3-12. 石と木と
ハインドホープとの会話が終わり、別邸から出てきたところでレミリアと遭遇した。
そのまま二人で会話をしながら歩いていると本邸の裏庭で声をかけられる。
「ファリルさんでしたか、おやレミリアさんも。おはようございます。ファリルさんをこちらでお見かけするのは珍しい」
そろそろ中年を迎える年になったカニンガム家に逗留する建築家であり、三人の子を持つ女性とは思えないスラリとしたスタイルでスタスタと歩く様は絵になる人物でもあった。
リエカ大火から復興計画立案の際にはこれまでのリエカとは異なる壮大な都市計画を構想し、過去の思い出の墓標を胸に未来の記憶の器をという標語と共に侃侃諤諤の議論を巻き起こした人物でもある。
これは、過去の牧歌的な街並みは単なる思い出だが、これから五年、一〇年先の壊れにくく燃えにくい素材で作られた現代的な街並みは、これから生まれてくる子ども達の記憶と共に育ち、リエカの誇りになるという意味合いだった。
このリエカの大火より数年前、クリスを傑出した数学知識を基にハインドホープが雇用したが、当時からすでに天文や建築などにおいても成果を残している。
「クリスさんお久しぶりです。確かにあまりここには来ないので」
別邸に頻繁に足をはこぶレミリアとは異なり、ファリルが赴くのは自分でも久しぶりだという自覚があったので、言われたとおり必要な時にしか来ないものだなと思いながら、クリスに挨拶を返す。
「クリスさんはまた新しい作品作りですか?」
「ええ、最近は山家や多島海の方からいくつか石を取り寄せて、性質といいますか、そう言ったものを活かす建築をしてみようかと思っています」
「石ですか、そういえばきちんとクリスさんをお祖父様から紹介された時は、木でしたね」
「そうですね。その節は、ご迷惑をおかけしました」
ぺこりとクリスが丁寧に頭を下げて謝罪する。
「いえいえ、そんな。僕は面白かったです。あれが一つのきっかけのようなものですから。歴史をもっともっと知りたい、あるいは学ぼうと思った」
ファリルの言葉に応じて、レミリアも苦笑する。
「ファリル兄様と同じく、あのゲームをきっかけにわたしも学ばなければと思った苦い記憶ですね」
「レミリアも歴史に興味があるんだっけ?」
「歴史ではなく、工学や数理です。あのゲームで三角測量は重要性を改めて感じました。シャーロット伯母様の会社でも初期は三角関数の技術、アークタンジェント計算を用いて、二点間の座標から配送先の方角と距離を求めたり、別の分野ではありますけど小規模な配送巡回の問題を解かれたりなどしていたようです」
「ふふ」レミリアの発言に楽しそうな表情をクリスが浮かべる。
「クリスさん?」
ファリルが問いかけると、お二方はまだ何にでもなれるのだなと改めて感じ入りましたと笑ったことを謝罪しながらクリスが答えた。
「お二方は算額絵馬というものをご存知ですか?」
「普門院に数学の問題を奉納するものでしたっけ?」
それは難しい難問が解けたことを感謝し、木板に問題と解法、答えを記したものを奉納する営みだった。
「ええ。一時期、ハインドホープ様が凝られていた時期もございました。中には出題だけをされる方もいて、そういう場合には解答者が絵馬に解法と答えを記入して横に奉納しておくのです。すると、出題者が正解か否かを後に答えるという仕組みです。かくいう私も一時期ハマっておりました」
穏やかな笑みを浮かべてたおやかな様子ながら、多くの実績を積み上げている才人なのだと改めてファリルは認識する。
「数学の腕を見込まれて、お祖父様から雇用されたのはもしかして」
「ええ。ハインドホープ様の出された出題を真っ先に明察、解き明かしたことがきっかけです」
「驚きましたが、聞いてみると確かにありそうだなとも思います」
クリスが日参して、問題を解き続けている様子はなんとなく想像しやすいとファリルは思う。カニンガム邸でみる時も、何かの図面を書いているか、何かを作っているか、あるいは移動している途中かという具合で、常に何かに向き合っているように思えるからだ。
「普門院さんへは最初、算額絵馬を解いてストレス解消に行っていたんですけどね。段々、住職さんと仲良くなって、今面白い人が来ているから話を聞いていくと良いよって。そんなことを繰り返していたら、歯応えのある問題がありまして、いの一番に解いてみたらある日、住職さんに数学的な知見を求めている方がおられますが、会われますかって言われて、私承諾してしまいました」
「それがお祖父様だったと」レミリアがやや呆れ顔で話す。
「私の場合、縁あって今は建築家ですが完全にその道一筋で来たわけでもないので、実現性を考慮する上でも色々な分野の方の協力が必要なんですよ。お客様の要望の底に潜むものを明らかにした上で、アイデアを提示し、イメージを共有したら実現するための方法を考えるという手順を踏むんです。その時ちょうど行き詰まっておりまして、これも縁かなと思い、お会いして今に至ります」
「お祖父様は、厳しいようでいて愉快なところもありますから」ファリルは、クリスに向けているようでいてその実、レミリアに向けたフォローの言葉を放つ。
「ハインドホープさんに招かれて、建築もできるということを話すと、言われたのは邸宅をこの敷地につくりたいが自由にして良いということだけでしたね。その当時はキャンパス市内に別のお屋敷を構えておられましたからそちらでお話し伺ったのですが」
そういえば、この屋敷の設計はクリスだったことをファリルは思い出した。
「それで、ここのお屋敷を設計されたんですね」
「ええ。もちろん完全に自由というわけではなく、幾らかの不思議なリクエストがありましたけど。全体として、面白いお仕事でしたね」
カニンガムの屋敷ということで、プレッシャーもあっただろうにそんなことを感じさせない笑みでクリスは懐かしむような表情を見せた。
「クリスさんが自由に腕を振るったから、クリスさんの素材への眼差しというか、温かみのある建築になっているんですね」
「ありがとうございます、ファリルさん。私たちは、石や木が好きですよね。直裁にこんな問いを投げかけられてもファリルさんもレミリアさんも困ってしまわれると思うんですが、直感的に好きや嫌いと感じる視点と、なぜそれが好きなのかという理性的な視点、そうした感覚をデザインしてこのお屋敷の基礎的なコンセプトにさせていただきました」
だから皆さんが楽しく暮らしてくださっていれば、満足ですよとアリシアは付け加える。
ファリルはアリシアが誉めていたことを念頭に置いて、話す。
「そういえば、この屋敷は手伝っている仕事場の方からもすごく評判良かったですよ」
「ありがとうございます。わたくしめの設計図を具現化してくださった職人の皆様、設計や建築の協力者の皆様の努力の賜物ですね」
「そういえば、中庭とクリスさんとくれば『マスグレイヴの式辞』を思い出しますね」レミリアが思い出しように言った。
「あれは、ちょっとした見ものでしたね。ハインドホープさんの稚気がおありになられるところが見られて、新鮮でした」クリスはにこやかに笑う。
ファリルとしてもラジオをもらった記憶に残る問いかけ、あるいはゲームだったなと思う。
「陽は風見鶏の上、影は『とこしえの木』の下という文章から始まり、導き出した地点を起点にした東西南北の移動指示と、最後に下とだけ書かれた紙を渡された時はどうしようかと思いましたよ」レミリアが当時の問いかけの内容を誦じた。
「『とこしえの木』が、そもそもその時なかったからね」
基準にするものがその時にはなかった点が、難易度を高くしていた。
「あれは、リエカ大火からの復興一〇周年記念のオブジェでしたからね。埋もれ木の出物であったナナカマドと、燃えてしまったわたしの事務所があったのですよね。そこから拾ってきたアッシュツリーをに見立てて作りましたね」
とこしえの木というオブジェは、リエカ復興からの記念でクリスが制作を依頼されたものであり、一時的にカニンガム邸宅にあったものの過去のゲームの際はすでにリエカに移動された後だったのだ。
「ナナカマドは難燃性の木材ですよね。アッシュツリーは初めて聞きました」
「生木でもよく燃えるので、燃料源にも使用されますね。一部地方の風習では、火事になった家で薪などに使われ、焼け残ったアッシュツリーは火除けのお守りになるそうです。石と異なり、木は扱い方が人の思いの傾け方で変わりますよね。ある場所や状況によっては燃えて欲しい、あるいはこういった場合は燃えて欲しくないといった風に」
建築や数学の話をしているときは本当に楽しそうだなと、食について語るアリシアと同じものを感じつつファリルは頷いた。
「そうですね、クリスさんのお話を受けて思ったんですが木と家は少し似ていると思います。家は一つではありますが、一方で街並みというのは家の集合体でもある。家は建て替わったりしますけど、それでもそれが街を構成するということは変わらない」
「街並みは社会であり、社会は様々な領域から構成されますよね。だから家は点ではなく線であり、面でもある。そして建築された線や面は集まり、空間になる。繋げ方次第では異なる位相同士があちらとこちら、そっちとこっちなどと繋がっていきます。そういえば、裏庭の一角に新しい作品を作ったんですよ。よかったらどうでしょう」
そう言って、クリスに案内されていくと裏庭の一角に見慣れぬオブジェが存在していた。




