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3-14.

「持ってまいりました。先程のクリスさんが話していた島が、何か役に立つのですか?」


 ファリルが樫の机の上に広げた地図の四隅に重みのある文具をおいていると、レミリアが手伝いながら地図のあちらこちらへ視線を巡らせる。

 脳の一部をレミリアとの会話に振り分けながら、ファリルは矯めつ眇めつ、地図同士のとあるポイントを中心に比較する。そして、見つける。


「地図は世界を見る眼差しなんだ、レミリア。僕たちの思考の幅は色々な制約によって狭められているけれど、それは無駄を省くために一旦忘れていることにしているものと、単なる錯覚の両方がありうるよね」

「そのあたりに生えている草を一旦は全部雑草とまとめておくようなものですか」

「そんな感じだ。断絶前の帝国国土地理院が製作した地域図と、現在のダルマティア地方府が発行している地図を見比べれば多分わかるよ」


 ファリルとレミリアは地図をそのままにして、顔を上げて差し向かいで話し合う。


「五〇年前、当然地方府は調査したんだ。障壁制約の正確な位置を」

「確か、キャンパス市から八○キロ圏内であれば、安全との宣言がでていますよね」

「そうだね。断絶から一ヶ月後、障壁事態宣言が出ている。逆にそれを踏まえて、僕たちが今常識としている障壁制約の範囲が確定したと言ってもいいんだ」


 広げた地図の外周をなぞるように、虚空に手で円を描いてレミリアに説明する。


「確かに、誰かが確かめたから障壁がそこにあるとわかったわけですからね」


 レミリアもすぐに理解したようだった。


「それに、こういうのは往々にして、安全距離というものを設けるだろうね。つまり、幾らかの余剰範囲、本来であれば通行可能な海域ではあるけれど、念の為立ち入り禁止にしておこうという領域があるんだ」


 二人は再びそれぞれの地図を見比べる。


「これは、さっきのビシェーボ島自体が現在のダルマティア地方府の地図に記載されていないですね」

「こっちの国土地理院の方にはある。現在版だ。でもね、断絶前の古地図と比べてみるとわかる」


 ファリルは抱いた違和感が形を成し始めた感覚を覚えた。


「記載されている範囲がごく狭いものになっています」

「ビシェーボ島自体はキャンパス市の沖合九十七キロだ。安全距離の外だよ」

「それでも、商業ベースに乗っているということは、事業関係者の間で共有されている地図には載っているということですよね」


 レミリアも色々なことが頭の中でつながり始めている様子にファりるは感じられた。


「そうだね。多分、国土地理院の方を使っているんだろう」

「ですが、これって」

「そうだね。この島、キャンパス市の沖合九○キロにあるこの島の存在は断絶前の地図にしかない。この島は自然の湧き水すら期待出来る島だよ。一時的な避難小屋なんかも建てられていて、小規模ながら複数の村もあった筈だ」

「隠されているということですか。誰か、あるいはそうしておいた方が良いと考えた集団の意図を感じますね」


 レミリアが地図を眺めて、険しい顔をしている間にファリルは別の書架に入り込んで、過去の新聞の縮刷版を探し始める。


「あった。断絶直後の安全海域調査委員会と国土地理院の合同調査報告が記事になってる」

「調査委員会の委員長はお祖父様ですか、これは何かありますね」

「今までで規模は一番大きい謎なのかもしれないね」

「島一つを隠して何が?」

「まだわからない。けれど多分これは、今回の事件とお祖父様の問いの両方に関する話だ」


 そこへしわがれた声がかかる。


「ファリル様、レミリア様も何かお探しですか?」


 カニンガム邸の膨大な書類と書籍の管理をしている司書のサラ・ボドリアンが立っていた。


「いいところに来た。サラさん、地図を今見比べていたんだけど。断絶前と断絶後で食糧事情とか産業は大きく変わったと思うのだけど、その辺りを纏めた書籍はないかな?」


 カニンガム家の私設司書をしているサラは、ファリルにとって知的探索の相棒でもある。初めは怖い印象しかなかった彼女には、幼年学校時代にハインドホープが別邸で月の光に透かした手紙を読んでいたと言ってもシャーロットやレミリアが信じなかった時、彼女だけは信じてくれたのだ。


 月光文字の探究という古い書物を探してきてくれたのもその時だった。エルフィルと、別の長命種であるノスフェラトゥが扱う月の光に透かして読む文字だという。彼らの古い居住地においてよく使われていたという歴史を記した本なども探してきてくれた。知識と本にまつわる分野でファリルが最も信頼している一人だった。


「ファリル様の問いを、直接探すのでしたら地方府発行の五年毎に調査編纂が行われる人口センサスにて数量調査の結果が経年で載っております。それから、間接的に探すのでしたら近現代ダルマティアの郷土の歴史、文化、風俗などの研究家のリストが載っている本がございます。『地方史文献年鑑-ダルマティア-』ですね。毎年発行されるダルマティア史研究雑誌がダルマティア各地域別に収録され、各雑誌ごとに目次が紹介されていたはずですよ。研究テーマ及び研究者を知ることができますし。また、各雑誌ごとに発行所の住所、電話番号も掲載されていると思います。ただ、電話番号は十年前の大改革で大学や研究機関、地方府含め不要な番号の削除と再付番があったのでお気をつけください」

「それは読んでいる」


 長年の付き合いから、サラとはファリルは単刀直入なやり取りをするようになっていた。


「他には、グルメ評論家アリシア・レニエールの「食通年鑑」には、飲食店や農家に聞き取った断絶前からの変化への愚痴、あるいは礼賛が街の人の声というコーナーで掲載されております」


 淡々とファリルの答えを受けて、次の候補を口にだすサラにレミリアは驚いていた。


「それは少し盲点だった」

「あとはまだ未発刊なのでおすすめしづらいのですが、ファリル様はちょうど今あなた様自身が言われた書籍の執筆に携わっておられるのでは?」


 サラがファリルの盲点を指摘する。ファリルは考えてみれば、確かにと自分のひらめきのなさを嘆く。


「そうか、ダルマティア年鑑」

「はい」

「ありがとう。それこそ盲点だった」

「いえ、司書として当然のことをしたまでです」


 サラは淡々と役に立てたことを誇示するでもなく、頷いた。


「ちなみに、サラさんが持っているのは、この屋敷の図面かな」


 大事そうに抱えて何枚かの紙の正体に当たりをつけつつ、ファリルが尋ねる。


「ええ。そろそろ屋根を葺き替えねばなりませんからね。ヘンリーから出しておいてくれと」

「そういえば、うちは茅葺き屋根なんだよね」

「ええ。茅は田畑の近くに生えやすく近隣農家から幾許かの謝金と共に分けていただきます」

「帝国建築は多くが石材や煉瓦で覆うけれど、うちの屋根が茅葺きなのは、お祖父様の意向なんですか」

「御認識の通りでございます。屋根というのは、家の空間を風雨から、あるいは雪から守る盾であり、連なって佇むことで風景や共同体の姿を作り出します。そして、土地に根差した共同体の成員であることをお館様は望まれております」


 書籍に纏わる部分だけでなく、家周りのことも細かい部分まで知っており、その知識は時に執事筆頭のヘンリーすら凌ぐと噂されるのは伊達じゃないなとファリルは改めて認識する。


「それは、地域との融和のためとか?」

「この家や周辺の敷地の外見の部分はカニンガム家の皆様だけでなく、近隣住民もこの近くを通り過ぎた方も含め、通りゆく方々の意識が束の間、あたかも自身が経てきた歴史とダルマティアとの関わりのスケールを感じ取れるような意識の流動感を軸に整えられておりますので」

「何を思い、祖父はそうまでするんでしょうか」


 この人ならどう答えるのだろうと、正確な答えが返ってこないであろうことは認識しつつもファリルは問いかける。


「お館様や市長殿はそれぞれが似たような、あるいは異なる考えをお持ちです。私のようなものが考えを慮ることなど出来はしませんが、そうですね。お側でお仕えした中で思うことはプライベート、パブリックの境界レイヤーが家族とそれ以外に重ねられるのではなく、より広い文化規範に溶け出していれば、個人とダルマティアの間にある時間や空間は豊かになりうるのではないかと」


 思った以上に、饒舌に答えてくれたサラに内心驚きつつ、ファリルはふとした疑問を提示した。


「それは、一重にダルマティアの緩やかな独立運動のようにも感じられます」


 それでもブレることなくサラはハインドホープを立てつつ、それなりにファリルにとって意味のある回答を捻り出した。


「障壁制約の扱いは、お館様とても難しい命題です。通れるようになるのか通れないままなのか。ですが、問題は棚上げにすると言うのもまたひとつの解法ではないでしょうか。現実として、今は通れない。であるならばそれ立場の異なる者同士のコミュニケーション量を増やし、社会的なサービスのコンテンツ量を増やすことを通じ、山渡りや海渡り、帝国外市民など複層的な文化の入り混じる今のダルマティアで緩やかな紐帯を築き直すことに意味はあるといったところでしょうか」


 淡々と表情を変えずにファリルの思いつきに答えてくれたサラに改めて、ファリルは尊敬の念を抱く。


「最近、色々と調べていると、僕の周りの方は、知れば知るほどすごい人ばかりだという風に感じられてきました」

「温故知新、という言葉を私は好きですが。ファリル様は日々新しいことに出くわすお年頃です。時には古きを訪ねていただけますと幸いです。私はいつもここにおりますので」

「ありがとう。サラさん。またきます」


 ファリルとレミリアは図書室の入り口まで見送りに来てくれたサラに感謝の言葉を述べて自室へと戻った。

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