二月一日 「う3号」作戦
プロジェクト・タナトスの進捗状況並びに、Cチームの活動実績。
・ 和知輝樹を、与那国島へと向かわせました。
・ 上田美代子に、『昆虫大全』を持たせました。
・ アルフレッド・マーカスに、『奥多摩』を植え付けました。
・ 上田美代子に、『パパーハ』を入手させました。
・ 神取篤の、コーカサス行きが決まりました。
* * * * *
「マルニーから各位。
任務の重要性の確認です。
今回は、上田美代子に図鑑を渡すというものです。
去年の冬には、昆虫図鑑を渡し、それは早速上田の部屋で埃を被っていますが……
前回と、今回、明らかに違う点は、あくまで上田に『高山植物』に興味を持たせないといけないという点です。
つまり、『ただ渡すだけ』では任務失敗になります。
そのことを頭に入れて、各自最善を尽くしてください。以上マルニー」
* * * * *
『現実時間』二月一日。金沢、早朝六時三十分――
上田美代子の家で、彼女の母親がリビングに立ち、あたりを見回している。
何か、都合のいいものを物色しているようにも見える。
彼女の体を今『借りて』いるのは、黒スーツの山田である。
首に手を当てて、小声で仲間に連絡をとる。
「……マルサンから、マルゴ」
『マルゴです、どうぞ』
「上田さんの、毎朝リビングに入ってくる時の動線を確認したい。どうぞ」
『……? 動線でよろしいか、どうぞ』
「その通り動線。……去年のクリスマスで散々見てたでしょ。どうぞ」
『了解。ええと……毎朝、お手洗いに行ってから……
リビングに入って、うがいをしてました。どうぞ』
「それは、美代子のルーティーンと考えてよろしいか? どうぞ」
『整理します。上田美代子は毎朝、うがいをして水を一杯飲む。これは例外なく毎朝繰り返している行動であり、ルーティーンであると思慮される。どうぞ』
「了解。すると、美代子の動線は、リビングの入り口から、キッチンシンクで間違いないか、どうぞ」
『間違いないと思われます。どうぞ』
「美代子の動線は入り口からキッチンシンクである。マルサン了解……
……マルゴ。よく見てなさいよ。ベテランっぽい仕事を見せてあげるから。……どうぞ」
そう言って、美代子の母親……黒スーツの山田が行ったことは、
入り口からキッチンシンクにつながる動線……の途中にある、リビングの本棚の、一番下に入っている、家族写真のアルバムを、
『少しだけ』はみ出させた。それだけである。
これは、山田が『黒スーツになる前』にずっと疑問に思っていた経験がもとになっていて、
その経験の原因は、当時の黒スーツ達によるものだったと知った時には、納得と驚きを同時に感じたものだった。
今では自分が『任務』で活かしている。
「こちらマルサン。母親が『仕掛け』に気づかないように、対象がリビングに入ってくるまでここで待機する」
* * * * *
『マルニーから、マルヨン。
マルヨンにおいては、上田美代子の上司、久保井泰明をジャックし、
美代子が休日に古書店に行くように誘導せよ。
本件、相当な話術が必要と思われる。……腕の見せ所だぞ。マルヨン』
「……マルヨン了解」
* * * * *
『現実時間』二月一日、午前十時半、県立大学の研究室。
「上田さん、ちょっといいかな」
研究所の上田の上司、久保井が、上田に声をかける。
「は、はい……」
「今度の日曜、時間があれば――古書店を覗いてきてもらえないか。
いやね、最近ちょっと面倒なことがあってさ」
「面倒……」
「うん。昔の培養法、昭和の頃の和書なんだけど、どうにもネットには情報が上がっていないんだよ」
「図書館の目録みましたか?」
「見たけど載っていないんだよ。
いや、別にすぐ必要ってわけじゃないんだよ。
ただ、今の研究テーマの補強資料になるかもしれなくてね」
「はあ……」
「僕が自分で行けたらいいんだけど、次の休みは地方に講演で呼ばれててね……
できれば上田さん行ってくれたら助かるんだけど」
「え、わかりました……」
「ありがとう! 上田さんなら任せられるよ。
現物を見つけたら、タイトルと出版年だけでもメモしてくれれば助かる。
もちろん、なければそれで構わない。
ついでに、何か気になる本があったら、君の勉強用に買ってきてもいいから。
どうせ研究費で落とせる範囲の安価な古書だろうし。
頼めるかな?」
「わかりました……」
「じゃあ、お願いするね」
* * * * *
研究所、外。
「……マルヨンからマルニー」
『マルニーです。どうぞ』
「日曜日に上田美代子を、古書店にむかわせる約束を取り付けた。どうぞ」
『上田は日曜日、古書店に行く。了解。鮮やかだったぞ。マルヨン』
* * * * *
『マルニーからマルイチ』
「はーーいよ……」
『高山植物図鑑は、暗記できましたか』
「無茶言うんじゃねえ!!
……でも正直、今までで一番楽しい仕事だ。丁度 ――
『木』に興味があったとこだからよ」
『……それはまたなんで』
「なんでもいいだろ。それより、なんだこの図鑑は。カバーがファーみてえにフワフワしてて……持つたびになんだかくすぐったいんだけどよ、
これカバー外したらダメなのか?」
『絶対ダメです。そのカバーが今までの布石のわけですから』
「ああ? そんな布石あったか?」
『……今のは忘れてください。とにかく、任務当日までになるべく、話のネタをその図鑑から探してください』
「へーいよー。あんまり期待すんなよ」
『……以上マルニー』
* * * * *
『現実時間、二月一日。二十一時。
金沢市、市民図書館。
黒いコートに赤いマフラー。そして、パパーハを被った上田美代子が、会員のカードキーをかざしてゲートに入ってくる。
上田が最近、気に入っている二十四時間開館している図書館である。
静かで、本に囲まれていると落ち着くと言うことがわかった。
外は、金沢にしてみれば珍しい粉雪が舞っており、それが静かさに拍車をかけていた。
……
……
そんな上田の姿を、図書館の離れた場所から眺めている黒スーツが二人。
山田と藤田である。
「最近の上田さん、なんだかメーテルみたいね」
藤田は、山田の言葉に応えずボーッと上田を見ている。
「藤田くん?」
「あ? すみません……」
上田が入館したことを確認すると、
二人は上田がここのところ立ち寄る、サイエンスコーナーにやってきた。
藤田は、上田に渡す『パッケージ』つまり、『高山植物図鑑』を抱えている。
「ここがいいんじゃない?」
山田が上田の身長ほどの高さを指差した。
藤田が、一瞬あたりを見回し、誰も見てないことを確認すると、『高山植物図鑑』を、棚に入れた。
そこに山田の手が伸びてくる。
「?」
「ベテランっぽい仕事、見せちゃおうかな」
山田はそういうと、藤田が今棚に陳列させた『高山植物図鑑』を、少しだけ指で弾いて、列からはみ出させた。
割と目立つくらいまで、引っ張った。
「……これがベテランの技っすか」
「こういう、小さいことが後々、『効いて』くるんだぞ。藤田くん」
「はあ……」
すると、足音が聞こえた。おそらく上田の足音だ。
「見てなさい。面白いことが起きるから」
上田と藤田は、本棚に身を隠した。
それは、ほぼ生きとし生けるもの全ての人間が経験したであろう、不思議な体験のことで、当然藤田も身に覚えがある。
しかし……まさかそれが黒スーツが陰でやっていたことだったとは思いもしなかったろう。
さて『現実世界』ではどう見えていたのか、時間を巻き戻し上田美代子の視点でこの日を見てみよう。




