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2-1. レミリアとハインドホープ

本日より第二章開幕です。本作は、全五章構成となります。

 レミリアは一度だけ深呼吸をしてから中庭に入る。それは一度でいい、二度や三度であれば決意が鈍るからだ。


 意を決して入った先で、目当ての人物はテラスで分厚い技術書を開いて読んでいた。

 仄かに香る薬草茶の香りが帰ってきたという感慨をレミリアに抱かせる。この場所、ハインドホープの暮らす別邸こそがカニンガムという家の中枢なのだ。それを知ってからレミリアはよりこの家に通うようになった。それはある種の好奇心によるものでもあり、家族愛よりも憧憬に近い感情であるかもしれないと自分自身理解している。


 深く頭を下げてから中庭の石畳の道を辿りテラスへ近寄る。下生えの草の中には有用な薬草があり、仮に急いでいたとしても横切ることは許されていない。

 ハインドホープから中庭の横断を許されているのは上級使用人二人と、レミリアの母シャーロットのみだった。

 近づいていくに連れ目立たぬよう周囲にはヘンリーを含めた四名ほどの家人がいることに気づく、彼ら彼女らは心得たものでレミリアが存在に気づくと、目礼を返した。


 レミリアもそれに応じて、揺り椅子に深く腰掛けた老人の足元に侍る。

 それから手を両手でとってから挨拶をする。「お祖父様、レミリアが参りました」夜とはいえ、老人の手は外気よりも冷たく、レミリアは労しい気持ちを抱きながら挨拶をする。


「久しいな。最近、お前の容姿がますますミリアの似姿のようで、複雑な心境だ」ハインドホープは、彼の今は亡き妻を引き合いに出して冗談めかしくいう。

「お祖母様に似ているというなら将来的に成功は約束されたようなものですわね」どうやら機嫌はよいようだと内心安堵しながら、レミリアも冗談めかしく応じた。


 簡単な挨拶を交わしてから、ハインドホープはヘンリーを除いた他の家人について、人払いを指示した。心得たもので、ヘンリー以外の使用人たちは即座に持ち場から離れて別棟のあちらこちらに散っていく。

 それを見届けてから、ハインドホープは口を開いた。


「それで、今日は進展があるのだろう」

「はい」


 続けて話し出そうとするレミリアだったが、ハインドホープの考え込む様子を伺って、言葉を口の端に載せる寸前で押し留めた。

 わずかな間隙の後、ハインドホープは口をひらく。


「お前が、気付いたのはいつだったか」


 ハインドホープが唐突につぶやいた意図を判じかねつつも、レミリアは答えを返す。


「中等部を卒業する一ヶ月ほど前だったかと記憶しております」

「カニンガムの家の政に関わる資格をえて、どのように思った」


 淡々とハインドホープはレミリアに問いかけを続ける。レミリアは少しだけ祖父のその様子に気押される感情を覚えながら、けれど口調だけはいつものように、声音は震わせないように気をつけて、こともなげに返すことに集中する。


「お祖父様のことがわからなくなりました」


 そう答えると少しだけ肩を振るわせた。ハインドホープは笑ったようだった。


「お祖父様?」レミリアは訝しげに思いながら、声をかける。

「わからなくなったか。同じ言葉を吐いた男は、私のもとを去っていったものだが、何故残ろうと思った」


 ファリルの父、レーベンスが去った理由を薄々は感じていたものの、はっきりと祖父の口から聞かされたレミリアはそれでも微笑みを湛えたまま答える。今度は先ほどよりもうまく笑みを形作れたと思いながら。


「わからないから、知りたくなるのです。わたしは好奇心旺盛ですので」

「血脈とは面白いものだ。あるいは個体差なのか、お前と話しているとやはりどこかミリアを思い起こさせる」

「ありがとうございます。常にお祖母様のように誠実でありたいと心がけております」

「心掛け、か。たしかに誠実さは言葉を持たない。それが宿るのは瞳と振る舞いのなかだ。最も、読み取るには困難を伴うが」

「至言ですこと。お祖父様ご自身のお言葉ですか、それとも別のどなたかの?」

「かつて似たようなことを言っていた男がいたが、概ねは私自身の言葉だ」


 レミリアは閃きようなもので、その言葉を紡いだ人物がファリルの父であるレーベンスなのだと直感した。けれどそれを何枚か彼女の祖父の前で被る仮面の下にそのまま仕舞い込む。


「時にお祖父様、ファリル兄様をどのように処遇するおつもりなのですか?」

「それはファリル次第だ。レミリア、お前には日記だったがファリルにはラジオを与えてある。それが今のところは全てだ。ファリルが気づけば資格を与える」

「わたしの時のようにですか」

「そうだ。かつてシャーロットや、レーベンスにも同じように問いを出した」


 レミリアは中等学校の進学祝いに眼前の祖父から古い日記を贈られた。のちに聞いた話ではレミリアの母は古地図だったという。それを読み進め、抱いた疑問を問いかけると祖父はその疑問に応じた後、カニンガムの家の中枢会議に招待するようになった。中枢会議は、ハインドホープ、シャーロット、レミリアと上級使用人のヘンリー、パトリシアから構成される。かつて、一時期はここにファリルの父であるレーベンスも加わっていたのだろうとレミリアは時折想像する。


 ちなみに中枢会議のその裏でレミリアの父ヘニッジはファリルを誘い、レミリアの弟妹とともに天体観測を行なっている筈だった。レミリアはレミリアが中枢会議への参加資格を得てから始まった父のその行動を、弱さによる優しさとみる。

 ヘニッジはカニンガムの家には入りつつも、舞台に上がるだけの度胸はなかったのだと、上級使用人が参加している以上は、ある種の外様といえど中枢へ参画する機会はある筈なのだとレミリアは続けて思考する。


 もちろんレミリアにとって良き父であり、シャーロットにとりよき夫ではあろうとも、それでも少しだけ失望を禁じ得ないのがレミリアにとっての偽らざる思いだった。


「カニンガムのお家は、ファリル兄様には小さいのかもしれません」


 レミリアはカニンガムの家のもつ様々な力を活用して生きている自覚がある。ファリルとてそうだろうと、レミリアは考えているが、一方でファリルには平気で持っているものを投げ捨てたり、誰かに分け与えて、自分の興味の先へ突き進む無謀さも持ち合わせている。


「興味深い意見だ。ひとつ無聊の慰みに新たな問いをだそう。ヒト種の歴史の中で最も高度なトロンプ・ルイユの材料を定義するとしたら、それはなんだ?」


 レミリアにとってすでに数年前からハインドホープとの会話は祖父との気楽な対話ではなくなっていた。常に、裏を読むことに終始する中で駆け引きを覚え、他所で応用するための訓練の場でもある。

 そんなレミリアの考えを読んでいるのか、ハインドホープはこうして時折、問いかけを出す。


「トロンプ・ルイユ(騙し絵)、ですか?」


 相手の言葉を繰り返して、思考のわずかな時間を稼ぎつつ、レミリアはこの場で紡ぎ出すべき言葉を脳裏から引き出すことに集中した。ハインドホープは特に意味もなく繰り返されたレミリアの言葉には何も反応しない。


「ヒト種の中で最も大いなる騙し絵は、わたし達の寄って立つ大地から見える天体運行の絵図です。この大地に纏わる天動と地動の解釈違いの論争、つまり三次元空間の錯覚です」


 咄嗟に引き出した言葉は、言ってしまってからそれなりに的をいているのではないかとレミリアは内心でほくそ笑む。というのも、ちょうどレミリアがヘニッジとファリルの天測についての思考を巡らせていたこともあり、条件反射のようにハインドホープの問いに答えられたからだ。


「今の言葉、ファリルにも伝えておくといい」


 淡々とレミリアの答えを受け付けて、正解とも不正解とも言わず、ハインドホープは告げた。ハインドホープがファリルへの連携をレミリアに依頼するというのは初めてのことだった。


「分かりました」その後に、レミリアがベリーズからの接触や考察などを報告しようとするとハインドホープから手で制される。


「今日は以上とする」静かな、それでいて有無を言わせぬハインドホープの声だった。間髪いれずハインドホープが手元のボタンを押すと音もなく家人たちが集まってくる。


「それでは、失礼しますね。お祖父様、良い夢を」時間切れだということをこれ以上になく示すその様子に、レミリアはハインドホープとこれ以上話すことを諦めて、せめて優美な様で別れの挨拶を告げることにした。

もしよろしければ、ブックマーク、評価やコメント(気になる点など)をいただけると幸いです。

執筆の糧にさせていただきます。

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