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「胡瓜を始め、少し腹の足しになるものを用意させました。味噌は私どもで仕込んだものですが、近隣からは売ってほしいと評判なのでぜひつけてお食べください。味噌は腹の妙薬と昔から申しまして、頭を動かすにはまず腹からというわけです」
「ファリル、レミリアちゃん。ここのは美味いぜ」
「では、遠慮なく」
ファリルが食べた胡瓜は瑞々しく、自分が喉を渇いていると一瞬錯覚するほどにつるりと喉を通っていった。
驚いて周りを見ると、レミリアも同じような感想を持ったようで驚いている。
クルツァはそんなファリルやレミリアの反応が嬉しいようで、青物についての話をしてくれた。
「この辺りは、西のリエカや、北のおぼろ谷へ通じるような主街道は通っておりませんが、東の平野部に広がる農村へは近いですからね。カニンガム様のお家の運び屋の方々の世話にならず、近郊の農民たちが直接キャンパス市の青果市場に卸にくるのです」
普門院との関わりをカニンガムの家はあまり持っているとは言い難いものの、やはり地域密着しているのだなとファリルは改めてクルツァの話を聞きながら思う。
「その方々から買い上げているんですか?」
「ええ。ちょうど、この院の境内にある槐の木がありますでしょう。あそこの木陰で一休みされてから、やっちゃ場へ行かれる方が多いので、お茶をお出ししつつ良い出物があれば買わせていただいております」
クルツァは律儀に頭を下げて応じた。
「やっちゃ場よりも下手したら、ここの野菜の方が質がいいとすら、俺は思いますよ」
カッティがわけ知り顔でクルツァの目利きを褒めるが、クルツァはあくまで料理番の手柄と謙遜した。
「カッティ様。ありがとうございます。典座の者たちに伝えておきます」
「カッティ、やっちゃ場ってなに?」ファリルはカッティの使っている言葉がわからずに聞き返す。
「お、こういうの珍しいな。やっちゃ場は青物市場のことだよ。これ、方言なのかな」嬉しそうにカッティは応じた。
「やっちゃやっちゃと、呼びかけながら競をしたことからできた俗語とも言われておりますね」
クルツァからの補足に、そうそうとカッティが頷く。そのまましばしの間、無言になって思い思いに出された青物を二口、三口と食べ進める。それぞれが食べて皿が空になった頃合いに、ファリルが口を開く。
「クルツァ僧正。あなたは何故、この土地に来ることを選ばれたのですか?」
ファリルの頭の中で、エルフィルが倒れていた件からの一連の流れをつなぐ縦糸のようなものが朧げながら形を見せ始めていた。一方で、もう少し鮮明な像を結ぶには情報が足りないことも自覚している。だから、帝国とダルマティア、双方を知るクルツァの話をいろいろと聞きたいという思いがある中で、気になったのは始まり方だった。物事には当然、始まり方と終わり方がある。終わりが来ずに連綿と続いていくこともあり得るだろう。けれど、どこかが始まりである筈だとファリルは思う。そしてそれは、クルツァという人物を知る上でも大きなヒントになる。
「『命あるものの全てが、溢れる光に溺れて感覚を失う。木々でさえ、太陽に酔いしれ蔦を身にかきまといながら、頭をこくりこくり微睡む』。この言葉に言い知れぬ魅力を覚えたからかもしれません」
真正面から問いを出したファリルに対して、帰されたクルツァの言葉は僧侶らしいのか、どこか煙に巻くような言葉だった。
「それは?」
何か妙に耳に残る言葉ではあ理、ファリルはカッティなら意味がわかるのだろうかと思い、彼の方を見る。カッティはしかし肩をすくめ、知らないという意思を身体で表していた。
「私がダルマティアに赴任する以前、友人が二ヶ月か三ヶ月ばかり『水位の下がりくる島々』へ観光旅行に行ってくると言って出かけたのです。それから半年も経ちましてね。これは熱病にでも罹患したのかと手紙を現地の関係者に出したところ、それから数ヶ月経って本人から返信が来たのです」クルツァは二人の様子をみて、続きを話しだす。
「生きていらしたんですね」
遠距離でそれだけの期間、返信がなければ死んでいてもおかしくはないだろうなとファリルは思ったが、どうやら相手は生きていたようだった。
「ええ、その時に手紙にあった一節が先ほどの文章です。友人はそれから一年後に帰ってきました。都合二年は現地にいましたね。それでも友人は目を離したらそのまま、とんぼ返りをしそうなほどにその地に入れ込んでいましたよ。正気を失うほどの太陽の宴に酔いしれ、微睡む不可思議な辺縁領域。当時、帝都で師や老師たちほどの宗教的情熱を燃やせなくなっていた私は、皆様の前でいうのも大変失礼ですが辺縁領域ダルマティアに赴くことで何かが得られるのではないかと」
「それは得られたのですか?」
そうファリルが問いかけると、どこか曖昧なけれど微笑とも言い難い表情を僧は浮かべ、静かに口を開いた。
「この土地では、死を感じ始めた少なからぬ方々が、次の世での再会を口にし始めるのです。そしてそれは魂というものの存在を肯定しているようにも思えます。ただ私は少なくとも、それがあることを信じて生きていく最後の日々が幸福なものであれかしと祈り、支えていくばかりです。そうですね、そういう点では情熱を別の形で取り戻したと、そう言えるかもしれません」
だんだんと話題が逸れていくように感じたのか、カッティが声を上げた。
「クルツァ様。そういえば、さっきの価値観の違いって話はどうなんだい」
「例えば現実的な問題に対応する時、帝国では空想に縋る者たちもいるのですよ。それで痛ましい事件も起きてしまいます。ヒトは目的のために残酷になれる。ヒトが生きたまま神になれるなどと」
どこか困った風に言ったクルツァの話の内容に、ファリルの記憶で該当するものがあった。
「帝孫事件でしたか」
「ええ恥ずかしながら」
クルツァの目に微かに恥じらいの色が現れる多様に見えた。同門ではないとはいえ、宗教家同士、複雑な思いがあったのだろうとファリルは思う。確かに時代が時代なら秘史や禁書庫行きの内容だろうからだ。
「ファリル、なんだその事件?」
「それを話す為には、まずウルフブリンガーの少女について話した方がいいのかもしれないね」
「歴史絡みか? シンプルに頼むぜ」
カッティの頼みにファリルは頷いて簡潔に話すことにした。
「帝国辺境である一桁前半の年齢のヒト種の少女が行方不明になってね。一〇年後に保護されたんだ」
「誘拐事件ってやつか?」
「いや、真相はわかっていないんだ。けれど、保護された少女はウルフによって生育されウルフと同様の食生活をしていた。母親に相当するウルフとは鳴き声で意思疎通すら出来るようだったという」
話を聞いてもカッティは腑に落ちていない様子だった。
「それがどうしたんだよ」
「それを見て、一部のかなり偏ってしまった人たちはね。神を育てて、新たなる神話創生をという試みをしてしまったんだ」
「ええと、俺はお前さんが何を言っているのか全然わからん」
ファリルは同意しつつ話を続ける。
「僕もそうだ。帝国のダークな側面の歴史は、なんでこんなことになるんだってくらいに斜め上を飛び越えて来る」
「赤子孤児たちを、光の館という場所に連れて行き、旧字体系の二十六文字になぞらえて、二十六の館に子らを閉じ込め、二十六の頭文字に即した神話に出てくる食事と神話文字とを与え続けたそうです。中央宗教の中でもかなり特殊な派閥で光と重力とを重視した宗教でした。重力を頸木に、光を恩寵にが根本理念だったそうです」
クルツァが付け加えた内容も含めて、カッティは食傷気味のようだった。
「坊様や、それで神様が育ったら、それこそ奇跡だろう」
「ええ、奇跡は起こらなかった。彼ら、恩寵派と呼ばれるものたちは途中で摘発されました。結果、中途半端なところで計画は中断し、実行者たちも逮捕されました。その被害者の中に帝孫もおられた」
「時の皇帝は激怒してね、宗教分離が徹底されることになったんだ」
おそらくカッティもレミリアもそろそろ教科書で習った内容だということを思い出したなと、二人の表情を見ながらファリルは思う。そして、当事者から話を聞ける機会は貴重で、ファリルにとって興味深い話だった。
「私の師は、その時穏健派の重鎮でしたから、取り調べと言いますか、事後処理を担当していたうちの一人でございました。帝国は一応それでも実利的な獲得物はなかったのか調査を行いましてね。調査対象の文献などに宗教的な暗号があるかもしれないと各派から何名か立ち会ったのです」
「結果はどうだったんですか? 僕は事件名と概略しか知りませんでしたが、何かしら得るものがあったとか?」
ファリルとしてはそちらの方が気になる話だった。
「いえ、結局帝国にとっては大きな利益はなく被害者補償を注意深く行なっていくということでしたが、師個人にとっては意味があったようです」
「宗教的な価値というやつですか?」
「その調査を通じて、他の宗派とともに改めて自分たちの教義について交わした際に得られた、宗教的なあるいは哲学的な対話です」
「それは帝国にとっては、実利的な価値はないでしょうね」
クルツァとお互いに苦笑いしながらファリルは頷いた。
「師は言っておられました。ヒト種は力を渇望する。力への意志を最もよく満足させるものを見出すのは、熱心であるかどうかは別にして、思考を描き出す作業においてなのであると」
「思考を書き出す、ですか。それは何かの寓意ではなく、教え導くことといった意味合いで良いのでしょうか」ファリルは意図を確認する。
「ええ、それを師や複数に老師たちは『浮遊するシニフィアン』と呼んでいました。意思は普段ふわふわとして明確な意味などないのだと。けれど、ヒトが何かを作り出す過程において、世界に意思の種を埋め込むその営みは手段の善悪はあれ価値あるものだと」
「表面的な理解ではあると思いますが、分かると思います」
「ええ。『美しいということは、作り事を上手に描くこと』とも老師達はおっしゃられておりました。ファリルさんの求められている謎解きも、時に同じようなことかと」どこか楽しげにクルツァは言う。
「起こった謎自身に、解が内在しているということですか」
「そうとまでは申しません。例えば、先ほどの『浮遊するシニフィアン』は単なるゼロ記号ではないのです。厚みを持った謎としての性質を持つが故、受け手がそれを解釈する時、予期し得ない何かを作動させうるのだと」
クルツァの話は初見ではあるものの、なぜだかファリルはわかる気がした。
「謎は謎にとってみれば、謎でもなんでもない。僕たちがそれを見るにあたって知識や見方が誤っているばかりに、誤った理解をしてしまうということでしょうか」
「そうですね。もう一つ、具体的な例を申し上げましょう。オーリニャックの洞窟壁画はご存知でしょうか?」
それは、ファリルにとって聞き覚えのある名前だった。
「はい。おぼろ谷の西方で見つかった古代の動物達や人の営みが描かれた洞窟壁画ですよね。確か、遊んでいた子供達がたまたま洞窟に迷い込んで見つかったとか」
「ええ。その通りです」
「壁画が描かれた、いえ描かれ続けた数千年の時代スケールで構成されて、そのあと数万年を経て我々の知る著名なそれへと変じました」
ファリルは、クルツァの言葉の中に潜む何か確かにそこにあるものを読み取ろうと話に一層集中する。明らかにこの僧正はファリルに確信犯的に何か大切なことを伝えようとしていた。
「オーリニャックの洞窟壁画のように、私たちは未完のテクストの上に、時代や宗教、文化や様々なファクタに基づくテクストを地層のように重ねていきます。意識するにせよ、無意識にせよね」
「どうにも前提知識やら何やらがないとついていけない衒学的な会話すぎるんだが、ファリル。これは謎解きの役に立っているのか?」
先ほどから何か言いたそうにしていたカッティが痺れを切らした様子で発言する。
「正直なところ、僕にもわからない。でも、わからないなりに、掴めそうな何かがある気はするんだ」
「クルツァ様。普門院は教えのわかりやすさを重視した宗派で、あまり上座部的な難解な話はなかったようにも記憶しているのですが」レミリアが発言する。
レミリアにとっても、この会話の行き着く先がファリルの役に立つのかという観点が気になるようだった。
◇- 用語 補遺集 -◇
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● オーリニャック
・先史時代(オーリニャック文化)で有名なフランス・ピレネーの洞窟にラスコーの壁画がある




