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5-3.

 数年後、彼女の下で様々な仕事を手掛けてきたハインドホープとウォーラースラインは、帝国海軍に籍をまだ置いているものの、実質的には彼女の部下だった。手掛けている仕事の内容としても軍人の仕事ではない。

 ハインドホープは上空に浮かぶ湖面を眺める。湖面都市とも、月華都市とも呼ばれるスフラーフェンハーフェルは、湖の下にある。地上との往来には制約があるなどといった特殊性はあるが、良き統治が行われているように思えた。

 夜でも女子供の独り歩きが可能で、商店にはものが溢れている。街の往来に立つ軍人や警察官の姿もなく、夜には様々な灯りが街中を照らす。灯りといえば、綿毛のような植物が淡い光を放ちながら様々に浮遊しているので、夜といえど暗がりも出来ずらい。

 その日の朝は珍しく、皇女の私室に呼ばれていた。公私混同すること甚だしいエイプリルといえども、私室に呼び出すことは珍しい。さらに昼夜逆転の彼女にとっては、ハインドホープの深夜にも等しい。


「ハインドホープ、参上仕りました」

「ああ、かけてくれ」


 やはりというべきか、気だるげな声でエイプリルはハインドホープに着席を促す。優美な曲線を描く足を持つ椅子に腰掛け、ハインドホープはエイプリルの次の言葉を待つ。公室においては、彼女と直答することも珍しく、取次のものや関係者が多くいるものだが、侍女らしきものが四名ほどと少ない。

 信頼の証か、厄介事の証左か、どちらだろうなと考えながら座るまでに見てとった部屋にいる人数と顔、名前を記憶しておく。 


「そうだなぁ。五〇年に一度は報告がほしい。できるだろ、ハインドホープ・アンドリュー・ブラウン・カニンガム。わたしのHonourable ABC。ヒト種の中でも俊英の君なのだから」


 エイプリルはいかにも気に食わないが、仕方ないという顔で言った。そして、かけられた言葉は、明らか

に二つのことを示している。

「エイプリル皇女殿下」

「いいよ、皆まで言わなくて」


 ――光の恩寵。ノスフェラトゥが己の牙で刻印するそれは、祝福の証とされている。ハインドホープはフルネームを呼ばれたことに驚愕する。ブラウンはいい。単なる己が持っている色格だ。帝国始祖貴族の末であることを示すものに過ぎない。けれど、アンドリューは違う。ア格から始まるアンドリューやアビゲイルという名をミドルネームに持つということは、エイプリル姫の刻印だ。帝国のノスフェラトゥに連なる皇族にしか押印できぬ刻印。彼女はハインドホープに、その恩寵を賜わると明言したのだ。

 旧時代の言語体系において、一から三までと同じような意味合いのABCを単に名前で並べてみたかったという遊び心が僅かに忍ばされている可能性も否定し難いのが彼女の困ったところではある。

 そして、そんなことを言い出す理由は、ハインドホープ自身にあった。


「あれだけ従順で可愛かった君が、反抗期なのかな」

「あなたに妹ともども助けていただいたことは深く感謝しております」


 ハインドホープは少年の頃に、家督争いに巻き込まれ彼の妹を守るために、この姫に忠誠を差し出したのだ。だから、刻印を受け必要の騎士になった。


「君はわたしの必要の騎士の筈だったのだけどね。まさか、他所の女にとられるなんてね」


 ハインドホープは、ダルマティアという帝国の辺地から身一つで飛び出して帝国アカデミーに入った女と、エイプリルから与えられた仕事をこなす中で知り合った。その彼女の故地が帝国アカデミーの時間遅延実験の場所として定められ、計画のカウントダウンが始まっていると聞いたのは先日のことだ。

 エイプリルの臣下として、特別昇進に次ぐ昇進で上り詰めた帝国海軍将校の末席のポストを投げうつ代わりに、帝国本土からダルマティアへ赴く船便の中に内部観察者の席を確保したのだ。

 その影には、エイプリルの麾下から参謀本部に出向しているウォーラースラインの手配りの妙もあった。


「これも必要なことなれば」

「必要か。言うじゃないか。必要の騎士。でも、そうだなぁ」エイプリルのその目に、微かに思慮の色が現れる。「去る前に君に一つ、お願いしたいな」

「非才な我が身にできることならば」ハインドホープはこともなげに答えた。

「橋をかけてほしい」


 ハインドホープは違えたかと思い、声を上げた。


「橋、ですか」

「ダルマティアにあるスタリ・モスト。あれは帝国とダルマティアが一体であるという証だろう。わたしはね、けれど物理的な橋なんてものじゃ満足できない」

「どう言うことでしょうか」

「君たちは三世代以内が血族、家族というのだろう。だから、君から三世代。君の血族には橋をかけてほしい」

「それはどういう?」

「君はわたしの真名を知っているだろう」

「ええ」ハインドホープはじっと彼女を見つめて声をかける。

「君以外に君の血族からあと二人、わたしの真の名を当てられたら君を解放しよう。これはヒト種への、いやあるいは君への愛かな。君の血族にもわたしを知ってほしいというね」


 長命種は長い人生の中で、ある特定の存在へ愛着を抱き、それを育てていくのだという。草木、石などの自然物である場合もあれば、人形や料理道具などヒト種の営みが作り出したものなど、様々だという。


「まさか、あなたがそんな条件を出されるとは」ハインドホープは律儀に頭を下げると、首を軽く振った。


 エイプリルは、かなり長い視点を持つがゆえに行動の遅くなりがちな長命種の中では、果敢であり伶俐な思考をするという風に普段接する中でハインドホープは考えていた。


「私が子に名を教えるのでは、ダメなのでしょうね」ハインドホープは苦笑しながら、自分の中でできるもっともさりげない口調で言う。

「君がそんな短兵急にことを運ぶお間抜けさんではないことを、わたしは知っているよ」


 すぐさま返ってきた彼女の回答にハインドホープはなんとも言えず、いささか疲れて肩を竦めた。


「そのための刻印ですか」

「それ以外の何があるとおもうんだい」


 二人はしばらく見つめ合って小さく吹き出した。

 光の恩寵とやらはまだ真の意味でハインドホープの身を縛ってはいないようだった。それが縛るのは、ハインドホープの命の命数である。縛られれば、彼女の生ある限り眷属として生きることになるのだ。ハインドホープから見て孫の世代が死に絶えた時、今はまだ寿命の拡張などで済んでいる恩寵は、肉体を賦活し、姫に準じる程度のポテンシャルまでその頃には年老いているハインドホープの肉や骨を最盛期まで回復させるだろう。


「そのお願いとやら、承りました」

「よろしく頼むよ。君が勝てば、わたしはまだヒト種とやらをみくびっていたことになる。わたしが勝てば、わたしは友を一人失うのかな。それはどちらにせよ、か」

「あなたを楽しませるつもりはありませんが、あなたは仕える主人としても、友としても最良の一人ではありました」


 ハインドホープはこともなげに答えた。


「君からそう言われるのは、やはり嬉しい。どちらに転ぶにせよ、期待しているよ」

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