の神のイメージが見えた」などと言い、神取をモデルにした絵を描きたいと、「一瞬パパーハを被って立ってもらえないか」と日本語でお願いしたが、
神取はその申し出を断った。
山の麓に、簡略的なパパーハの屋台をマルサンが出したが、神取は見向きもしなかった。
これはもう、神取はパパーハを避けている。誰がどう見ても明らかだった。
天才女優鮎川をして、全く思うように神取の気持ちをコントロールできないのだ。
Cチームの面々には、焦りと諦めの表情が見えていた。
* * * * *
人間が座る椅子のために、この「子」たちが伐採される価値はあるのか。
人間が暮らす「巣」のために、この「子」たちが虐殺される対価があるのか。
人間が増える。また木が切られる。
人間が増える。死んだ木は燃やされる。
『不毛地帯』とはよく言ったもので、本来は美しい森があったのだろう山麓の、切り倒されて放置された木に腰をかけ、神取は頭を抱えた。
酸素を作ってもらった上に、「まだ足りない」「まだよこせ」というのだ。人間は。
「吐き気」という感情が陳腐に思えるほど、神取は苦悩してうずくまっていた。
この気持ちは、いっとき見ていたあの、『窒息する夢』の中にそっくりだ。
溺れてしまいそうだ……
不毛地帯においては、生物の匂いは何もない。
何か、生きているものは……
どこかに生き物はいないのか。
誰か……
神取が念じた瞬間である。
大量の足音がこちらに迫ってくると感じたら、次は獣の匂いだ。
そして、
地面の茶色。切られた木の茶色が全てだったこの不毛地帯が「白」に包まれた。
羊の群れである。
殺風景で物悲しい「人工の景色」は、一瞬で牧草地帯に姿を変えた。
周囲には羊達が、土に寝そべったり、草を食んだりしている。
神取が感じたのは、震えるほどの暖かさと、自分の異質感だった。
ここは、「彼らの場所」だ。自分がいるべきではない。
神取がそう思っていたところに……
人懐こそうな、おそらく羊飼いの男がやってきて、パパーハを被せた。
すると不思議なことに、神取の感じていた、自らの異質感が薄れていった。
羊飼いは、近くにいた隊の通訳に何かを話すと、時間差で通訳が神取にこう、告げた。
「『これで、群れの仲間入りだ』と言ってます」
羊達は、神取を歓迎するでも、邪険にするでもなく、ただそこら中にいた。
倒木の上に腰をかけ、羊に囲まれ、現地の帽子を被り……
ようやく神取は、泣くことを許されたのだった。
* * * * *
さて、その景色を一様に、『唖然』と見ているのがCチームの面々である。
こんなプランは、チームの誰も考えてない。第一、どうやってあの数の羊を用意したというのか。
単なる偶然か。奇跡でも起こったとでもいうのか……。
なんとなく四人が固まっていると、羊飼いの男が、黒スーツを着て木々に隠れている四人の方に歩いてくる。
まるで最初から「そこから見ていた」のを知っていたかのような動きに、四人は理解した。
彼も『同業者』だ。
羊飼いが隠れている黒スーツ達に近寄ると、開口一番こう告げた。
「全くなっちゃおらんのう」
人懐こい顔のまま、男は黒スーツ達に告げる。
「こげな、『おちゃきい』任務は、普通任務とは言わへん。海外慰安じゃ。随分、ぬるい仕事しておまんなあ。Cチームはん」
それは不思議な日本語だった。
ひどく訛っているのはわかるが、果たしてどの地方の「訛り」なのか、四人ともわからなかった。
「……誰だ」
絞り出すように、中条が男に話しかける。
男は、一度だけ中条にお辞儀をした。
「こら失礼。ワシはAチームの『モンキー』言うもんじゃ。以後よろしゅう」
そして男は、パパーハを深々とかぶり、羊の群れの中でうずくまって泣いている神取を確認すると、「フン」と一言だけ言って、ひゅうと鳴いた北風と共に、消えた。




