2-15.
本話で第二章が終了となります
「楽しいよ。私は大体いつも楽しんでいる。話は変わるけれども、昔の話に出てくる『天を敬する』なんて言葉があるんですが、ファリルくんは知っていますか?」
「その言葉は初耳ですね。自然への畏敬を抱くという意味でしょうか」
「ええ、ええ。概ねそんなものです。天は神様でもあり、自然でもある。ヒトは自然に逆らっては何もできないのだという自然への畏敬です。僕はこれを諦念だとは思っちゃいない。自然の力を敬った上で、ヒトは生きる為、生き残る為に古来から色々と工夫をしてきたものです。その根本には知りたいという気持ち、対象への愛があるんだと思うんですよ」
「知ろうとしなければ、世界は闇のままですよね」
再びダンスガードが語っていた言葉を引用する。誇らしげにその言葉を口にするかつてのダンスガードも、歳をとりここにいるダンスガードも同じように悪戯っぽい目をしていた。
「ええ。けれど、闇を闇のまま愛せる人こそ、僕は新しい地平を切り開けるとも思うのですよ。わからないことは、わからないとわかればいい。わからないまま、それはそういうものなのだなとわかる。それが、風景を愛する力と僕は呼んでいます。心の中に、『別の風景』を持っているあなたのような人だからできることだ」
「そうなのでしょうか。最近、人から諭されてばかりです」
チェイス、ローザ、ダンスガード、一つの時代を生きてきた老人たちの言葉はその人物たちが培ってきた歴史の重みを感じさせる。端的に格好いい、面白いと思うのだ。そうした人物たちにファリルはなりたいわけではない。けれど、その人物たちが一つの本なのだとしたら、ぜひ読んでみたいと考える。そうした面白い人物たちが積み上げてきた事績、相互作用で編み上げた地平の総算が、歴史であるとするならば、これほどに面白い読み物はないのではと密かに思う。
「けれど、あなたはそれを受け入れる度量がある。これも古い言葉ですが、『君子は憂えず懼れず』です。原義とは異なりますがね。私なりの解釈では何かを心配したり、悩んだりしても最後に決められればいいんですよ、何が最善なのか、そして決めたら後悔しない」
「博士は、後悔したことってないんですか?」
「私は後悔しきりですよ。日々の小さなことでね。小人ですから」
少し遠い目をしながら、ダンスガードは苦笑いする。けれど、その横顔はどこか誇りに満ちているようにファリルには伺えた。
「そういえば、博士が昔話してくれましたね。すごいアイディアを閃いて、お風呂から飛び出してひとしきり街を裸で走り回ったこと」
お茶目な人という認識だったが、その話を聞いた際にはファリルは思わず苦笑してしまった程だ。
「そんなこともありましたね。でも、あれについては後悔していないんですよ」
ダンスガードはあっけらかんとした表情でそんなこともありましたねと答える。
「それはすごいアイディアを閃いたからですか?」
どういう答えが返ってくるのか、どこか期待しながらファリルは尋ねた。
「世界で私しか知らないことを見つけたかもしれない。それは何にも勝る喜びだからです。ファリルくんが学んでいる歴史とてそうでしょう。君のところの学問だと、書かれていることは単に書かれているだけだ。歴史を構成する事件や人物、縦糸と横糸という素材自体はありものかもしれない。けれど、その編み方次第で新しい景色が見える」
おちゃらけた態度から一転、どこまでも真面目な態度でダンスガードは自論を述べる。
「そう、かもしれません。歴史の見え方を、僕は祖父の影響かもしれませんが折紙のようなものだとも思っています。複数の紙を使うと、色の重ね方、紙の合わせ方で本当に多彩なバリエーションが生まれます。なかなか、僕だけしか知らない景色というのは見づらいものではありますが」
ファリルは思わず異邦人の事件や祖父からの問いかけについても重ね合わせて心情を吐露していた。だからか、ダンスガードは優しげな表情を浮かべて応じる。
「そういえば、農民の中で口伝されているある種の童歌のようなものをご存知ですか? 暗闇で道に迷ったら星を探せばいい。そうして舟は進んできたと」
「農民なのに舟なんですか」
素朴な疑問をぶつけるも、ダンスガードも理由や伝来は知らないようだった。
「ええ、不思議ですよね。でも私は好ましいと思いますよ。なかなか楽しい時間でした。また近々、カニンガム屋敷へは訪問するのでその時に話しましょう」
「はい、お待ちしています」
「そういえば、もう少し経てば、グレープの詰み時ですかね。ファリルくん、そろそろ成人でしょう。教え子と酒を飲み交わすのも僕は楽しみなんですよ」
お酒好きでもあるダンスガードは話題を切り替えてくる。
「成人は残念ながら来年ですね。そういえば、グレープの収穫も確か博士の研究分野と関連するんですよね」
「ええ、ナイトハーヴェストなんて言葉があるくらいには農業と気象予報はなかなか切っても切れぬ関係にあるわけです」
ダンスガードは肩を竦めて、農民の皆様の努力には本当に足を向けて寝れませんねと呟くことも忘れない。
「ナイトハーヴェストって、夜明け前にグレープを積んでしまうことですよね。その分、甘く香り高い味わいになると、以前知人から教わりました」
「ええ、全てはワインの為ですよ。このワインほど我々を悩ませ、そして喜ばせてきた食物はないと言えるかもしれません。そしてその味の決め手になるグレープ。これは摘みどきというものがある。数時間のズレが味を大きく落としてしまう。でも、雨が降ってもダメになってしまう」
かつて、ダンスガードが持ってきたワインをシャルロットやヘニッジが飲んでいたことがあったが、彼は自宅のセラーにかなりのコレクションを持っていると噂されていた。
「タイミングが難しいですね」
「はい。でも、今年は幸いにも天候に恵まれていてね。きっと、美味しいワインができますよ」
「それを来年飲めることを楽しみにしています」
「はい。それでは、また」
ファリルはダンスガード博士と別れて、家路へと急ぐ。帰りながら、博士からは前へ進む勇気をもらった気がしていた。
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