3-11.
そこには別のモニタと図があった。今更ながら、モニタの類はカニンガムの家でしか見かけない。他にどれだけの秘匿技術があるのだろうかとファリルはハインドホープの手札の多さにかつての帝国本土との関わりを見る。
「この分析については、私と数名の部下しか知らないものになる」
「この木のような図形はなんでしょうか」
そこには樹状の絵図がモニタに投影されていた。
「決定木は、二点間の距離差を表現したものだ。ピタゴラフスキーというかつての偉大な数学者が定めた言葉で、ユークリッド距離ともいう。顧客クラスタは五から一〇程度まで分けている」
操作をしながら、話すハインドホープの上でディスプレイに表示されるデータが書き換わっていく。
「決定木では、データの変更に対する弱さや過学習が発生しやすい欠点がある。それゆえ、ランダムフォレストを利用して、少しずつ異なるデータセットを作成して決定木を作成後、それらの分析結果を集約させて分析結果を出す方式の方が精度は高い」
複数の木が作られ、枝や葉が派生していくが、いくつか途中で刈り込まれたようにそれ以上伸びない枝も存在していた。
「社が利用していた顧客データセット、公的なデータセット特に政治犯罪・知能犯罪歴や、社会的階級、居住エリア、資金繰り状況などの各種変数を加味して対象を抽出している。
商工業界の重鎮とはいえ、公的な身分は帝国貴族としてのそれしか持っていないハインドホープが、センシティブなデータまで掌握しているという発言にファリルも驚きを感じ得ない。そのまま表情が表に出ていて伝わったのか、少しだけハインドホープが目を細める。
こういった政治が絡む議論に、今のファリルがどこまで付き合う気概があるのか見定められているようにも感じられ、対等ではないにせよ最後まで話を聞く意思を示すべく、ファリルは逆に問いかける。
「かなり機密に属するような情報もお持ちのようですね。データの下処理にも膨大な手数がかかるのでは」
そもそもダルマティアにおけるデータとはせいぜいがパンチカードくらいのものだ。他はペンで紙に描かれている。ハインドホープがどれだけ情報処理の技術に秀でていたとしても、スループットに限界はあるはずだった。
「ジーベックには、マスクされたデータの下準備を依頼している。あの男は算額絵馬を通じて知り合った。校長は古くからの友人だ。一人の教師が変わった余暇の過ごし方をしたくらいで、誰かに連絡したりはしない男だ。しかるべき伝手と手段は多くの年月をかけて準備してきた。であれば必然、ダルマティア地方における私の手は、お前の想像以上に長いということだ」
話の内容からして、ジーベック以外にも複数の協力者がいるのだろう。
「それで、あなたの分析では異邦人を殺害しようとした犯人が分かると?」
「異邦人を害する行為を行いうる群を抽出することはできるだろう」
「例の計算機資源を使ってですか」
トルデシリャス・クエストの会話を六曜の夕食会でした際にも話題にあがった言葉だ。ファリルはあまり詳しくはないが、人力で行いうる計算ではないだろうと想像して、あたりをつける。
ハインドホープの言葉には、長年接してきた影響もあるのか、凄みのようなものはない。しかし、これほど長時間にわたって話していると、どこか不思議と引き寄せられる心地がする。
ファリルはここに至るまで、残された時間を用いてできるだけの情報を整えた筈だった。不定形な情報を、使える形に打ち直し、頭の中の本棚に整理して並べ、いつでもその知識を取り出せるように準備してこの場に立っている。
けれど、ハインドホープはただ、事前に話そうと思っていたことを淡々と話すだけなのだろう。怜悧な瞳にも静かに場に置かれる言葉にも揺らめきはない。対して、ファリルは自分自身が緊張ではなく、どこか高揚とした気持ちにあることを自覚した。
ファリルにとって、世界とは面白いものだった。ファリルの幼少期の記憶に両親の姿はない。あるのはパトリシアと意外なことにハインドホープだった。眼前の祖父が、木や紙を用いた様々な遊び道具をファリルに与え、骨ばった手で頭を撫でられると嬉しかったものだ。
何より、かつては問いを与えられそれに回答して喜んでいた自分が、祖父とこうして対等な対話ができるようになるとは、世界は面白いと改めてファリルは思う。
「ダルマティアで手に入る限りの計算機資源の多くは、ここ私の足元にある」
ハインドホープはそう言って手に持った杖をこつんと床を叩いて示す。別邸に地下室があることをファリルは知らなかったが、どうやらファリルの知らないそれなりのスペースがまだこの邸には残されているらしい。
「結果が出たようだ。殺害しうるものの数は一九六四名だ」
いつのまにか、モニタには名前のリストが膨大な数並んでいる。
「その中に、チェンバレン・プリモシュテン氏の名前はありますか」
祖父が手元のコンソールを操作すると、該当者の欄が強調される。そこには確かにチェンバレンの名前があった。
「お祖父様、あなたの名前もあるのですか」
同様の操作で強調される。ハインドホープの名前も確かに存在した。
「先程も言った。これは単なる可能性を示したものに過ぎない。アラン・ガードナー艦長は偉大だった。ホーンブロワーもそうだろう。志はしかし、ブロウの息子のチェンバレンには受け継がれなかったのだ。皮肉なことにその息子のカッティの方が、冒険家の資質に富んでいるな。ブロウを思い出させる」
「チェンバレンさんが犯人というのは真実なのですか」
「それに答えるべき言葉を私は持たない。仮説が立てられたのならば、証明の道筋も見えている筈だ」
そうして祖父と孫の会話は終わった。




