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第4話「古井戸の闇、紫の瘴気」

暁の鐘が三度鳴ったころ、ギルドールの石畳は薄霧を纏い青白く濡れていた。レオンとリアナは依頼札〈古井戸調査〉を携え、南区の貧民街へ向かう。家々は瓦の欠けた屋根を重ね、路地に干された洗濯物が冷たい風に揺れていた。


 目的の井戸は、廃教会の裏庭にぽつりと残る。苔むした石積みの内側から甘い腐臭が漂っていた。周囲を縄で封鎖した街役人が眉をしかめる。


「三日前、子どもが石を投げ入れたら紫の瘴気が噴き上がった。それ以来、水は濁り、底で何かが蠢く音がする」


「危険な毒気の可能性があります。住民を近づけないように」とレオンが告げ、役人は大きく頷いた。


 井戸枠に滑車を組み、麻縄梯子を垂らす。リアナが〈アクア・オーブ〉で淡い水球を灯し、光源代わりに井戸底へ投げ込む。澄んだ球が闇を裂き、深さ十メートルほどで石段の踊り場を照らした。


「行くよ」 


レオンが先に降りる。苔で滑りやすい石壁を慎重に下り、踊り場で周囲を確認。古井戸は途中で横坑と繋がり、幅一メートル半ほどの洞窟が闇へと口を開けていた。空気は湿り、かすかに金属臭を帯びている。


「鉱物系魔物の巣かもしれない」とレオンが呟く。リアナが光球を増やし周囲を照らすと、壁面に紫色の結晶が連なる水晶脈が輝いた。だが結晶の根元は無数の亀裂が走り、不規則に脈動している。


「魔力反応……妙に不安定です」


 洞窟に踏み込むと、靴底が粘ついた。底に敷き詰められた泥が重く甘い臭気を放つ。リアナが口布を当て、レオンは盾を構え前進。十メートル奥で空間が広がり、地下貯水槽らしきホールに出た。天井の石梁が崩れ、冷たい水が滴る。その中心――紫色に光る水晶の繭が鼓動している。


 突然、繭が裂けた。粘液と共に這い出たのは、晶質の殻を纏う巨大スライム。半透明の軀の中で紫水晶が核のように輝き、瘴気を吐きながら膨張する。レオンは剣を抜き、リアナは詠唱に入った。


「《アクア・ランス》!」 


水球が鋭い槍に変わり、スライムの側面を貫く。だが粘液が水を分解し吸収、瘴気を更に濃く吐き出した。レオンは盾を前面に突撃し、粘液の延髄を押し返す。粘性に動きを奪われつつ剣を振り下ろすが、切断面が即座に再生する。


(核を破壊しないと倒せない!)


 リアナが氷矢を三連射。表層を凍らせ動きを鈍らせた瞬間、レオンは盾を踏み台に跳躍し、頭上から突きを繰り出す。剣尖が核を捉えかけた――が、粘液が腕を絡め取り体を引きずり込む。


「レオンさん!」 


リアナが悲鳴を上げる。咄嗟に〈ヒールウォーター〉を生成し粘液へ叩きつけた。清浄な水が瘴気を薄め、粘性を一瞬だけ弱める。レオンは力任せに腕を引き抜き跳び退いたが、剣が粘液に囚われたまま折れた。


「武器が……」 


しかしリアナは必死に魔力を高め、第二詠唱を開始した。氷の魔法は核の再生を妨げると気付き、消耗覚悟の大技へ賭ける。


「《フリージング・スパイラル》!」


 杖先から放たれた渦巻く氷柱がスライム全体を螺旋状に凍結させる。結晶殻と粘液が急速凍結でひび割れ、核が露出した。レオンは折れた剣を捨て、腰の短刀を抜く。足場に張り付いた氷を蹴り砕きながら滑るように接近、渾身の逆手突きで核を貫いた。


 紫水晶が粉砕し、瘴気が一気に散った。スライムの肉塊が崩れ、溶けるように黒泥へ還る。レオンは膝をつき、肩で息をした。リアナも魔力切れで片膝をつく。だが視線が合い、同時に笑った。


「やったね」


「……本当に。倒せた」


◆ ◆ ◆


 核の残骸を回収し、洞窟を探ると古びた木箱がいくつも積まれていた。中身は腐った薬瓶と“黒針”の刻印が押された短剣、そして血で汚れた取引帳。盗賊団が瘴気水晶を密売していた証拠らしい。更に奥の壁には奇妙な円環模様――闇の神を示す禍紋が刻まれていた。


「盗賊団と……闇神教?」 


レオンの眉が吊り上がる。リアナは震えた声で続けた。


「もし瘴気水晶が街へ流れたら……」


 危険な代物を残すわけにはいかない。二人は結晶脈を砕き、瘴気を祓うためリアナが浄化水を散布した。魔力切れ寸前の少女の肩をレオンが支え、井戸へ戻る。


 昇った朝日はすでに金色。地上の空気は清潔で、腐臭はすっかり薄れていた。役人へ成果を報告し、瘴気水晶と帳簿、短剣を証拠として渡す。男は何度も頭を下げ、報酬の銀貨十枚と追加手当を支給すると約束した。


◆ ◆ ◆


 ギルドで正式報告を終えると、支部長代理の壮年女性がわざわざ現れた。


「君たちだけで瘴気スライムを討伐とは見事だ。危険度評価をB相当に上方修正したうえ、特別褒賞を出そう」 


銀貨十枚に加え、鉄製のショートソードと初級魔法書が手渡された。


「いつか、盗賊団〈黒針〉の討伐にも挑戦するつもりです」 


レオンがまっすぐに言うと、支部長代理は目を細めた。


「新人でそこまで言えるのは大したものだ。だが命を粗末にするな。仲間を増やし、準備を怠らず、時を見極めろ」


 忠告を胸に刻み、レオンは新品の剣を鞘に納めた。リアナは魔法書を抱きしめ、「魔力制御、もっと上手になります」と微笑む。その笑顔に、レオンは未来の光を見た。


◆ ◆ ◆


 日暮れの鍛冶屋通り。夕陽が炉の炎を染め、鉄槌の音が合唱のように響く。レオンは仕立屋に寄り、王都仕込みの使い古しチェインシャツを買い求めた。ギルド報酬は半分以上を装備に注ぎ込む――それが冒険者の鉄則だ。


 宿へ戻る途中、遠く鐘楼が六度鳴った。リアナが新しい革ポーチを揺らしながら問い掛ける。「……いつか、私たち、どこまで強くなれるでしょうか」




「限界は自分で決めるものさ。でも《天賦再誕》と君の努力があれば、怖いものは減る」 


レオンは笑う。リアナは頬を染め、真剣な眼差しで見上げた。


「……私も、レオンさんに追いつきます」


 その言葉が胸奥に温かな火を灯す。二人は石畳を並んで歩いた。ランタンの灯が点々と続き、宵の風が甘いパンの匂いを運ぶ。明日も剣を振り、明後日も魔法を唱え、いつか盗賊団と闇神教を討つ日まで――。


◆ ◆ ◆


 夜半、〈星降る小路亭〉の屋根裏部屋。窓から差す月明かりが、新しい剣の刃に鈍い光を落としていた。稽古で疲れきったレオンは布団に背を投げる。リアナは隣の簡易ベッドで魔法書をめくり、呟くように朗読している。


「魔法は言葉、言葉は世界の理……素敵ですね」


「剣も同じさ。理を捉え、刃に乗せる。そのうち一緒に“理の先”を見よう」


 リアナはページを閉じ、そっと笑った。「はい。必ず」


 こうして灯りが落ちた部屋で、少年と少女は静かに眠りにつく。――その背後で、遠い暗闇の奥、砕けた紫水晶の欠片が妖しく瞬き、誰かの低い嗤いが闇に溶けたことを、まだ知る由もなかった。


 闇は確かに払われた。しかし根は深く、大陸の各地で同じ禍紋が静かに息づいている。若き冒険者たちの足音は小さくとも、確かな波紋を生んだ。星は高く、運命の歯車がゆっくりと回り始めていた。

 そして明日も、東の空に光が射す。彼らの旅路は続く――。

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