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第2話「旅の始まり、ギルドールの風」

東の空がすっかり白むころ、レオンは雪解け水で靴を濡らしながら街道を歩いていた。木々の梢で小鳥が囀り、氷の匂いを含んだ風が頬を打つ。寒さは残るが、胸の奥には奇妙な高揚があった。追い出されたというのに足取りは軽い。その理由を、彼自身がいちばん不思議に思っている――だが答えは簡単だった。


(自由だ。俺の人生を、俺の意志で動かせる)


 ほどなく視界が開け、石造りの城壁に囲まれた商業都市ギルドールが姿を現した。煙突から上がる白煙、威勢のいい荷馬車の掛け声、門を警備する槍兵たち。これまで本でしか知らなかった「世界」が、現実の重みを伴って眼前に広がっている。胸が跳ね、自然と歩幅が速くなった。


 城門で身分証を問われるとレオンは焦ったが、事情を察した門番は「伯爵家の紋章が押された旅券」を見て目を丸くし、慌てて敬礼した。勘当処分はまだ公示されていないらしい。皮肉だが助かった。伯爵家最後のお情けと思い、旅券を懐へ押し込む。


 石畳を踏みしめ市場を抜けると、二階建ての堂々たる木造建築が現れた。屋根に掲げられた双剣の紋章――冒険者ギルドだ。レオンは深呼吸し、重い扉を押し開けた。


 酒と革の匂い。ざわめく冒険者たちの笑い声。受付嬢の金髪が陽光に煌めく。異世界ファンタジーとしては教科書的光景だが、実際に足を踏み入れると圧が違う。場違いな少年の入店に、逞しい戦士たちの視線が注がれた。だがレオンは怯まない。自分に足りないのは経験だと知っている。経験は場に飛び込むことでしか手に入らない。


「冒険者登録をお願いしたいのですが」


 受付に立つと、金髪の女性が営業用の笑みを浮かべた。


「ようこそギルドール支部へ。仮登録には識別証と簡単な実技テストが必要です。お名前と年齢、出身を――」


 手続きを終え、裏庭へ通される。実技テストは木人を相手にした剣撃と、的に向けた魔法射撃だ。レオンは木剣を借り、深呼吸。フレイザー邸の稽古場で叩き込んだ型を思い出し、一歩踏み込み――渾身の袈裟斬り。乾いた破砕音と共に木人の首が吹き飛んだ。周囲にどよめきが起こる。続けて光属性の〈ルクス・ボルト〉を放つと、標的の中央に直径二センチの焦げ穴が開いた。


 教官役の初老の騎士が目を瞬かせた。


「うむ、基礎は十分だ。Cランク相当の腕前と見たが年齢を考慮し当面はDランクで様子を見るとしよう」 


登録証に金属プレートを取り付けながら言う。レオンは素直に礼を述べ、ギルドホールへ戻った。


 その時だった。入口付近で揉み合う小柄な少女と三人組の男たちが目に入る。少女はフードで耳を隠しているが、隙間から尖った先端――エルフの特徴が覗いていた。


「おい、耳長。上玉の薬草を摘んだって言ってたな? ギルドに持ち込む前に俺たちに売れよ。半値でいいだろ?」


「は、離して……! わたし、正式な手続きを……」


 震える声。レオンは足を向けた。男たちは粗末な革鎧、短剣を帯びた下級冒険者らしい。武芸者と呼ぶには程遠い構えだった。


「そこの御仁。手を放してあげたらどうだ?」


 静かな言葉に、男たちが振り向く。一番大柄な男が鼻で笑った。


「なんだガキ。チビ助の保護者にでもなったつもりか?」


「まあ、そういうところだ」


 レオンは一歩踏み出し、気迫だけで距離を詰めた。高めた魔力が足元から立ち上り、床板が微かに鳴る。殺気ではなく実力の匂い――男たちは顔色を変え、舌打ちを残して少女を押しのけた。


 騒ぎを察した受付嬢が駆け寄り、男たちを追い払う。少女は深く頭を下げた。フードがずれ、翡翠色の瞳と肩までの淡緑の髪が現れる。


「ありがとうございます、助けてくださって……!」


「気にしなくていい。俺も新人だ。君も登録に?」


 少女――リアナと名乗った――は小さく頷いた。摘んだ薬草を換金し生活費にするのだという。ハーフエルフの彼女は里を追われ、昨夜から何も食べていないらしかった。


 レオンはパン屋で丸いライ麦パンを二つ買い、ギルド近くの噴水広場へ彼女を連れて行った。朝の光が水面を揺らし、石畳に反射する。リアナは遠慮がちにパンをかじり、目を見開く。


「……おいしい。こんな柔らかいパン、初めてです」 


その無垢な笑顔に、レオンの胸が温かくなる。


 自分も追い出された身。行く宛のない彼女を放ってはおけなかった。


「良ければ、一緒にクエストに出ないか? 最初は低ランクの討伐だけど、稼ぎは山分けしよう」


 リアナは目を瞬かせ、ゆっくりと微笑んだ。


「ご迷惑でなければ……ぜひ」


 こうして最初の仲間ができた。


◆ ◆ ◆


 午後、二人は初依頼〈荒野ウサギ五体討伐〉を受け、ギルド裏の訓練場で打ち合わせをした。レオンは剣で前衛を、リアナは水魔法で援護と拘束を担当する。彼女の魔法詠唱は澄んだソプラノで、魔力制御は未熟ながら素直な軌道を描いた。


 作戦を確認し終えると、夕焼けが街を茜に染めていた。リアナは袖をぎゅっと掴んで言った。


「あの……レオンさん。今日は、本当にありがとうございました。私……怖かったけど、あなたがいたから……」


 礼を言われるようなことはしていない、とレオンは首を振った。


「俺も独りだったら、きっと不安で潰れてた。お互い様さ。――明日、頑張ろう」


 リアナは涙のように輝く笑みを浮かべた。


「はいっ!」


 こうして、少年と少女は翌日の荒野行きを約束して別れた。夜の帳が下りても、胸の奥の焔は消えなかった。追い立てられた者同士が交わした小さな約束――しかしそれは、後に世界を揺るがす冒険の第一歩となる。


 窓辺の月は蒼く、ギルドールの街灯が星々と競うように瞬いていた。


◆ ◆ ◆ 


 夜。レオンは安宿〈星降る小路亭〉の屋根裏部屋で藁布団に寝転がっていた。壁は薄く隣室のいびきが聞こえる。だがそれさえも旅情だ。母から貰った革袋の中には残り三枚の金貨と数枚の銀貨。明日の討伐報酬は一体あたり銀貨一枚、五体倒してようやく金貨半枚だという。この世界では一週間は暮らせる額だった。


 稼げば宿も食事も賄える。稼げなければ、路地裏で凍える――単純でわかりやすい。レオンは口元に笑みを浮かべた。安全圏の屋敷で「才能がない」となじられていた日々より、剣を磨いて明日の糧を掴む今の方がはるかに健全だ。


(努力を才能に変える力がある。なら、俺は無限に強くなれる)


 天井板の隙間から月光が差した。蒼白い筋が革袋の蒼石を照らし、淡い光が室内に広がる。思えばあの石も謎だ。母が涙と共に託したペンダント。用途はわからないが、胸に触れると穏やかな魔力が脈打つ。母の想いと共に、これもいつか役に立つだろう。


 明日は荒野ウサギ、明後日は角猪。その先には巨大な魔物や古代遺跡が待っているかもしれない。胸の奥が熱くなる。かつて諦めの泥で塗り潰した心臓が、新しい血で鼓動を打つ。


(前世の俺、見ているか? 今度こそ、本気を証明してやる)


 荒々しいいびきが重低音で響く。レオンは笑いながら毛布をかぶった。瞼を閉じる直前、遠くの鐘が二つ鳴り、ギルドールの夜を刻んだ。世界は広い。人生は長い。少年の冒険は、まだ始まったばかりだ。

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