1話
「目覚めなさい。」
声が聞こえた。誰かに起こされている。聞いた覚えのない女性の声だった。聞いたら忘れることができなくなるくらい透き通った声だったことだ。
「…。」
男は初めは夢だと思っていたが、夢と片づけるには不思議な感覚だった。夢の中での出来事はグチャグチャで混沌極まるものであると思っていたのに、はっきりと意識があって、こちらに声をかけてくる存在を認識できていたからだ。
「…?」
男は目をこすりながら、上体を起き上がらせて辺りを見回す。そこは、豪華な装飾がされた神殿のような場所だった。彼はその中心にある台座の上に寝かされていた。
「…。」
男は何も言うことができなかった。ここは彼にとって間違いなく家ではない、知らない場所であったからだ。
(煌びやかな装飾、ピカピカに磨かれた床。そしてこの台座…自分はベッドで寝ていたはず。)
男は自分の状況を分析し始める。
「ねぇ、聞こえていないの?(話せるようにはしてあるのだけれど…」
再度、声をかけられ、男は視線を前に向けた。
目の前にいたのは男を起こした声の主である女性だった。彼女は今までに見たことがないほどに綺麗だった。
「…何か異常がある?肉体と魂が定着していないのかも?」
目の前の女性は何かぶつぶつと呟いていたが、寝起き状態の男の頭では、何を言っているのか理解することができなかった。
「…。」
男は、やはりこれは夢だと思い、二度寝を決めることにした。もう一度目を閉じればすぐ朝になり、辛くてつまらない一日が始まるんだと思いながら。男は目を瞑り、横になった。
「寝るなァアァアアー!」
「うぁ?」
男は大音量の声で起こされるのだった。
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数十分が経過した。
「返事ができるなら早く返事しなさいよ!不安になるから!!」
「あっ、はい。」
女性の名はレムルス、世界を管理する神候補の一柱であり、ある目的のために男を呼び出したらしい。彼女が管理する予定の世界は男のいた世界と似た文明で成り立っていた。科学や医療、技術、学問なども同じくらいの水準であった。
だが、異なるものもあった。魔獣と神器だ。
魔獣とは、単なる動物とは異なり、人知を超えた力を持つ、人間や他の生物にとって脅威となる存在である。高い知性を持つ個体もいれば、通常の個体では持ち得ない、強力な魔法や特殊能力を持っている危険な生物として人類に攻撃をし続けている。
神器とは、神が人に与えた武器であり、神聖な力や意味を持つ道具や宝物の総称である。適合し、神器と契約できれば、現実離れした力を扱うことができる。そして、神器は魔獣を倒すためにあると、説明された。
(どういうことなんだ。)
聞けば聞くほど、よくわからない状況だった。これは現実ではない。現実ではないことを信じたかった。しかし、頬を抓ろうとしたが、できなかった。皮膚が掴めなかったからだ。触れると冷たく、固い。まるで、肌が鋼になったかのような質感だった。
「あれ、え?」
「今の貴方の姿は神造武器…読みづらいから略して神器へと生まれ変わったのです!そして貴方を生み出したのがこの私。私が貴方の母なのです。」
目の前に鏡が出現する。鏡は男の姿を映し出した。
「なんじゃこりゃぁあ!?」
男は話の意味不明さと、自分の外見を見て驚いた。黒い肌に大柄な体型、青と赤のファイヤーパターンがいれられた太い腕や足。頭に生えたねじれた角。人間のはずだったのに、自分の体が人が想像するような悪魔のような姿になってしまっていたからだ。
「落ち着いて。まず、確認しましょう。貴方のことについて教えてちょうだい?自分の名前を覚えているかしら?」
「僕は…?…」
(あれ、名前が思い出せない。自分の名前なのに。)
男は自分の名前が思い出せなかった。当たり前に答えられたことに応答できず、数秒固まってしまった。
その時、鏡で自身の姿を見たときの違和感に気づいた。元々の自分の顔が思い出せなかった。彼は当たり前に覚えていた自分自身の記憶を忘れていることをレムルスに伝えた。
「あぁ、いろいろ混ぜている間に記憶が抜け落ちちゃったのかもね。じゃあ、貴方に名前をつけてあげましょう。…そうね…ザキ。貴方の名前はザキです。」
「ザキ…。この名前には何か意味や由来はあるんですか?」
「ある物語に出てくる悪魔からとったわ。今の貴方はぴったりじゃないかしら?」
「あ、悪魔。」
(確かに悪魔のような見た目だけど、名前まで悪魔にはなりたくないな。)
男は悪魔の名前は納得いかなかったが、今の自分には名前が思い出せなかったため、不満ながらも、うなずくことしかできなかった。
「ザキ、他に貴方自身のことについて話せることはあるかしら。」
「…。」
ザキはおかしいと思った。朝起きて家を出て仕事場に行き、昼は一人で昼食を食べ、夜に帰ってきて風呂に入り、寝る前に本を読み、寝落ちする。自分のこれまでの生活は覚えていた。しかし、何の仕事をしていたのか、趣味の読書も好きな本があったはずなのに、それが何だったのか思い出せなかった。それは元々残り少なかった自分を構成する要素が根こそぎ無くなってしまったかのような感覚だった。
「他にも抜け落ちた記憶があるようね。でも大丈夫よ。貴方の記憶はもういらないし、貴方の将来に
関係のない記憶だから。これからの貴方は何でもしてもいい。他者から何でも奪ってもいいし、気に入らないものがあれば壊してしまえばいい。それを実現できる力を貴方は持っている。もう嫌な仕事をしなくてもいいの。好きなように生きて良いわ。」
「でも、貴方にはやるべきことが1つだけある。それは貴方を造った理由でもあるの。やってくれるのなら、好き勝手に生きてもらってもかまわないわ。」
「それは、なんですか?」
もったいぶるように話すレムルスにザキは自由に生きられるといった話は気になったため、耳を傾けることにした。
「神を殺してほしいの。そのために、貴方を造りました。」
神殺しの依頼と共に、何もない空間に映像が映し出される。
「……。」
ザキは固まってしまった。
「見なさい。この憎ったらしい顔!」
「はぁ。」
レムルスにはこの顔が憎たらしく見えるらしい。ザキにとっては“今まで見たことがないほどに綺麗”という感想が出てくるのは2回目だった。
「この神様を殺すために僕を?」
「そうよ。」
ザキは確認をとった。間違えてはいけないからだ。
「え、殺しちゃうんですか?」
「そうよ!」
ザキは2回目確認をとった。情報は確実でなければいけないからだ。
「本当に殺しちゃうんですか?」
「そうよ!!」
ザキは信じられず最後の確認をした。本当に殺してしまうらしい。
(乗り気ではないが、命令とならば仕方ない。)
【ガシャン】
ザキは右手の親指を左手で後方にスライドさせ、目の前の女性に右手の指を向けた。重々しい金属音を立てて、動作の準備を終える。身体に流れるモノが腕から指先へと流れていくことがわかる。なぜだかわからないが、こうすれば対象を殺せると体が教えてくれた。
「わかりました。」
感覚に従い、ザキは対象を殺すことを心で決定する。
「へ?」
レムルスは気の抜けた声を出し、疑問の表情を浮かべるが。
「ふぁっ!?」
次の瞬間、レムルスの顔面は蒼白に変わった。声の出ない叫びをあげるしかなかった。ザキの指。人差し指、中指、薬指、小指から無数の光の弾丸が発射され、彼女に襲いかかったからだ。