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漠然とイメージしていた家を出るという事が鮮明に思い描けるようになったのは、ささやかな経済的自立の目処が立ったからこそだった。
「それはすごいね。昔から続けていた昔話や伝承の蒐集が身を結んだのかい?」
「同級生が、ダルマティア新聞社の社主の息子なんですが、書いた文章をはきちんと発表したほうがいいと強く説得されて、構成から何から手伝って貰った後、高等学院の一年生の頃の文化祭で配布したんです」
「高等学院は、ダルマティアの有力家系の子弟がいるものだしね。それがきっかけなの?」
「それが一つのきっかけではあるんですが、ダルマティア大の錚々たるお歴々が筆をとる大著に本来なら、高等学院生といえど難しいですよ。ダルマティア大では、比較歴史学を専攻しようと思っていたのでもともと五〇年史の執筆者の一人であるチャーリー・ウェブスター教授とは手紙のやりとりをしていたんです。そちらからですね」
ファリルは今も何人かの歴史学者や民族学者と簡単な手紙のやりとりをしている。ゲーム以外にも手紙を大量に使う理由だった。
「いずれにせよ、凄いことだ。ファリルくん、僕はそれほど歴史学について造詣が深いわけではないことは確かだ。けれどね、歴史の学問的知見を基礎として、現実の政治や社会に対してどのような影響を及ぼしうるかということについて、必ずしも深い関心を持つプロフェッショナルな歴史家は多くはないように思える。だから、君が歴史から学び、現実の世界を動かし、政策をつくるという新しい道を切り開くのは面白いことかもしれないよ」
ヘニッジの話はファリルにとり、興味深いものだった。
「新しい分野をそういう風に切り開くのももしかしたらいいのかもしれないですね。先祖の血をここで語ることにどれだけの意味があるのかという意見はきっとあるでしょうけれど、『汝、どこへか行かん』は『公を楽しむ』という言葉と共に僕の血肉になっています」
「古語で言うところの、クォ・ヴァディスか。カニンガムのお家の祖業は海運と水先案内だったっけ。さまざまな場所を知り、いろんな場所に赴いて新しい価値を打ち立てる事が性に合っているのかもしれないね。シャーリーやレミリアを見ていても色濃く受け継がれていると思うよ」
カニンガムの家は、古くは帝国北部の海峡貴族であったという。手勢を使い、皇帝勅許の下で私掠船を用いて敵国の船に積まれた財宝を奪い取ること、船運の難所における水先案内や薪、水の補給などを手広く取り扱い地方豪族、郷士の身分から陞爵するまでに至ったという。
「ファリルくんは大学卒業後に、グランドツアーはするんだろう。ならもう数年は、時間があるんじゃないかな」
「グランドツアーと言っても、帝国本土には障壁制約がある限り行けないので、おぼろ谷や島嶼部、山家などを数年かけて回ることになりそうですが」
「僕の好きな言葉は、一つとして同じ風はないというものなんだ。その時その時で、風の吹き方は大いに変わる。だから、もしかしたら数年後はまた違った要素が出てくるかもしれない。僕なんかも風に吹かれて、ここにいる」
「ありがとうございます。そういえば、ヘニッジさんも家をでて入婿の形でカニンガムの家に来ましたよね?」
「ああ、あんまり確かにファリル君とこういう話をしたことがなかったね」
ファリルとヘニッジは、お互いにそういえばという表情を浮かべて苦笑する。
「天体観測を始めてからですしね。きちんと話すようになったのって」
「そうだね。お礼というと語弊があるかもしれないけれど、僕の話をしようか」
そう言ってヘニッジが語り始めた話は、港湾都市リエカにまつわる一人の男の歴史でもあった。
「僕が生まれた頃のリエカはたいそう大きな港町ではあるけれど、障壁制約と言ったかな。あの帝国本土との断絶のせいで、養殖漁業が規模縮小して寂れたところから、段々と成長するダルマティア全体につれられて規模拡大の途上にはあった。けれどどこか寂れた感じが拭えない古いだけの街だった。それを何とかしたいと働き始めて少し経った頃にあの大火があったんだ」
それはシャーロットからいつか聞いた話でもあった。
「シャーロットおばさんとの馴れ初めですよね」
「恥ずかしながらそうさ。あの頃は病気をしたり、怪我をした人を元気にして下支えすることが僕の夢だった。けれど医者としての腕をいくら振るっても街が賑わうわけではないからね。寂れをどうにかしたいとおもっていたけど、難しかった」
リエカは古い港町ではあるものの、帝国本土との交易港にはならず、キャンパス市や周辺漁村との伝統的な舟運を利用したやりとりや、近海漁業に加え近年はリアス式海岸の地形を利用した養殖漁業を中心とした経済で発展してきた街だった。障壁で養殖用の資材が入って来ないために養殖漁業が壊滅すれば、衰退は早かっただろうとファリルは思う。
「けれど、今はかなり盛り返してきていますよね。リエカ、マリンスポーツや水族館なんかで有名なスポットもできていますし」
「大火で何もかもが失われた。二五〇名もの尊い命もね。ただ普門院の言葉で言えば、捨てる神あれば拾う神ありというのだったかな。幸いにも復旧は早かったよ。しかも以前よりも見違えるほどの都市が完成した」
リエカでの大火は、特に古い建物が密集していたことによる消防隊の到着遅延や、延焼の早さ、断絶以前から定期的に発生するダルマティア全土での異常乾燥などの気象問題など複合要因によって被害が拡大したとされている。
中等学校で学ぶ郷土史でもページ数を割かれていたリエカ大火は最後にこう結ばれている。リエカにおいては古い建物が軒並み焼け落ちたため、後には広大な敷地が残された。リエカ市長ならびにダルマティア地方長官はキャンパス市の事例とは異なり、リエカでは木造住宅を禁止し、煉瓦や鉄製建築を推奨したため、多くの建築家が集い大規模な高層ビル、ユニークな美術館や水族館などが絡み合う現代都市が完成した。
また大火と前後して、鉄道がキャンパス市からリエカ市まで開通している。それがリエカの迅速な復興につながったとも言われていた。
「大火でシャーリーを助けたとき、彼女は別の仕事で視察に来ていたらしいんだ。けれど、僕の実家のダンダス病院は研究開発にも力を入れていたから、医療機器の研究開発技術を化粧品やらスポーツウェアに転用出来るようカニンガムグループと提携しないかってね」
ファリルの記憶では、その当時どうしても海への恐怖心が先行してキャンパス市やリエカ市民が海水浴や、シャーロットの所管する海運などへの就職を敬遠していた情勢をどうにかしようと、彼女自ら海と親しむマリンスポーツの普及のための視察に訪れていた筈だった。
ただし転んでもタダでは起きないのもシャーロットらしいなとファリルは思う。
「だから、シャーリーとの婚約話が持ち上がった時はチャンスだと思ったんだ。もっと大きな舞台へ出ていけるって、それがリエカを盛り上げるしダルマティアも盛り上げることに繋がればって。その結果いろいろ思い知らされたよ、僕にはダルマティアもキャンパスも広すぎる。リエカでギリギリかな」
「ヘニッジさん自身も、政治の傍ら、医官として週次で無料診療所を開いておられますよね」
「知っていたのか。僕には手に余るけれど、ダルマティアはやっぱり好きだからね。できることであれば、僕は全力でやりたい」
「僕自身もダルマティアは好きです」
ヘニッジから言われた両立という言葉はファリルの想像では少しだけ難しい。業であるものは、本業でも副業でも同じように打ち込みたいとは思う。
「政治や経済というのは、僕も付け焼き刃な知識ではあるけれどさ。元になった言葉をファリルくんなら知っているかな」
「経世済民 。世を治め、民の苦しみを救うことですね」
これも古い言葉ではあるが、含蓄の多い言葉であるとファリルは思う。
「そうだ。ヒトの救い方に唯一絶対の正解があるなんて思わないよ、僕はね。ヒトはいくらだって過ちを繰り返すと思う。だからこそ歴史に学んで、それを活かすヒトがいたってそれは変でもなんでもないさ」
「もう少しだけ、歴史の問いへの答えを出すことに集中しようと思います。なぜ西の平原に「星」があるのか、そこに込められた歴史を知りたい。障壁は本当に交通不可能なのか、なぜそれが生まれたのか。帝国本土はいまどうなっているのか。そこにある謎を幾らかでも明らかにしたい」
「僕はこれでも意外と人を見る目は確かだと思っているんだけどね。ファリルくんなら、できると思うよ」
ヘニッジは朗らかに言う。
◇- 用語 補遺集 -◇
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● <歴史>リエカ大火
・シカゴ大火・・シカゴが現在の街並みになるにあたっての一つの転換点




