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第6話 黒猫と英雄譚



──むかしむかし、このノクティリアの地に、魔王がいたそうな。


火を吐く竜を従え、空を切り裂き、大地を焼き尽くす者。

誰もがその名を口にするのを恐れたという。


けれど、その魔王を打ち倒した者たちがいた。

ひとりは、白き刃を持つ勇者。

そしてもうひとり──


「……このこ、ボクとおんなじ耳。ネコの子なんだ!」


まるで鏡みたい、とニャエルは目を輝かせた。


子供部屋の絵本をめくりながら、幼いニャエルは絵の中の登場人物に目を輝かせていた。

窓から陽が差し込む。ふかふかの絨毯の上で寝そべりながら、繰り返しそのページを見つめる。


「えいゆうって、ボクでもなれるんだ……!」


ぱたん、と絵本を閉じると、ニャエルは勢いよく立ち上がった。


部屋の窓を開け放ち、庭へ飛び出す。

朝露に濡れた芝生の上、小さな体を構えて──ちいさな拳を突き出した。


「やっ! ふっ! ニャっ!」


黒い尻尾がふりふりと揺れる。

猫耳がぴくぴくと動く。


憧れは、いつしか日課になった。

どんなに叱られても、ニャエルは毎日、ひとりで戦いごっこを続けた。



時は過ぎ──


王都エスカリオンの公爵家。

中央区に構えられたその邸宅は、彫刻が施された白い塀に囲まれ、庭には常に花が咲き乱れていた。


その庭の中央。

ひとりの少女が、拳を構えて立っている。


黒い耳、黒い尻尾。

引き締まった肢体に、短く整えられた黒髪。軽装ながら、どこか気品をまとっている。


「ふっ、ニャっ……はっ!」


ガントレットを付けた拳が、迷いなく空を斬る。

その動きは、まるで自分の未来に挑むような勢いだった。


「……舞台は、整ったニャ」


少女──ニャエルは空を見上げた。

今日の空は、なんだか自分に味方してくれている気がする。


「ニャエルお嬢様!」


背後から、控えの声。

教育係のエリダが、慌てて駆け寄ってきた。


「お庭で鍛錬など、また叱られてしまいますよ……! 今日は礼儀作法の復習日でしたのに!」


「はいはい、わかってるニャ」


答えながら、手についた土をぺしぺしとはたき、スカートの裾を直した。

おてんばなニャエルにしては珍しく素直な返事に、エリダは首を傾げる。


「……ずいぶん聞き分けが良いような?」


思わず、エリダは息をゆるめる。


「わたしも大人になったニャ」


ニャエルはにこりと笑った。

けれど、その笑顔にはどこか、寂しげな影が差していた。


エリダはそれに気づかず、ただ微笑む。


「……そうですか。珍しいですね」



──深夜。


すべての明かりが落ちた屋敷の中。

ニャエルは足音を忍ばせて階段を上がり、天窓の鍵を外す。

月明かりが差し込む隙間を抜け、するりと屋根の上へ出た。


王都の夜。

広大な街並みの灯が、きらめく宝石のように広がっている。

遠く、城の尖塔が月に照らされ、微かに風鈴のような鐘の音が聞こえる。


──ぱたん、と足元にリュックを下ろし、腰を下ろす。


風が頬を撫で、黒い耳がそっと揺れる。

長い尻尾が、瓦の上にぴたりと沿う。


「ほんとに行くんだニャ……」


ひとり言は、夜の静寂に吸い込まれる。


けれど、胸の奥は、ずっと知っていた。

ここでは、きっと英雄にはなれないことを。


家の誰も、その夢を笑いはしなかった。

けれど、誰も本気にはしてくれなかった。

まるで、子猫の寝言みたいに。



──夜空には、果てしない星々。


どこかに、自分の物語があるはずだと信じて。


にやりと笑い、ニャエルは立ち上がる。


「行くニャ。……ボク、ひとりでも、なれるもん」


黒い影が、屋根の上から跳ね、夜の王都にそっと溶けていく。


その先に、自分だけの物語があると信じて。


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