上田美代子 『現実時間』十二月 二十四日
『現実時間』 十二月 二十四日。十一時三十分。金沢。
駅前の通りは、クリスマスフェアと称して大賑わいである。
大勢の家族連れ、カップルが行き交う中を、相変わらず茶色いコートに赤いマフラーの上田美代子が早足で歩いていく。
早足の理由は、この後雨が降る予報であるのと、
なんとなく『この場』に自分がそぐわないような、疎外感に近い感覚があるからだ。
どうして人間の考える行事には、クリスマスとか、バレンタインとか、夏祭りとか……大人数で過ごすのが前提になっているものが多いんだろう。
たまには、『一人美術展鑑賞の日』みたいのを作るべきではないのだろうか。そのほうが時代に則している。そんなことを毎年のように考えていた。
そして、なんだか日本を離れて遠くに行ってしまいたい、とすら思い始めていた。
研究のために海外勤務。誰もいない場所がいい。一人で、静かなところで過ごすのだ。
もちろん、仕事をしている時は、体の神経を全てそれに注いでいるのでこんなことを気にしたことがない。
でもふとした瞬間に『現実』に足を踏み入れては、考えなくていいことを考えてしまうのだ。
自分は本当にこのままでいいのだろうか? と言う疑問である。
家族や友人と、一年の思い出をもっと大事にするのが大事なのではないのだろうか?
上田には、異性経験が少ない。全く興味がなかった訳ではないのだけれど、学校でも関わるのは、年齢の近い人よりも先生の方が圧倒的に多かった。
友人がいなかった訳ではないが、その友人も同じような優等生ばかりで、そういう話にもならなかったし、そういう青春とは無縁だった。
上田自身はそれは、仕方のないことと思っていた。人間には、それぞれ与えられた役割があって、異性と親しくする役割は自分には与えられてなかったのだ。
そう自分に言い聞かせているうちに、三十代手前になっていた。
歳を取れば、自然に考えなくなるだろう。研究所でももっと重要なポジションを任されるだろうし、考えている暇などないのだろう。
そう思っていたが、逆だった。歳を取れば取るほど、邪念を考えてしまう時間は増えてしまった。
* * * * *
今日は午後からミーティングがある。クリスマスに仕事だ。別に珍しいことでもないが。
その前にいつものコンビニで昼食を買い、資料をコピーするために来た。
いつも通り、食パンと水を持ってレジに並ぶと、カウンターには一冊のチラシが置いてあった。
『矢井田総士、民族展開催』
個人が主催している個展だろうか? コンビニのレジにこんなものが置いてあるのが珍しかった。
……民族展。年末でも、そんなの開催しているんだ。
上田はなんだか興味を持ってしまった。
……それはなんとなく、自分には『民族展』くらいのクリスマス具合が丁度いいと、なんとなく思ってしまったからである。
* * * * *
ミーティングの相手である笹井教授から連絡が来たのは、資料をコピーしている最中の事だった。
昨日から喉が痛いとは思っていたのだけれど、今朝起きたら熱が出ていたそうだ。
昨晩の感じでは、マスクをすれば、できるという判断だったが、ちょっとこれは厳しいということで、
ミーティングは延期になった。今日の予定が、なくなってしまった。それも、よりにもよって今日。
いっそ自分も、体調不良だったりすれば家で寝込む口実ができるのだが、
あいにくここ数日、体は絶好調だ。
帰って寝る必要もないし、流石にクリスマスイブに家で寝過ごすというのは、人間としてどうなのだろう? と思っていた。
ついてないことは重なるもので、目の前で異音が聞こえると思い、コピー機を見ると、紙詰まりを起こしていた。
困ってしまい、店員さんの方を見ると、なぜか二人ともこちらを凝視していた。
少し不気味だったけど店員さんを呼ぶ。
いつもの店員さんではないので、時間がかかりそうだ。
別に急ぎの用はなくなってしまったのだ。大したアクシデントという訳ではないのだが、手持ち無沙汰になってしまった。
それで、先ほどのチラシを思い出したのだった。
レジの前で重なっているチラシを一枚いただき、眺めてみた。
矢井田総士。
若くして洋服店の店長をしていたが、ロシアに移住。北方の民族に触れ、今年日本に帰ってきた。
これが日本での初個展なのだという。
ロシア……か。
興味を持ったことはないが、きっと静かなところなんだと思う。
寒さを凌ぐために、暖炉の前で強いお酒を飲む。ロシアの冬はそれはそれは、静かな場所なのではないだろうか?
嫌な音が外からした。
降ってきた。傘を持っていないのでついでにコンビニで買おうか迷うが、今日家に帰るためだけに傘を買うのも馬鹿馬鹿しい。
悩んでいると……
「お待たせしました」
店員さんが、コピー機が復帰したことを教えてくれた。
そして、上田が例のチラシを持っていることに気がつくと……
「それ、今日開催してますよ」
と、聞いてもいないことをいう。
しかし、予定のない空白を、それも二十代最後のクリスマスイブに空いてしまった空白を、
埋めてくれるのであればそれに縋ってみたくもなってしまったのだ。
「……どこでやってるんですか?」
すると店員さんは、優しく微笑んだ。
「すぐそこです」




