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九月二日、「わ」号作戦


 プロジェクト・タナトスの進捗状況並びに、Cチームの活動実績。

 

 ※ 実績はまだありません。




* * * * *


 『現実時間』九月二日。沖縄、新国際ホテル。

 

 エレベータの扉は重々しく開く。


 ダークレットのカーペットには、清潔に清掃された中に、

多くの旅人が残したであろう靴の汚れの痕跡が残っている。

 照明は薄暗く、新車の内部を彷彿とさせる人工的な香りが漂っている。

 こうでなくちゃ。中条は少しだけ機嫌が良くなった。


 人間というのは業の深い生き物で、すぐ現状の環境に飽きて文句を言い出せばいざ異なる環境に身を置いたときに、

「昔は良かった」などとぬかす。

 そういう人間を百と見てきた中条も、自分自身がそんな有象無象の仲間入りを果たしているのに気がついてまた、中年特有のため息をついた。

 自分の中年具合が今日に限ってうんざりするのはなぜなのだろう? と考えると、隣に中年具合を引き立てている存在がいるのに気がついた。


「うう……緊張するっすね……」


 この数時間で、藤田の口調が敬語から、敬語になりきっていない言葉に代わっているのに気がついて、

若者の適応能力というものはすごいなあと謎の関心をしてしまった。


「なんかスパイみたいっすよね。大丈夫かなー俺ー……」


「……藤田は、今までは何をやってきてたんだ?」


「俺すか? ……コンビニで店長やってました。ハハハ大出世ですよね」


「……見ず知らずのおっさんの帰宅を、邪魔することが出世と?」


「え、だって、これやったら止められるんでしょう? 世界大戦」


 815号室を前にして、二人の黒スーツが立ち止まって世間話をしていた。

 中条はため息をつく。


「いいか藤田。大事なことだから言っておくがな、

 それは勘違いだ。俺たちは世界大戦を止めるわけではないぞ。まだ始まってない世界大戦を、『終結させる』んだ。

 まあ特殊な事態に特殊な職種に特殊な環境だ。暇な時に何度でも懇切丁寧に説明してやるから安心しろ」


「は……はい。ありがとうございます。でも……だったら……あ、いいえ、いいです」


「なんだよ。はっきり言え」


「あはい。だったら、世界大戦を起こさせないように努力したらいいんじゃないですか……?

 まだ始まってないんだから」


「若者らしい考え方で結構。

 じゃあ年長者から、その考えに対する現実的なアンサーを返してやろう」


「は、はい。お願いします」


「人間は本質的に、人間同士大きな争い事をするよう遺伝子にプログラミングされているのは歴史が証明してるよな?

 どの大陸、どの国にも争いに無縁の国なんてなかった。わかるな? 

 ……つまり、誰かの考え方を改めようが、誰かを黙らせようが、別の誰かが結局企てるんだよ。争いを。

 争いは誰だって起こす。だが……その争いを鎮められる人間というのを探した時に、悲しくなるほど少ない。

 そんな限られた僅かな人間を陰ながら応援するのが、俺たちの仕事だと思ってくれたらいい。スッキリしたか?」


「……まあ、はい。ひとまず」


「まあ、この間まで、真面目にコンビニで働いてたお前だ。全部を理解するのはまだ難しいだろう。

 少しずつ理解していけ。ただ、今日はもう何も質問するなよ」


「はい」


 中条は耳を押さえて、襟についているマイクに話しかけた。


「シーマルヒトより全員に通達。マルヒト、マルゴ、これよりポイントAにエントリーする。

 各位所定の位置にて、『わ号』作戦により定められた手順に従い行動せよ。

 回信をとるマルヒトからマルニー」


『マルニー了解。なを和知はまだ睡眠中と思慮される』


  無線に、三田村が出た。


「マリヒト了解。マルヒトからマルサン」


『マルサン了解。ロビーは完全に掌握』

 

 無線に、知らない声の、しかも男性が出たがこれは鮎川のものだと思われる。


「マルヒトからマルヨン」


『了解。なを現在移動中。該当車の特定までしばらく時間がかかる』


 無線から、走っている足音と共に山田の声がした。


「マルヒト了解。……よし。じゃあ、中に入るぞ」


「はい!…… ……え、どうやってですか? あ」


 質問してしまって藤田は思わず口に手を当てた。

 中条は、藤田にスタッフ用のマスターキーを見せつけた。


 * * * * *


 音を立てずに室内に入る黒スーツ二人。

 ベッドには、和知がイビキをかいて寝ている。

 

 部屋のサイドテーブルにはペットボトルの水が置いてあり、彼は寝る前と、起きた直後に水を飲む。

 と言う三田村からの前情報がある。

 そして彼の読みどおり、テーブルの上に飲み掛けのペットボトルが置いてあった。


 中条はポケットから睡眠導入の錠剤を取り出し、手袋をした手でサイドテーブルのペットボトルを持ち上げた。

 その時である。


 無線から三田村の声が響いた。


『和知の脳波に異常!! 目を覚まします!!』


 するとベッドの上の和知が顔をしかめて……


「ああ!!」

 

 と叫んだ。

 

 中条は藤田に隠れるよう目で訴え、自分はペットボトルを手に持ったままベッドの下に滑り込んだ。


 ……


 ……


 ……


 本当に間一髪見つかる所だった。 和知は自分の出した大声で目を覚ましたようだ。

 藤田は……トイレに隠れたようだ。……この後和知が起きがけにトイレにでも行ったら、一巻の終わりだ。

 和知は寝る前と起きた後に水を飲むんだぞ!? だとしたらトイレに行く可能性も高いだろうが!!

 最悪、物理的な手段で和知を眠らせる覚悟を、この時中条は決めた。

 

 ……ベッド脇のサイドテーブルから音がする。水を探しているに違いない。

 その水は今……自分と一緒にベッドの下にある。


 嫌な沈黙が続いた。全く、初手の初手で何たる失態だ。

 ここで見つかったら、のっけから我々の存在を知られることになる。


 和知が立ち上がったようだ。そして、カーテンを開けた。

 どうやら窓の外を見ていると察した中条は、ベッドの下から……錠剤の溶け込んだペットボトルを、そっとサイドテーブルに戻した。

 

 結局和知は、カーテンから外を見下ろした後、トイレにも行かずに錠剤入りの水を飲んで、二度寝を決め込んでくれた。

 お陰で、初手から過激な手段に出なくて済んだ。

 全く、運がいいのだか悪いのだかわからないが心臓に悪い。

 

 ベッドの上から和知のいびきを確認すると、中条はそっと這い出た。

 

「シーマルヒトから各位。対象が水を飲んだ。

 次のフェーズに移行する」


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