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4-1. ハインドホープ

全五章のうちの四章突入でございます

 その部屋はカニンガム邸の敷地に存在する既存樹木の位置、大きさ、樹種が一本ずつ丁寧に書き込まれた設計図。それらの樹木や樹形と干渉しないように建築の配置を検討した節が見受けられる隣接する住宅街との距離感や見え掛りのスケッチ。ダルマティア特有の地形のアンジュレーションを生かすための等高線図などが天井や壁面に無造作に貼られている。部屋は小さく、五人程度が入れば窮屈になるというくらいの部屋だった。


 丸くくり抜かれたガラス窓からは淡い光がこぼれ落ちてきており、窓の透かし彫の妙か自然の樹木の木漏れ日のようなランダムな影が部屋の隙間を埋めるように流れている。


「ヒト種の立体的な知覚は、生まれいづる時より始まる世界を識るという成長の課程の中で、視覚情報と触覚や嗅覚で獲得した情報の統合によってもたらされる能力だ」


 ハインドホープは静かに、その向かいに立つヘンリーとパトリシアに向けて語り出す。


「先天的な盲目の状態であった者が、何らかの外科的な手術によって開眼に至る時、その者は立方体と球とを視覚的に区別しうるのかという命題ですね。お館様が在りし日に支えておられた彼のお方付きの哲学者がそのお話を提示した際、なるほどと膝を打ったものです」ヘンリーが応じた。


 ヘンリーは帝国本土から付き従ってきた数少ないハインドホープの股肱の臣であるため、過去も知悉する。


「二次元上では許容されない動作、想定し得ない状況が三次元上では展開される。目で見、耳で聞き、味わうからこそようやく世界をヒト種は知覚できていると言えるのだろう」


 土地と建築、内部と外部の有機的な結合をコンセプトに別邸にはいくつか隠された部屋が作られている。ハインドホープたちがいる部屋は『紙の間』と呼ばれていた。ファリルを案内した部屋は同様に『鉄の間』と呼ばれる。


「ですが、晴眼者であるあなた様や私共と同じように、先天盲開眼者も視覚訓練の果てに同じ三次元知覚を得ることができたのは行幸でしょう」


 目を盲いた人間に対して、目の見えるヒト、視覚に関する障害を負っていないものを単に晴眼者と呼ぶが、ヘンリーの知るかつてのハインドホープが仕えた主は天眼者と呼ばれる長命種だった。


「確かに、あれは興味深い示唆だった」


 かつて帝国本土で行われた実験で得た知見はハインドホープにとって、一つの光明を感じるものとなる。

 そこへパトリシアが言葉を重ねる。


「ヒトがヒトであるが故に、『虚にして霊なり、寂にして照す、眼にあって色を見れども、諸の色惑をかふむらず』にものを見ることは難しいと思いますが。最近のファリル様は吹っ切れたようですし、私も乳母として誇らしいと思います」

「お前は常にファリルの肩を持つな。パトリシア」

「ええ。我が子にも等しく、自慢の若君ですから」

「パトリシア、差し出口はやめなさい」


 胸を張ってハインドホープに意見を述べるパトリシアを、ヘンリーが制止しようとするが、ハインドホープはそれを止める。


「よいのだ、ヘンリー。パトリシア、その割に手助けはしていないようだが」

「私は手助けを求められたら、もちろんお手伝いします。ですが、ファリル様が懸命に解こうと努力しておられる状況で、横から手や口を出すのは違うと思うのです」

「パトリシアの判断も一つのやり方だろう」

「ありがとうございます」

「そういえば、何年か前、あれはファリル様の誕生日だったと記憶しておりますが、ハインドホープ様が面白い問いを出されていましたね」


 ヘンリーがハインドホープが認めたのであれば形無しと、別の話題へと話の主軸を移す。


「どの問題だ」

「そう、頂点と底面と、横からの断面図を見せてそこにプレゼントを隠したと出題した時の問題です」

「そんな年もあったな」

「二年前ですね。その時にお聞きした先程話されていたのと同じ件。先天盲開眼者が初め円と球の相違を判別できないと知った時は驚きました」


 パトリシアはファリルやレミリア、レミリアの弟妹たちの記念日や成長の記録などを丹念に保存している影響か、こうした事をよく覚えている。


「本来的に、視覚情報は二次元だ。網膜が受け取った二次元の光情報をもとに外界の構造を推定するとも言える。与えられた絵の奥行きや形、色合いを判ずるようなものだからだ」

「私達の世界の見方も、まだ限定的なのかもしれませんね」

「そうだ。だが、そこから還元されることは、N次元の知覚と、Nプラス一次元の触覚で、Nプラス一次元を知覚しうるということだ」

「レミリアお嬢様に出された謎かけですが、ファリルぼっちゃまに伝わっていますでしょうか」


 ヘンリーが心配げな表情を浮かべる。


「あの二人であれば伝わるだろう。仮に伝わらなくとも、たどり着けるだけの何かがファリルにあれば良い」

「赤子は腕の見た目と動かす感触、それから視覚上の手を統合するから動かせるようになるのです。おしめを変えたこともない、三時間起きの細切れ睡眠をファリル様と共にしたことのない殿方にはわからぬことかもしれませんが。ファリル様は、立派な紳士になられました。わたくしは、信じております」


 パトリシアは再びファリル贔屓の発言をして、ハインドホープとヘンリーを苦笑させる。


「そうだな。信じてやれなかった結果が、レーベンスだ。それに私はようやく最近になってこの土地に骨を埋める覚悟が出来た」 


 ハインドホープが見上げた丸窓からは、黄昏時特有の寂しげに去り行く太陽の熾火が見えた。

もしよろしければ、ブックマーク、評価やコメント(気になる点など)をいただけると幸いです。

執筆の糧にさせていただきます。

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