小川洋子さんの…
小川洋子さんの…
『博士の愛した数式』が大好きだ。
何度読んでも、新しい発見がある。博士がか弱い子どもを守る姿に、うるっと来る。
作者の小川洋子さんは、何を思いながら、この作品を書いたんだろう。
『博士の愛した数式』だけではない。小川洋子さんの作品へは、強く「なぜ?」という気持ちが沸き起こる。
何を伝えたくて?
たくさんある中から、なぜ、この設定にしたの?
作品を細かく見て解釈していくことを、分析と言う。
ーなぜ、この時の服の色はこの色なの?
ー なぜ、この時の表記は漢字ではなくカタカナ?
…など、「なぜ?」を解釈していく。
根拠を伴った答えを見つけていく。
小川洋子さんの作品の一つに、『バックストローク』という短編がある。
素晴らしい小説だ。
最後、「貝の形のプール」が出てくる。「貝」は「閉じる」ものだから、泳ぎ手が広い世界に出ることはもう無い。
ほんの少しの表現が、登場人物のずっと先の未来を暗示している。
『果汁』という作品も好きだ。
ただ、読もうと思っても、この短編が収録された文庫本はなかなか売ってない。
『バックストローク』も『果汁』も、高校国語の教科書に掲載された実績がある。
確かな読解力を育てるには、最高の作品だと思う。
作者が伝えたいメッセージは受け取れる方がいい。
よく、「国語に正解ないよ」、「好きに読んでいいでしょ」って言う人がいるが、それは間違ってると思う。
『羅生門』の主題は、
「生きるために行う悪は許される」
「悪を行なった者は悪を行われても文句は言えない」
だ。
正しく主題を読み取れることは、大事だ。
作者の前で、堂々と「こう解釈した」と言えないなら、読んだものが身になっていないんだと思う。
今、私は難問に挑戦している。
夏目漱石の『変な音』の分析が終わった。そこで、小川洋子さんの『中国野菜の育て方』の分析を始めたのだ。
『変な音』が簡単だったと思えるくらい、『中国野菜の育て方』は難しい。
書評もほとんど無い。というか、無い。
視点を変えないとダメかと思って、同じく小川洋子さんの『ミーナの行進』を昨日から読み始めた。
そして、さっき読み終わった。
意外なことに、『ミーナの行進』と『博士の愛した数式』の共通点が分かってしまった。
「2」とか「双子」、「対になる存在」が出てくることだ。そこかしこに散りばめられていた。
つまり、小川洋子さんは「対比」をよく用いるということだ。
突破口になるかどうかはわからないが…
『中国野菜の育て方』の中で、対比になっているものをピックアップしていこうかと思う。
宮藤官九郎さんの『万獣怖い』という舞台を見たことがある。
狂気を隠した少女は、イエローのワンピースを着ていた。
黄色は無邪気さ、朗らかさを想起させる色だ。だからこそ、少女に着せたんだと思った。
少女が人の命を何とも思っていないことを隠すため、無垢そうに見えるベールを1枚まとわせた。
照明の当て方では真っ白に見えたり、真っ赤に見えたり…
もう、衣装係に拍手だった。
その舞台は、もう芝居の担い手がいないから、全く同じものを見ることは叶わない。
でも、出来ることならまた観たいなあと思うお芝居だった。
舞台でも映画でも漫画でも、なんでも解釈し、分析できる。
自分の受信力が上がるから、よくやっている。
まず、中国野菜をもう一度読み直すことにする。対比限定で、まず読み直す。
やってみる。
主題が知りたい。