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2-14. ダルマティア年鑑執筆会議

 出版社で、執筆した章の打ち合わせを教授たちと終えた後、トイレに戻ってから廊下を足早に歩いていると前方から見知った人物が歩いてくる。


「ダンスガード博士。おはようございます」

「おや、ファリルくん。おはようございます。そういえば、高等学院の学生が一人、執筆に加わるとは聞いていましたが、あなたでしたか」


 ファリルの幼少期から、国土地理院天測気象局のウィリアム・ダンスガード博士はカニンガム邸に招かれて講義をしていた。彼だけではない、ダルマティアで多くの当世一流とされる学者たちがハインドホープの客としてではなくカニンガム家の客として招かれ、月に一度か二度、カニンガム家の夕べで話をするという慣習が長年続いていた。


「ええ。博士の語る気象や天文の話に触発されて、僕も少しだけ天測なんかは齧り始めています」

「ほうほう。なるほど。望遠鏡は何を使われていますか」自分が後進に影響を与えたのが嬉しいのか、楽しそうにダンスガードは聞いてくる。

「老舗エイボン・スミス社のモデルですね」


 ヘニッジから聞いていたモデル名を答える。


「良い機材です。大切にされるといい。私はハインドホープ卿のお孫さんたちの中では、あなたが一番あの人の素質を受け継いでいると思うのですよ」

「ありがとうございます。似ていると言われたのは初めてかもしれません。どこが祖父と似ていますか?」

「価値の相対化の姿勢ですな。あなたもハインドホープ卿も、心の中に『別の風景』を持っておられる」


 それが何かの隠喩なのか、ファリルにはわからない。ただ、一つだけわかるのは、眼前の人物が本気でそれを信じていると言うことだった。


「風景、ですか?」

「世界を読む力と言い換えてもいい。気象学者として自然を相手にしているとね。時折、私たち研究者よりも鋭い指摘をする農民に出会うんですよ。農民は土地、鋤鍬、肉体との関係で生き方が決まると、ある時その農民は言うんですよ」

「関係、ですか?」


 ダンスガードの話はどこかユーモアがある。それは語り口かもしれないし、人柄が滲み出ているからかもしれないと思いながら、ファリルは話を進めた。


「ええ。農民が百人いたら、百通りの関係性の作り方があるだろうって。それが自然を相手にすることなんだって言ってましたね。私はそれを聞いた時面白いなと思ってしまってね。しばらくその農民の作業を見ていたんですよ。それはもう一つ一つの動作が美しかったなぁ」

「博士はよく、農村にも出向かれるんですか?」


 かなり多忙だという話は幾度も聞いていた。本来あるはずの講義が翌週に延期になったりというのは、ダンスガード博士の講義に限っては頻繁にあることだったからだ。


「行きますよ。気象予報の研究の方がね、なかなか進まないのですよ。空の上にでも視点を置くことができれば、まあ概ね解決するのかもしれませんがなかなかどうして難しいのです。気球観測なんかもしてみましたがね。これといって成果が出ないわけです。そこで農村に行く」

「博士のことですから、気晴らしではなく別の目的ですよね」


 ファリルはダンスガードが天文だけでなくかなり色々なプロジェクトに従事しているらしいということを聞いていた。


「ええ、別角度からのアプローチというやつです。農村に伝わる先祖伝来の技を頭を垂れて聞きにいくわけです。虫が卵を植え付ける位置で翌年の水位をある程度推測できるだとか、そういう訓話というか伝え話みたいなものは、ファリルくんもご存知だと思いますけど、そういうものですね。それを科学的に、万人にわかる形で、再現性を担保したいわけです。翌年が旱魃か豊作か、それは平年比どれくらいかとかね」


 楽しげにダンスガードが語る。この人は本当に研究が楽しいのだろうなと思わせる御機嫌な喋り方だった。


「誰が使っても同じ結果が出力される。それがぶれているのであれば、何か未発見の法則や原因が存在する、でしたっけ」博士から過去に教わった言葉をファリルは使う。

「ええ、科学的な態度とはそういうものです。でもね、やっぱりおかしみを覚えてしまうでしょ。僕が研究の中で参考にしているのが、百人いたら百通りの出力をする農民なのだもの。でも、この矛盾が面白くてね」

「教授はいつも楽しそうです」


 ダンスガードは研究成果が出なくとも、それを行うことを楽しんでいる。翻って、ファリルにはどこか謎を解けないことへの焦燥感があった。そうした心情を汲み取ったのか、ダンスガードが別の話へと話題を変える。


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