二月一日 「う3号」作戦 3
プロジェクト・タナトスの進捗状況並びに、Cチームの活動実績。
・ 和知輝樹を、与那国島へと向かわせました。
・ 上田美代子に、『昆虫大全』を持たせました。
・ アルフレッド・マーカスに、『奥多摩』を植え付けました。
・ 上田美代子に、『パパーハ』を入手させました。
・ 神取篤の、コーカサス行きが決まりました。
* * * * *
上田美代子の体を『ジャック』する。
確かに、Cチームの妨害が目的であるならば、それは合理的な手段である。
では、誰がこんな事をするのか……
藤田には確かに覚えがあった。
「なんとかって! いったいどうすりゃいいんですか!?」
『自分で考えろ!』
『マルニーからマルゴ!』
「こちらマルゴ!」
『ジャックの強制解除の方法は、相手にある程度刺激を与えることだ。
マルニは最終的な手段として、対象に物理的接触を行う必要がある。どうぞ』
「……後から殴れって事ですか? どうぞ」
『あくまでも手段は任せるが、任務は継続中である。慎重に行うように。どうぞ』
要は無策ってことじゃないか。
肯定とも否定とも取れない灰色な応答をされて、藤田の不安と不満が積もっていった。
本当に、この組織で自分は何を必死になっているのか……。
頭の裏で、フェイスに言われた言葉が躍る。
『あなたには、自分のやっていることに正義を感じなくなる瞬間が必ず来る。
そうなったら……私の事を思い出して』
藤田は、唇を噛み締めた。
* * * * *
『現実時間』二月四日 十三時五分。
上田美代子は、帰り道を急いでいた。
何かを忘れている気がしないでもないが、とにかく用事は済んだのだ。
帰ってからも、特に用事はない。
それでも……
とにかく早く家に帰りたかった。どうしてなのかはわからない。
帰っても、本当に寝るだけの、正直退屈な午後が待っているだけだ。
例えるなら真っ白な……白いキャンバスに、散々迷った挙句わざわざ白い絵の具を塗るような、
作られた意味のない白紙の時間。
その白紙を強く求めていたが、求めているのが心なのか、体なのか、脳味噌なのかがもはやわからなくなっていた。
街には喫茶店やら、猫カフェやら、時間を潰せそうなものは沢山あるのに、それらはどれも目に入らなかった。
ただ、鼓動だけが速かった。
自分が自分ではない気がして、その感覚も気持ちが悪くて、とにかく早く家に帰りたかった。
『その人』に肩をつかまれるまでは……
「あの!!」
ただ肩をつかまれただけ。なのに、言葉以上の衝撃が、その人の手から伝わってくる。
触られるのは好きじゃないので、一瞬ムッとしたと思う。
だけれども、その瞬間に、この街はどこで、自分は誰で、そもそもこの街には用事があって、その用事をまだ済ませてもいないのに帰ろうとしていた自分に気がついた。
ところで、なんで声をかけられたんだろう? ものすごい勢いで歩いていたから、きっと何か物を落としたのかもしれない。
「あの……忘れ物です!!」
* * * * *
あの、忘れ物です。
昭和時代の細菌の培養法が記してある書物、そして、『高山植物』を差し出しながら……
なんだ。この台詞は。と藤田は思った。
誰の、何に対する忘れ物なのだ。
我ながら呆れてしまうが、咄嗟に出てきた言葉がこれだ。
よくよく考えてみたら、これで全て計画が台無しになるんじゃないだろうか?
今まで、昆虫図鑑とか、帽子とか、送りつけていたのは全部ドッキリでした! と言っているような物なんじゃないだろうか?
藤田はなんだか、恥ずかしくなった。とにかく渡すものだけ渡して、さっさとこの場から消えてしまいたかった。
それで、中条にでも三田村にでも叱言を言われればいいだろう。
再就職先(?)だってあるにはあるんだ……。
運命とは、……もちろんそんなものがあればの話だが……
自分の思っている方向には決して転がらないのである。
「ありがとう、ございます……」
上田は、藤田の手から、二冊の大きな本を受け取った。
藤田を見て呆然としている。おそらく『ジャック』が、強制的に解かれたばかりで脳が再起動にフル回転してるのだろう。
これが機械だったらファンがものすごい音をあげて、本体がとても熱くなっていることと思う。
などと考えていたら、みるみる上田の顔が赤くなっていく。
「え!」
藤田は、思わず上田の額を触る。……去年の年末、ずっと上田の体調のことばかり考えていた癖がまだ抜けていないのだ。
そして、上田の体温が急激に上がっていることに気がついた。
「大変だ! 今車を呼びます!」
藤田が本から手を離そうとすると、彼の手を上田の手が包んだ。
「いいの! ……少しすれば治ります。
……少し、どこかで休めば……」
上田が手を離してくれないので、藤田はどうしたらいいのかわからなくなった。
専門学校卒業、コンビニブラック店長から黒スーツ完全に移籍した男は、それまで経験したことのないパニックに陥っていた。
お互い、これはなんの時間なのかわからない瞬間が数秒間流れた後、上田が言う。
「……以前お会いしたことありますよね」
「え?」
「……去年の年末……確か、クリスマス」
まさか、ドローンで運ばれるパパーハを奪い返して、上田に渡した時の事を覚えているのか。
藤田の頭のグルグルが回転を増していく。陳腐な言い方だが、心臓が口から飛び出そうだった。
「……もっと会ってますよね」
体温が高いままで、ボーッとしながら上田がうわ言のように呟く。
「ずっと、私の事を見守っていてくれてましたよね」
ま、まずい。退散しろ! 藤田は自分に命じた。
退散しろの、自分宛の自分の言葉の声は中条だったり三田村だったりした。
なのに体が動かない。なんだろう、今度は自分が『ジャック』されたのだろうか……
このままでは、このままでは黒スーツが『人間』と関わりを持ってしまう非常にまずいことに。
熱っぽい顔の上田が、傾いた首で視線だけ藤田に向けて、こう言った。
「落ち着くまででいいですから、そばにいてくれませんか?」
藤田は、猜疑心に包まれている。
自分の体が動かないのも、さっきから上田が……この間のフェイスみたいに見えるのも、
自分の意志ではなくて、誰かにそう仕向けられているのだとしたら?
藤田は、ズボンのポケットに手を入れて、布ごしに太ももをつねってみたら、ちゃんと痛かった。




