5-4. ハインドホープの語り 真相
物語のラストスパートです。ここまでお付き合いくださった皆様、ありがとうございます。
ファリルとレミリアは、ハインドホープの書斎に呼ばれる。
「お祖父様、ファリルとレミリアが参りました」
「問いの答えを持参しました」
「そうか。答えよ」
「時間です」
「明察だ。高度なトロンプ・ルイユを生み出す材料は『時間』だ。ファリル、そしてレミリア。時間は金銀に等しく、そして時間は忘却の誘い手でもある。時間がひとなで、ふたなでとする間にも、多くの記憶が盗まれていく」
ファリルの説明が終わると、ハインドホープが語り出す。
「帝国は合理的な統治機構を生み出した。我々は統治機構の劣化コピーを設るために派遣された技術者に等しい。無論政治的エンジニアリングは私ではなく、別のものが主たる任務を担ったが。そういえば、いまは調査官と言ったか。かつては巡察使と呼ばれた役職はそうした政治的エンジニアリングの構築が完了するまでの暫定措置にすぎない」
「ダルマティアの政治風土の土壌もやはり、あなた方が作ったのですね」
チェンバレンの話を聞いてから思っていたことをファリルは問う。ハインドホープは肯定も否定もしない。
「僕は、このトロンプルイユの問いを、ベリーズさんの五〇年前の復讐という意味だと理解していました。あるいは、ダルマティアを独立した一個の土地として自立させてゆくための処方箋が時間であるという意味も別にあるとは思っていました。けれど、それだけではないのかもしれない」
「ファリル兄様?」
レミリアが訝しげな声を上げる。
「始まりは、天体観測でした。いつもカニンガム邸で観測していた時はレンズのピントが合わなかったそこで調べてもらったところ、歪みはなく正常だったんです」
「観測者側に歪みがないとしたら、歪んでいるのは星ということですか?」
「正確には、星に辿り着くまでの光が歪められているのだろうと仮説を立てたんだ。とは言っても、光は質量を持たないから光が通る空間が歪んでいる。そして、そんなことができるのは重力だ。ただ、重力異常なんてものが起きている気配がないことだけがここでの気掛かりなポイントだね」
「それで、ダルマティアの夜空が歪んでいるのが重力ならば、なんなのでしょうか?」
「時間の経過が変化するんだ。僕が気づいたのは、三〇年周期の彗星だった。断絶一〇年前に来ていた彗星が次にダルマティアで観測されたのは断絶から四年後だったんだ。それからは七年から八年周期で巡ってきている。ダルマティアは本土よりも時間潮流が遅くなっているんだよ。そして、ダルマティア辺境になればなるほど時間の経過は変化する。これは『星』の機能的限界なのかもしれない」
ファリルはチェイスが懐中時計を大量に整備していたことを思い出す。森番はおそらく、ダルマティア辺境域にも赴くが故に、それを知っていたのであろうと。浜辺のエルフィルの言葉はだからそれが故だ。
ファリルはレミリアに話しつつ、ハインドホープの反応を伺った。
「結局、なぜ『星』は起動されたのでしょうか」
「それは私がお答えしましょう」
いつの間にか、部屋の片隅に見慣れた人物の姿がある。
「ダンスガード博士?」
「ファリルくん、久しぶりです。僕はこうして、君にこのお話ができることがとても嬉しい」
「考えてみれば、あなたは天文でのヒントを教えてくれましたね」
「お役に立てたなら幸いです。これを見ていただきましょう」
図がモニタに表示される。
「典型的な例では、およそ三〇年程度の間に急に暖かくなり、数百年かけて気温低下を辿るという惑星規模の気候パターンの図です」
博士は本土の天測気象局にいた頃から研究していたという。
「恥ずかしながら、ダンスガード・オシュガー・サイクルと名前を採用しても貰いました。帝国各地の海盆の堆積物や、かの空中回廊建設時に調査された南西部の地層、東部鍾乳洞群などの各地から確認されているので惑星規模の変動サイクルだと推測出来ます」
ダンスガードの話の意味するところを読んで、ファリルは呟く。
「惑星規模の寒冷化ですか」
「ええ、それも特大の。一方でハインリッヒ・イベントという気象の大変動、これは一万年周期で短期間に気温が三度から六度ごく短期間に低下する気象変動です。これらが同時に起きると自然界の動植物の活動量を低下させ、自然界の飢饉のトリガーを引きます。また当然ですが雪と氷で覆われた範囲の変化により、農作、牧畜、狩猟、漁業による食料供給が打撃を受けることは確実なんですよ」
なかなか衝撃的でしょとでもいうようにダンスガードは神妙に語る。
「帝国が、この気候変動の直撃を受けるということですか?」
「ええ。正確にはもう受けたでしょうね」
「少し、私が話そう」
そこで言葉を区切り、ハインドホープは目を瞑って上を向いた。何かを思い起こしているのか、しばしの合間の後、再び語り始める。
「帝国科学アカデミーからの本来の依頼は、時間加速による極低音期の突破実験だった。詰まるところ、我々は五〇年を生き残った。『星』の効果は未知数な部分も多い。結果的に寒冷化は防げたようだがな」
気候変動はダルマティアを襲ってはいたが、どうやらそれでも相当に軽減された状態のようだった。
「帝国は、この地域丸ごと人身御供にしたということですか?」ファリルは訝しげに問う。
「どこにいてもあるいは同じだという意味でもある。研究では、当初数万年前のイベントでは、かなり有力な生き残っていたであろうと考えられていた足長半島の人類グループが全滅した事実が判明してもいた。限定的な調査しか私が帝国本土を離れる際にはできていなかったようだが、帝国より遥か西の果て四つ辻半島の人類グループは生き残っていたことがわかっている。いずれの地であれば生き残れるのか、それは後世にならねば判断は難しい」
そこでハインドホープから視線が送られ、ダンスガードの話が始まる。
「かつては運次第という面はあったでしょうね。ですが、帝国は技術立国です。寒冷化で問題になるのは結局エネルギー収支です。食料と燃料、この二つが途切れなければ乗り越えられます。エネルギー資源の面では当然、著しくエネルギー収支は悪化します。そこで、帝国本土の枢機に属する方々から下命された科学アカデミーは、イカリグサという特殊なエーテル化合物に目をつけました。簡単にいえば対象を限定条件下で反応させると、重力異常を惹起させリップ・ヴァン・ウィンクル効果、最近の呼び名だとウラシマ効果を生じさせるというものです。まあ、端的に言えばもたらされるのは顕著な時間遅延ですな。『星』はその効果を安定させるための装置として今回利用しました」
帝国の枢機はほとんどの場合、長命種を指す。ヒト種の時間感覚とは異なるが故の研究なのだろうとファリルは不思議と納得した。
「断絶の原因は、そのイカリグサによる反応、爆発のようなものだと?」
全容を理解していないなりに説明を噛み砕いてチェイスが確認すると、ダンスガードは肯定した。
「はい。イカリグサを利用した爆弾の平和利用は、同時並行で理論研究が進んでいた核融合弾よりも使い勝手が良いかというのが結論でした。後者はせいぜいがダムや運河、それから大規模火災の発破消火くらいにしか使えませんしな」
マッドサイエンティスト染みたことをいうダンスガードの話を受けて、気になることを尋ねる。
「あなたたちは知っていたんですか? その起動タイミングを」
ファリルの予想に反して、ダンスガードの答えは否だった。
「いいえ。私たちがダルマティアについてから二週間と経っていなかったので、事前に手配りは済んでいたのでしょうね」
「もう少し、やり方もありそうなものですが」
ファリルは何か腑に落ちないものがある為か、ダンスガードに別の方法はなかったのかと問う。
「ダルマティア出立する以前に出ていた科学アカデミーの試算では、年平均気温が氷点下五度前後まで低下し、高地には氷原や氷河が形成され、氷河の先端が帝国東部低地まで前進する確度が六六パーセントと高い水準であったことはあなたには伝えておかなければなりません。国家の危機であるならば、皆努力はしますがここまで狂気地味たことはしなかったでしょう。ですがこの気候変動はヒト種の危機だった。だから、星に魂を売り渡し、重力と取引をしたのです。時間を贖うためにね」
興奮したダンスガードの言葉を受けて、ハインドホープが言葉を補う。
「だが時間遅行状態、ある意味では時間加速状態にあるダルマティアでは、『星』の機能によりどうやら氷河期の影響を受けないことが証明された」
「長命種の思考のスパンは歴史を紡ぐ上で大きな影響をあたえるものだということを改めて思いました」ファリルは渦巻く感情をそのままに冷静に頭に思い浮かべたことを話す。
ハインドホープはデスクから折り紙を取り出して、骨張った手で丁寧に折り始める。それをファリルは黙って見守った。数分して、折りあがった紙をファリルに手渡しながら再び話だす。
「お前に昔、六角返しという紙細工を見せたことがあったな」
「まん中から折り返すと絵が変化する折紙ですよね」
今でもファリルの部屋の片隅に存在するそれを思い出しながら答える。
「そうだ。一度閉じて、開くと絵が変わり、もう一度閉じて開くとまた違う絵になり、裏返して開くとまた変わる。同じ土台の上でも、それぞれの差し手で思惑は異なる。今回、お前が学んだのはそう言うことだ。そしてこれから活かすべき教訓でもある」
ハインドホープは考えてみれば、初めから多くのことを読んでいたのだろうとファリルはどこか徒労感のような感情を覚えながら、言葉を返した。
「お祖父様は、最初から構図を理解されていた上で、問いを出されたんですね」
「私はすでに何かを新しく動かすことはない老人だ。それに旅立つお前の成長を見たかったと言うのもある」
ハインドホープの意図したことを読み取れず、ファリルはおうむ返しにその言葉を口にした。
「旅立ち、ですか?」
「カドゥケウスの杖を知っているだろう。二者を繋ぐものが必要だ。二点の経路を閉じ、通過する。手紙は三度開かれることになるだろう。使者はこの手紙の内容を知るべきだからだ。わたし、おまえ、そしてあの方だ。ここダルマティアからお前を通じて、スフラーフェンハーフェルへ。過去から未来へ向かう旅路になるだろう。あちらは、おおよそで二百年先となる」
淡々とハインドホープは帝国本土への交通手段があることを暗示する。




